チョコレイトはスペードの形_01

 食べる人がいないお菓子など、切ないだけだ。

 目を背けていても確かに季節は巡る。2月14日。バレンタイン。用意していないわけ、なかった。レシピとにらめっこして作ったトリュフ。綺麗に飾り付けた可愛らしい小箱。不器用な自分にしては会心の出来で、きっと喜んでくれるだろうとそう確信していた。しかしいざ想い人を目の前にすると、出せなかった。緊張だとか、おこがましいだとか、たくさんの後ろめたさにひかれて、とてもではないが渡すことができなかった。気持ちがこもった小箱をカバンの奥底へと沈め、ライブへ向かう先輩を笑顔で見送る。また次の機会に渡せばいい。そう思いながら冬を越し、春の足音が聞こえはじめた3月。私はようやくそこで、あの日から足踏みをして一歩も進めていない愚かしい自分に気がついたのだ。

 鬱々とため息を吐くと、晃牙くんはラッピングを解く手を止めて、またくだらねえこと考えてんのか、と言葉を吐き捨てた。箱の中身が気になるのか、目を爛々と輝かせながら机に鎮座しているそれを見つめていたアドニスくんは、朔間先輩のことはくだらなくないだろう、と晃牙くんの言葉に大真面目に眉をひそめた。

 夕方の2年A組。ほどよく斜陽が差し込み教室を鮮やかに彩る。お昼の喧騒とは打って変わって、静寂に満ちた教室に影が三つ。私と、晃牙くんと、アドニスくん。部活もユニット練習もないそんな日は、大抵三人でここに集まる。私はユニット衣装の繕いだったり、ライブの資料の整理だったりとプロデュース業に精を出し、晃牙くんとアドニスくんは新曲の譜読みだったりライブの演出だったりとユニットのことについて語り合う。
 今日も例外ではなく、教室で作業をしようとしていた私を見つけたアドニスくんは帰ろうとしていた歩みを止め踵を返し、私の隣の席へと腰を下ろす。丁度下校しようとしていた晃牙くんもいつの間にか教室に乱入してきて、当たり前のように私の正面の椅子を引きどかりと椅子に座った。君たちは暇なの、と私が眉を潜めると、晃牙くんは暇じゃねえよ、と言いながらカバンから楽譜を出す。アドニスくんも同じようにカバンから楽譜を取り出して、二人して私の机の上にそれを広げた。仕方がないので半分だけ場所を開けてあげようと、ノートを机の端へとずらす。
 アドニスくんはそんな私に、すまないな、なんて言葉をかけてくれるのに晃牙くんは鼻を鳴らして、狭えよ、なんて乱暴に言葉を吐いた。そしてふと、思い出したように私へと手を差し出す。訝しげに彼の指先を見つめると、晃牙くんは、いつものやつ、と端的に言葉を放つ。彼の言葉がちくりと私の心に棘を刺す。晃牙くんは追い打ちをかけるように、あるんだろ、と鋭く睨みつける。彼の強い口調に観念した私はカバンの中を弄り、丁寧にラッピングした箱を机の上に、ことり、と差し出した。

「何度目だよまったく、あげる気もねえのに豪勢に飾り付けやがって」

 晃牙くんは長い指で紐の端をつまみ、するりするりと解いていく。綺麗にリボン型に成型されていたそれは、いとも簡単にただの紐となってしまった。ああ、昨日三回も結び直してラッピングしたのに。そんな私の気持ちなど知らずに、彼は音を立てながら包装紙を開いて、蓋を持ち上げた。箱から出てきたのは、チョコレートのタルトが三つ。アドニスくんは嬉しそうに顔をほころばせながら、今日はタルトか、と言葉を弾ませる。晃牙くんも、悪くねえな、なんて言葉を口にしながらいちばん手前にあったタルトを持ち上げた。タルトを彩るアザランが夕日を浴びて赤く染まる。先輩の瞳みたいと、それを見ながらぼんやりと思う。

 あの日、渡せなかったチョコレートも、彼らが食べてくれた。次渡せばいいじゃないか、なんてアドニスくんから優しい言葉をかけられて、その言葉通りお菓子を作り続けた。作り続けたのに、どうしても渡せないのだ。いつもラッピングはしている。渡すために三年生の教室まで向かっている。なのに、いざ彼を目の前にすると、気持ちがしぼんでしまうのだ。
 はじめはそんな自分が疎ましくて、勇気を振り絞ろうと頑張っていた。でもじきに、もしかしたらこれを渡せば全て終わってしまうのではないかなんて気持ちも芽生えてきた。2月よりもグンと暖かくなった空気を吸い込みながら、もうすぐ卒業式なんだよな、と頭の中でぼんやりと考える。渡したら、私の中で季節が一気に進んでしまいそうで怖い。もういっそのこと渡さないほうがいいんじゃないか。また鬱々しいため息を吐くと、丁度タルトをつまみあげたアドニスくんが心配そうに私を見て、口を開いた。

「大丈夫だ、お前のお菓子の技術は向上している、俺が保障しよう」
「まあそうだな、最初よりは凝ってるもんな」
「最初って何作ってたっけ」
「お前な……トリュフだろ、あの、簡素なやつ」

 私の言葉に晃牙くんは呆れ果てたように顔を顰めた。気持ち込めて作ったもん忘れてんじゃねえよ。そう吐き捨てながら彼はタルトを口に放り込んだ。
 本当は覚えてるよ、ちゃんと。最初だけじゃない、今まで作ったもの、全部。タルトを口に放りこんで顔を綻ばせる二人を見ながら、先ほどの晃牙くんの言葉を心の中で否定する。最初はそう、簡単で定番のトリュフだった。次に生チョコ、そしてブラウニー。歴代の敗戦者たちを頭の中でくるくる回しながら、私は目を伏せる。どれもありったけの想いを込めた。まあ全て二人の胃袋に収まったのだけれども。いつか、彼の手に渡る日は来るのだろうか。

「まあまあだな」
「俺は好きだぞ」

 私が顔を上げると、二人とも同じように指に付いたタルトの欠片を舐めとりながらにやりと笑った。

「今度はあれがいい、前作ってきた白い、丸い……?」
「スノードームかな?じゃあ次はそれ作ってくる!」
「おいこらてめえ、アドニスに渡すために作ってんじゃねえんだろ、趣旨履き違えんなよ」

 晃牙くんは私の頭を叩くと、一つだけ残ったタルトを包みごとを私に差し出した。ぽつんと箱の中に残っているタルトは、やはり夕日に照らされて真っ赤に染まっている。吹いては飛んでいきそうなアザランを落とさないように恐る恐る持ち上げると、アドニスくんと目があった。彼は私を見るなり申し訳なさそうに眉を下げながら

「すまない、次こそ朔間先輩に渡せるといいな」

 と励ましの言葉を投げかけてくれた。きっと彼らは私の弱い心を知っているのだろう。知っているからこそ、その気持ちがしぼまないようにこうして一ヶ月もお菓子会に付き合ってくれているのだ。私はアドニスくんに一言お礼だけ伝えて、残ったタルトを口へと運ぶ。大人っぽい先輩に合わせてビターチョコレートの割合を多くしたそれは、ほろ苦く口の中で解けた。

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