いつか夜が明けたら迎えに来て_11

 マモンはあの後誇らしげに『私』からのイヤリングをつけ直して「まあこんな偽物、俺様には似合わねえけど?」だの「いつかおまえにも本物を見せてやるよ」だの道中嬉しそうに言葉を放っていた。私のイヤリングはポケットの中。「うん」やら「そうだね」やら彼に言葉を返しながら、ポケットの中のそれをまさぐる。
 ポケットの中に入っているイヤリングは、私がこちらへ来たときに唯一身につけていたものだ。言わば相棒。大げさに言えば魂の半身。そのくらい大切なものだった。
 だからちょっと『私』がそれをマモンに渡した経緯を知りたくなった。もしかして『私』はそんなこのイヤリングに思い入れがなかったのかもしれないし、渡してもいいほどのなにかを、マモンに感じていたのかもしれない。

 間髪入れずの再来訪を殿下とバルバトスは温かく迎えてくれた。そうして訳知り顔でバルバトスは部屋へと案内してくれる。なにも知らないマモンだけが「顔パスかよ……」なんて見当違いなことを言っていたけれど、面白いからそのままにしておこうと思う。
 そうしてバルバトスの部屋の扉へと戻ってきた私に、彼は「一人で行けますか?」と尋ねる。私は頷くけれど、後ろに付くマモンは露骨に顔を歪めた。バルバトスに腕で制されたが、唸るように私を見て、彼は言葉を吐き出す。

「こんな状態で、ひとりで行かせられっかよ」

 あの日が、フラッシュバックする。あれは城のホールの中だったけれど、心配する声音は何一つ変わらない。

「――ひとりで行くよ」

 今度はちゃんと、帰ってくるから。微笑めば、マモンは複雑そうに顔をゆがめながら、しかし存外素直に引いてくれた。バルバトスが部屋へと続くドアを開けてくれる。私は会釈をして、彼の部屋に踏み入った。

 膨大な階段と扉。だけどわかる。私は私がやってきた扉まで、まっすぐに駆け上がった。見れば、何一つ不思議なことなどない扉だった。ここをノックして扉を開ける。そうすれば、私の世界へ戻ることが出来る。
 ポケットからイヤリングをまさぐる。イミテーションのそれは相変わらず嘘みたいにチープでシンプルで……懐かしい思い出が巡る。友達と一緒に買ったこと。マモンと一緒に探し回ったこと。たまにRADへつけていったけれど片方だけでは不格好だとアスモに言われたこと。大切なんだな、とサタンに微笑まれたこと。
 呼吸を正してノックをし、ドアノブに手をかけた。引いてみれば目の前には底なしの闇が広がっていた。その闇が消えた可能性なのか、この時間軸とは違うから見えないだけなのか、それはわからない。
 私はしゃがみ込んでまるで雛流しのようにイヤリングを扉の向こうで転がした。それは床を転がるようにゆっくりと、闇に包まれていく。

「私はこれしか返せないから」

 そうして数十秒かけて、イヤリングは見えなくなった。私はただただ、その虚空を見つめる。向こうには、何も見えない。だけど懐かしい思い出が匂い立ち、誘うように生ぬるい風が踝をさすった。

「(ありがとう)」

 出会った当初の彼らの顔が浮かぶ。異文化交流に困惑した顔。そんなもの食べられないと困らせたとき。契約を迫ったときの眉を寄せた顔。内緒で買い食いをして、晩ご飯をこっそりベールに分け与えた夜。課題が追いつかなくて、サタンに泣きついた日もあった。アスモに香水をもらって振りかければ、リア充の匂いがするとレヴィに嫌な顔をされた日もあった。苦い思い出も嬉しい思い出もいつでも、彼らとともにあった。
 一生に比べれば、本当に僅かな期間だった。だけどただ無為に過ごす毎日よりも数段濃い思い出に、我慢していた涙がぼろぼろと流れる。

 行き来をしないことを察したのか、扉は勝手に閉まっていく。ばたんと、空気が漏れる音。私は扉に額をこすりつけて「ありがとう、いままで」と言葉を零していく。ずっと忘れててごめん。帰れなくてごめん。約束を守れなくてごめん。それでもありがとう。そばにいてくれて。信じてくれて。

 ポケットが震える。D.D.D.の着信だ。見ればマモンから怒濤のようなメッセージが届いており、私はゆっくりと顔を上げた。

「(さよなら)」

 立ち上がり扉に背を向ける。D.D.D.は震え続ける。アラームのように、しつこく、何度も。私はそれを導のように階段を下りる。
 振り返ればまるで無数の選択肢に埋もれるように、扉は見えなくなっていた。これでよかった。私は廊下へと続くドアノブに手をかけて、彼らが待つ場所へと、ゆっくりと押し開けた。

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