DropFrame

OTHK_01

 取れかけのボタンを縫い付けていると、よく気がつくんだな、と椅子にもたれかかりながら頭を垂れる大神が呟いた。その声があまりにも、いつもの自信に満ち溢れた声とは懸け離れていたから、私は思わず、泣いてるの?と彼に聞いた。大神は質問に答えなかった私に噛み付くでもなく、静かに、泣いてねえ、と返事を返した。確かに彼の言葉通り床には涙の後など落ちていないし、耳だって赤くない。耳を澄ましてみても鼻をすする音すら聞こえてこない。しかし彼の顔はやはり床一点を見つめたまま、どういう表情をしているかここからではわからなかった。
 落ち込んでるの?と私がさらに問うと、落ち込んでねえ、と彼はぶっきらぼうに言ってのけた。ふうん、と私が軽く返事を切って裁縫を再開すると、教室には自然と沈黙が訪れた。不自然なほどに大きく響く秒針の音と、かすかに聞こえる私と大神の呼吸の音。裁縫を進める音がそれこそもっと大きく響くものならこの空気だって少し楽しくなるのに。私の気持ちとは裏腹に針は音もなく布をすいすい泳いでいく。外はとてもいい天気だと言うのに、今この教室は曇天のような、重苦しい空気に満ちていた。

「羽風先輩さ、昨日私になんて言ったと思う?」

 私の声に、大神がぴくりと反応したが返事はない。これは続けていいという合図なのだろうか。まあ断られても進めるけれども。秒針に合わせて針を動かしながら、私は言葉を続ける。

「俺のこと忘れないでねって、そうしたら隣にいた朔間先輩も我輩のことを忘れてくれるなよってさあ
 無理だよねえ、忘れるなんて、できっこないのに、あんな濃い人たち」
「そうだな」
「羽風先輩と朔間先輩だけじゃないよね、たくさんのひとがいなくなっちゃったね。
 紅月なんて神崎しかいないじゃん……でもあの子ならきっとやっていけるだろうけど」
「そうだな」

 あまりの反応の雑さに君の語彙力はどこへいってしまったんだ、と問いただそうとしたが、彼のうなだれている姿を見て私は閉口した。こんな大神、見たことない。ライブで失敗した時でさえそれこそ八つ当たりのように喚き散らす彼が、こんな弱っているなんて。これでは” 狼”の名折れではないか。

 しかし、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。今までーー好きか嫌いだかは別としてもーーずっとそばにいた先輩方が昨日卒業してしまったのだ。プロデュースで関わった程度の私でもとても寂しいのだから、同じユニットであった大神の寂しさなんて計り知れない程なのだろう。諍いあってたけど、仲が良かったもんね。

「寂しいね、アンデッドだって大神とアドニス君だけになっちゃったし」
「別に寂しくねえよ」

 突然刺々しい言葉が返ってきて私は苦笑を漏らした。大神はようやく顔をあげて私の方へと目線を移して、なんだよ、と顔を歪める。なんにもないよと私は彼に微笑み、視線を布に戻した。泣いてたらどうしようかと思った。彼の赤く腫れていない目を見て、私はほっと息をついた。

また教室には静寂が訪れる。時折さざ波のように布ずれの音が、椅子に体重をのせる音が、申し訳なさ程度に教室を揺らす。なんだかこの空間だけ時間が凍ってしまったかのよう。凍るのならば、昨日の、卒業式の前だったら良かったのに。どこか虚空を見つめる大神越しに、私は昨日見た光景を脳裏に描く。



 いつも大きな背中だと思っていたのだが、正装に身を包んだ先輩方の姿は、今まで見た中でも一等に大きかった。いつもは可愛いと持て囃される先輩も、騒がしいと邪険にされる先輩ですら、一人の大人として、その場に整列していた。

『ご卒業おめでとうございます』

 卒業式後にたまたま出会った羽風先輩は私を見つけると嬉しそうに小走りでやってきた。いつもならたじろぐ所だけれども、明日から会えなくなるのかと思うと、胸の奥がちくりと痛んだ。羽風先輩が私に軽口を並べている間に、悠然と朔間先輩もこちらに歩み寄ってきた。やはりユニット同士仲がいいんだなあと、同時にもうこの姿も見れないのかとまた心に棘が刺さる。

『これからは頻繁に会えなくなるんだね、俺寂しい』
『私も、羽風先輩にも朔間先輩にも、とてもよくしてもらったので寂しいです』
『そう言ってくれるな、これからもあの二人をよろしく頼むぞ』
『そそ!アドニスくんは心配ないけど晃牙くんがちょっと心配だよね』
『薫くんの言う通りじゃ、ワンコはあんな性格じゃろ、我輩たちがいなくて大丈夫かどうか……』
『その前に介護者がいなくて大変なんじゃない?朔間さんは』
『しばらくは薫くんにその役目を頼むかのう』
『げー、俺女の子じゃないとやる気でないから、いくらの朔間さんの頼みでもそれはごめんね?』

 そこまで言うと羽風先輩はふと私を見つめた。ふうん、と意味深に笑うと、

『まあでも……晃牙くんは転校生ちゃんがいれば問題ないかな?』
『どういう意味ですか?』



 遠くの方で、楽しそうな笑い声が聞こえる。鳥の鳴き声が聞こえる。なんだか別世界みたい。窓硝子一枚しか隔ててないのに、まるでこれで世界線の境界が区切られているかと紛うくらい、この空間は静寂で、空虚だった。
顔をあげて大神の方を見ると、彼は今度はなにかを思い詰めるように天井を仰いでいた。しかし不思議なことにその横顔に悲痛の色はない。むしろ何かを決意したかのような、精悍な顔つきに見えた。

「...…大神」
「お前は……」

彼は天井からじろりとこちらに目線を投げる。体勢を変えたからか、椅子がぎしりと短い悲鳴をあげた。椅子から身を乗り出す形で、彼はじいと作業中の私を見つめて、眉間にしわを寄せる。いつも不機嫌にゆがんでいた唇が、何かを伝えようとぴくりと動く。が、出てきたのは言葉ではなくよく聞く舌打ちで、大神は興ざめしたかのようにそっぽを向いてしまった。

「よく喋るな」
「黙ったほうがいい?」
「勝手にしろ」
「勝手にするよ晃牙くん」
「なんだそのいい方」
「羽風先輩の真似ですけど」
「いねえ奴の真似すんなよ」
「……やっぱ寂しいんじゃん」
「……寂しくねえよ」

 寂しがってんのはお前だろと、彼は吐き捨てる。違いないなあ、私が笑うと大神はひどく不愉快そうにまた舌打ちをした。そうして馬鹿野郎と一言吐き捨てて完全に私に背を向けてしまった。いったい彼は何を伝えたかったのだろうか。今となってはそれはわからない。しかし大神の気まぐれなんて今に始まった事ではない。私はまた針を布にくぐらせながら、彼に語りかける。

「大神もしっかりしなくちゃね」
「うるせえ」
「来年は私たちの番だからねえ」

 桜が舞う。別れを演出するかのように、風に舞って流れる。泣きはらした目で笑う人や、飄々と去っていく人、別れを惜しみ大騒ぎしながらも校門をくぐる人。たくさんの、たくさんの人たちが昨日、この学園から去っていった。その事実にずきりとまた心が軋んだ。別れがない出会いなんて、この世にはないことなど、わかっているはずなのに。ぽつりと、来年は私たちの番なのか、と復唱するとまた心に棘が刺さった。昨日の今日で少しおセンチになっているようだなあ。大神はそんな私の様子に、自分で言って傷ついてんなよ、と言葉を投げる。

「こうやって、別れを惜しまれるような人になりたいよね」
「惜しまれたいのかよ」
「そりゃあね」

 少しの沈黙の後、彼がぼそぼそと、俺様が別れを惜しんでやるよ、と言ったのが聞こえた気がした。

「一緒に卒業するやつに惜しまれたところで?」
「うっせ」
「でも卒業しても連絡は取り合いそうじゃん、私たち同期なんだし」
「……てめえは鈍感だな」
「さっきよく気がつくなっつったじゃん、前言撤回はやすぎない?」
「うるせえよにぶちん野郎」
「野郎じゃないよガールだよガール、17歳、ピチピチガール!」

 自慢げに私が胸を叩くと、大神はちらりとこちらを見て、やはり不愉快そうに顔を歪めて馬鹿じゃねえの、と吐き捨てた。そうして振り返ることもせずに椅子に肘をついてじいとこちらを見つめている。

 ようやく縫い付けた針を剣山に刺して、布を幾度か伸ばして強度を確かめる。大神はおもむろに立ち上がってこちらに歩み寄ってくるから、もしかしてどう縫い付けたのか見たいのかな?と私は机の上に修復した衣装を広げた。しかし彼は私の前に仁王立ちをして、衣装を見るではなく、じいと私の顔を見つめてきた。彼が音もなく机に手をつける。衣装が彼の重みでゆるりと引かれる。徐々に近づいてくる彼の顔に、私はふと、昨日の会話を思い出した。



『ククク……我らが気づいてないとでも思ったか?』
『わかりやすいからねえ、卒業までに二人がくっつくの見れなかったのが悔やまれるなあ』



 初めてはレモンの味だとか言うけど、あれは嘘だと思う。ほんのりと香るソースの匂いに、そういや大神ってば昼ごはん焼きそばパンだっけ?とどうでもいいことばかりが脳裏に浮かぶ。

「なんで避けねえんだよ」

 彼は今日一番不機嫌そうな顔をして、私を見下ろした。思ったより柔らかかったとか、近づいた時の香水の香りにクラクラしただとか、焼きそばのソースだとか、伝えたって怒られそうなことばかりが喉から出てきそうで、私は口を真一文字に結んだ。でもこのままじゃ大神がどこかへ行ってしまいそうな気がしたから、彼の手首をしっかりと握る。先ほどまで静寂に包まれていたのに、まるで凍った時間が解けたかのように心の早鐘がうるさいほどに鳴り響いている。

「……気がついてたって言ったら?」
「とんでもねえ悪女だと思う」
「なにそれ、好意もってる女性にいうセリフ?」

 私の軽口に、彼はばつが悪そうに顔を背ける。そうして言葉を舌先で転がすように、かすかな声でぼやきを漏らした。

「……あの、吸血鬼野郎の事が好きかと思ってた」
「残念ながらはずれでしたねえ」
「いつも隣にいたじゃねえか」
「そりゃあね、朔間先輩の隣にいたらね、君がくるわけじゃないですか」

 今度は驚いたように私を見て、くそが、と言い放った。強く言い放たれたその言葉が、ようやくいつもの大神の調子のような気がして、私の頬は勝手に緩んでしまう。笑ってんじゃねえよ!と彼が噛み付くと、やはり嬉しくてさらに顔が緩んでしまった。やっぱり私はいつもの元気が良すぎる大神が好きだ。意地っ張りで素直じゃなくて、乱暴だけど、そんな大神が好きなのだ。



『とっても寂しいけど、じゃあ、君も元気で。うまくいくことを祈っているよ』
『ワンコと仲良く、な』



 「大神、私ね、君のことが好きだよ」

 加速した時間は止まることを知らない。残された時間だって多くはないだろう。でもこの後の一年は誰かの隣の君ではなく、ちゃんと君の隣で立って歩きたいから。

「よければ私と、付き合ってください」




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