爪先ロマンス_03

 わたしの頭の中に『不審者』というワードが蘇ってきたのは、もう完全下校時間間際だった。予想通りUNDEADは四人揃わずーー羽風先輩は来てくれたのだが、朔間先輩がどうにも棺桶から起き上がってくれなかったためだーー練習はそこそこに切り上げることとなってしまった。ぽっかり空いた時間で帰ればよかったのだが、折角時間が空いたのだから、と被服室に閉じこもってしまったのが失態の始まり。秋も深まったこの時期はすぐに暗くなることを忘れていた。まあるい満月と星空を眺めながら、やっちまったなあとため息を吐く。
 ミシンにカバーを被せて定位置に戻す。ただの布切れではなく、そこそこに形が見えてきた衣装のかけらを手下げ袋に詰め込んでいると鏡のように教室を映し出す窓ガラスが視界に入る。誰もいない広い教室。真っ暗闇の世界。『不審者』。ぞくりと泡立つ腕をさすりながら、いつもよりも少し乱雑に自分の荷物もカバンに詰め込む。電気の消し忘れがないか点検して私は被服室のドアを開けた。もはや残っている生徒などほとんどいないためか、廊下に灯る明かりは最低限のものばかり。生唾を飲み込むと、脛にべちり、となにかが当たる感触がした。ひっと短い悲鳴をあげて飛び退くと、不機嫌そうな声で「なに驚いてんだよ」との声。見下ろすとなぜかそこには晃牙くんが被服室のドアにもたれかかるように座り込んでいて、状況を飲み込めない私などお構いなしに立ち上がると乱暴に手首を掴んで私を被服室から引っ張り出す。

「なんでいるの?」
「今帰るとこだったんだよ」
「被服室の前で座り込んで?」
「うるせえ」

 彼は足で被服室のドアを蹴り締める。「さっさと鍵閉めろよ」との彼の声に促されて私はブレザーのポケットから鍵を取り出して施錠した。鍵を回し、引き抜いて、ちゃんと施錠されているか確認する。その間も彼はずっと私の手首を掴みながら、早くしろよ、と苛立たしい声をあげていた。

「お前のクラスでは言われてねえのかよ」
「なにが?」
「不審者が出るって」

 そういえば今朝方椚先生には言われはしたもののLHRだとかでそういう情報はなかったような気がする。記憶の糸をたどっていると、晃牙くんは「言われてたらアドニスがいるだろうけどな」と呟く。確かに状況を知っていたなら遅くまで残る私のそばにいてくれただろう。容易く想像できるのが嬉しいやら申し訳ないやら。「アドニスくんはヒーローだからね」と先日の意味も含めて私がそう笑うと、晃牙くんは不満げに舌打ちをすると「そうかよ」と吐き出した。そして乱暴に私の手を引くと「行くぞ」と歩き出す。紫色のインナーから出る彼の綺麗な爪。空いている方の手でその爪を覆うように乗せると、晃牙くんは驚いたように足を止めて振り返った。

「なんだよ」
「冷たい」
「は?」
「被服室の中で待ってくれても良かったんだよ」

 晃牙くんは顔を真っ赤に染め上げて、うるせえ!と大声で怒鳴った。誰もいない廊下に響きすぎる声に目を丸くしていたら彼は一度大きく廊下の床を蹴りつけて、大股で歩き出した。

 自分で強くなれだとか、守らないだとか口ではそう言う彼が優しいのを私は知っている。だって他クラスの日直の仕事が終わるまで付き添ってくれたり、こうして心配して待ってくれる人なんて本当に稀だって私は知っている。被服室に入らなかったのも集中していた私への配慮だってこともなんとなく感じ取れた。アドニスくんは颯爽に現れるヒーローだけど、彼は寄り添って守ってくれる騎士のようだと感じた。それを言うと怒られそうだし、本来守るべきアイドルに押し付ける役目ではないとわかっていながらも、やはりその心遣いは嬉しい。

「晃牙くん」
「ああ?」
「最近ね、不審者が出るんだって。怖いから一緒に帰ろう」

 晃牙くんは私の物言いに足を止めて手を離した。そしてもはや聞き慣れてしまった舌打ちを一つこぼすと、おおよそ優しくない力で私の背中を叩いて「仕方ねえな」と言葉を吐く。

「今回だけだからな」

 絡められた指先はいつから待っていたのだろうと考えてしまうほど冷たい。少しでも温もりが伝わるようにと私は彼に身を寄せる。邪険にもせずに文句も言わずに、晃牙くんは歩調を緩めて歩いてくれた。その優しさが嬉しくて、でも表にだしたら怒られそうだから、必死に真顔を作って彼に寄り添いただただ歩く。
 綺麗に切りそろえられた爪先から滲み出る優しさを享受しながら、私は一度、強く手を握った。

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