私の大好きなアイドル_03

「カメラ、もっと寄って、ワイドに!」
「レンズ変えまーす!一度画面切断しますね」
「音声チェック入りますー」
「照明もっと上手に寄って!そう、OKです!」

 方々から飛び交う声を聞きながら私は片手に持っていた香盤表を眺めた。タイムスケジュールから若干押している現場は、少しだけ慌ただしい。綺麗に巻かれたコード類。床に散らばっている場ミリのテープ。天井のライトは煌々と光り、部屋をじんわりと熱気で包む。右腕の腕時計で時間を確認していると先輩のプロデューサーが顔を出して、ちょっと押してるね、と笑った。私も、そんな先輩の顔を見ながら、演者さんが遅れてるんでしたっけ、とはにかむ。

「そうそう、新人アイドルさんだっけ?守秘義務が厳しくて私も誰か知らないのよね」
「ちょっとドキドキしますね」
「そうね、まあ私たちは相手が誰であれ、この企画を成功させることに注力するだけよ」

 ぎらりと輝く先輩の瞳に、私はほうと息を吐く。まだまだ新人の私はこの人から学ぶことは数多い。仕事の内容もそうだけど、仕事への向き合い方、だとか。学院を卒業してそのまま大学で企画の進行を学び、こうしてここまでたどり着けた。もしかしたら羽風先輩が思い描いていた「プロデューサー」とは様が違うかもしれない。あの頃、思い描いていたプロデューサーはアイドルを育てる意味合いが強かったように思えたが、結局こうして選んだ道は、企画を遂行する、の形に近い。それでも、私は別に後悔していない。

 私は現場をぐるりと見回した。音声の入り具合をチェックする人、写り具合、画角や構図などを決めている人。台本とコンテを見比べながら今日の進行を確認する人。こうしてばらばらに動いている点が、本番になると一本の太い線になる。その、本気と本気がぶつかり合う瞬間が、私はとてつもなく好きだった。学院のドリフェスでも、表立って歌うアイドル、その裏で照明を当てたり、音声のミキサーで音を調整したり、様々な人が動いて一つの「作品」を作り上げていたことを思い出して胸が静かに、熱く滾る。

「演者さんはいります!」

 アシスタントディレクターの声に私ははっと我に返り姿勢を正す。香盤表を挟んだバインダーを胸に、入り口の方へ視線を向けた。元気良く、挨拶。プロデューサー業を始めて、一番最初に教わったことだ。一度軽い呼吸をし、私は入り口を見据える。スタジオの騒然とした空気が、まるで糸を引っ張ったようにぴんと張り詰める。皆の視線が集中したドアはゆっくりと開かれて、ディレクターの人が先導するようにスタジオへと足を踏み入れた。どうぞ、こちらへ。ディレクターの声が響き、私は胸中に挨拶の言葉を準備した。が。

 瞬間、世界が止まったような気がした。導かれるように入ってきた”演者さん”は、あの頃と同じ少し長い襟足をなびかせて、足音をスタジオに響かせた。天井の大照明の光を存分に受けて、金髪の髪の毛がきらきらと光る。見覚えのある、しかし大人びた顔つきをした”羽風薫”は、あの頃と同じ人懐っこい笑顔を浮かべ、ぺこりと頭を下げた。

「遅くなってすいません、お疲れ様です、本日はよろしくお願いします!」

 あの頃。好きに問題なく過ごせればいいと口癖のように嘯いていた彼の口から出たとは思えない明瞭な響きに、私は言葉を忘れて、ただ頭をさげる。下げた瞬間、スタジオを見渡す彼と視線が絡み合った気がした。彼は私に気づいたのか、いや、もうあれから数年経っているのだ。それに現場の1スタッフの顔なんていちいち確認しないだろう。スタジオ中に響き渡る、よろしくお願いします、の合唱に耳をそばだてながら、私はただただ彼に頭を垂れていた。

 どうやら今日は羽風先輩一人らしく、現場に到着した彼は挨拶もそこそこにそのまま更衣室へ。主役の登場ににわかに活気ついた現場は、先ほどよりも少しだけ賑やかに収録準備を進めていく。バインダーをめくり仕様書と内容を再チェックしながら、私は先ほどの羽風先輩を思い出していた。てっきり四人でUNDEADを続けると踏んでいたので、一人で登場した彼の姿に頭の隅で思考の糸が絡まり合う。考えたら卒業してから晃牙くんともアドニスくんともほとんど連絡をとっていない。とったとしてもお互いの近状報告、というよりは、元気か、生きているか、肉は食べているか、で会話が終わってしまっていた。もしかして、四人ともバラバラで活動しているのかしら。大いに可能性はある。

「羽風くん……ってあれよね、高校のときに学生アイドルしてた子よね?」

 先輩がぽつりと呟く。その言葉に明確に返答をしていいか迷った私は私は曖昧に笑みをこぼした。彼女はそれを、私が知らない事柄、と判断したらしい。まあマイナーだったからねえ、と容赦ない一言を吐くと、その会話を終えてくれた。考えたってらちがあかないことは考えないようにしておこう。一度大きく息を吐いて、私は現場を見据える。そうだ、彼らがどうであれ、きっと前に進んでいることは間違いない。私も、頑張らないと。

 数十分かけて羽風先輩は衣装を纏い現場へと戻って来た。マネージャーがすかさず彼にお水を渡し、羽風先輩はそれを受け取りお水に口をつける。大元のプロデューサーが羽風先輩に近寄り、幾度か言葉を交わして、そして目線を私と先輩プロデューサーに投げた。お二方も一緒に話を。そう言われ駆け足で彼らの元へと駆け寄る。これってもしかしてばれるんじゃないのか。内心ひやひやしながら羽風先輩の隣に立つと、彼は私と先輩の顔を見て、今日はよろしくお願いします、と笑顔を浮かべた。ただ、それだけだった。私も先輩も、よろしくお願いします、と返事を返し、そのまま本日の収録の内容の打ち合わせに入る。

 拍子抜けをした、といえばいいのだろうか。胸中に寂しい風が吹き抜ける。あれだけ一年愛を囁いてきた人が。あれだけ一緒にいた人が。たった数年のブランクで気付かなくなるものなのか。彼から漂う香りは悔しいがあの、学生の頃に感じた匂いと同じで、つんと涙腺を刺戟する。決して泣くものか、と私は資料とプロデューサー交互に眺めながら、仕事内容をただただ頭に入れる。ただ、視界に入る羽風先輩の端正な横顔は、あの頃の面影を残しながらも、悔しいほどにカッコよく、そして真剣な眼差しで仕事と向き合っていた。卒業してからきっと、たくさんのことを積み上げたのだろうと、久しぶりに会った私でもわかるくらい、精悍な顔立ちをしていた。

「――ということで、本日の予定は以上です」
「わかりました、怪我のないようにだけ気をつけてくださいね……ほら、あんたも」

 小声で先輩にせっつかされて慌てて頭をさげる。本日はよろしくお願いいたします!後から付いてきたような言葉に羽風先輩は笑い声を上げながら、今日は美人さんがたくさんいるから、いつもより頑張れちゃうかも、と軽口を叩いた。そして

「新人さん?緊張しなくていいよ、頑張ってね」

 と私の方を数度叩いた。軽く叩いたつもりなんだろうけど、肩に乗せられた手はひどく重い。そうか、もう気付いてないのか。見えないように下を向いたまま唇を噛み締めて、一度顔にシワを寄せる。そして一度小さく頷いて顔を上げると

「良い収録になるように精一杯尽くします」

 となんとか笑顔を作った。彼はその笑顔を見るなり嬉しそうに顔を綻ばせて、そうそうやっぱ笑顔じゃないとね、と笑った。遠くの方で羽風さん!と彼を呼ぶ声が聞こえる。羽風先輩は、はあい、と声を上げて、さりげなく、本当にさりげなく私のバインダーになにかを滑り込ませて、声のする方へ駆け出した。どうやら隣にいた先輩プロデューサーもそのことに気がついてないようで、現場を縫うように進む彼の後ろ姿を見つめながら、やっぱアイドルってキラキラしてるのね、と嘆息吐いた。

 もしかしたらごみが落ちてきただけかもしれない。そう思いながらも何気なく滑り込まされた紙をひっくり返す。そこに書かれていたのは11桁の番号。そして短い、一行だけのメッセージ。

 不意にこみ上げる涙を乱暴に拭き抜くと、先輩プロデューサーがどうかした?と首をかしげた。汗が垂れてきちゃって、とごまかす私に、照明が点くと暑いもんねえ、と彼女は苦笑をこぼす。そんな先輩にばれないように小さな紙切れを私はバインダーのポケットに、無くさないように丁寧にしまい込む。

『090-××××-×××× 会いたかった、収録が終わったら連絡して』

 リハーサルはいります!とADの声が響く。元気良く声を上げて、ステージに立ち上がった彼を見つめた。照明に照らされた彼はあの頃よりも一等に輝いていて、でもあの頃と同じような笑顔を浮かべながら、一つウィンクをこぼした。

「俺の本気、見せてあげよう」

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