城下町は今日も賑やかだ。街を囲むように高くそびえ立つ外壁。その外壁を沿うように立ち並ぶ様々な店。その店の一軒、街の入り口とお城の丁度中間地点にあるパン屋が、私の生家だ。パン売り場の脇には勿論、広場に面した入り口近くにも買いたてのパンがすぐに食べれるように幾つかテラス席を設けており、開店から閉店まで人の影が絶えることはない。
だからだろう。この店で働いていると、街を歩くよりもずっと、この街の情報が耳に入る。例えば数ヶ月前に近隣の魔物を一掃するために『暗黒騎士』なるものがやって来たりだとか。その『暗黒騎士』なるものは胸に黄金の薔薇をつけているだとか。やって来た『暗黒騎士』は皆容姿端麗だとか。
数ヶ月前、彼らがやって来てからと言うもの街の人々が口にするのは彼らの話一色だ。今日も耳にしてしまった噂話を笑っていなしながら、焼きたてのパンの配膳をする。遠くで広場の時計台の鐘の音がなる。十二時の合図だ。父親である店主がこちらに視線で合図を送り、私は配膳を終えるとそのまま厨房へ。商品とは別に置いてある失敗作のパンが詰まったバケットを持って裏口へと出れば、今日もまた、件の『暗黒騎士』様が剣を振っていた。
パン屋の裏手、建物と外壁に挟まれたそこには陽光は殆ど差し込まない。僅かな陽光は彼の切っ先に集約されて、剣が舞う度にきらきらと光る。パン屋と外壁の間は僅かに空間が有り、人も滅多にやってこない。休憩の時間になるとこの場所で廃棄のパンを食べるのが日課だったのだけれど――いつからか、彼がやってきた。明確な日時は覚えていないけれど、彼曰く『人目のないところを探していた』と。『近くに演舞を披露するから、その練習がしたい』とのことだ。別に私有地じゃないからと伝えれば、彼は頻繁にここへとやってくるようになった。名前は『大神さん』という。『大神様』や『騎士様』と呼べば露骨に眉を寄せるので『大神さん』に落ち着いたのだ。
青空に煙を吐く煙突。陽の粉が空気中に散らされて、ちかちかと光る。練習と称しているだけあって、初めはぎこちなかった演舞も、随分に流暢だ。
気になることはいくつかあって、例えば『近くにある本番』はいつなのかと言うことと『平民も見ることが叶うのか』ということ。本番は騎士様四人で舞うそうなので、おそらく相当綺麗なのだろう。そういえば大神さんはこの時間ずっとここで練習をしているけれど、いつ魔物を倒しているのだろう。それと、他の方々とは練習しないのだろうか。
気になれば気になることは沢山あって、私は黙ってパンを食んだ。大神さんはそれを見ると剣を止めて、長く息を吐いてこちらへと歩み寄ってくる。
「今日も、魔物退治に行かないんですか」
到底店に出せない形の崩れたパンを食んでいる私に大神さんは「うっせー」と口にしながら私の隣――店の裏口へと続く階段に座り込んだ。騎士様が座り込むには随分と粗末だとは感じたけれど、生憎お尻に引ける布なんて持っていない。持っているのは廃棄の――早朝に私が練習として作成しているパンだけ。彼は指先を噛み手袋を外すと、バケットに入った形の悪いパンを一つ取り上げた。
「上達しねえな」
本来なら膨らむはずのパンは、岩のように硬い。
「材料は同じはずなのに不思議ですね」
店に並ぶパンは空気を沢山吸ってまあるく膨らんでいる。少なくともこんなにでこぼこと堅い代物ではない。
「大神さんならお店の商品も献上して貰えると思うんですけど」
「興味ねえ」
「でも美味しくないでしょう?」
「腹が膨れりゃ関係ねえよ」
そういうものなのか。パンを食む私の隣で彼も大きな口を開けてパンを食んだ。
のびのびとした、鳥の声が聞こえる。ひと棟建物を挟んでいるから喧噪は遠い分、自然の音がよく聞こえた。外壁の向こうは森があるらしい。ここからでは灰色の壁しか見えないけれど、よくよく耳を澄ませれば、喧噪よりも小さく微かな音で、葉が擦れ合う音が聞こえた。
「テメエはこのパン屋を継ぐのか?」
見たこともない森の音を拾っていたら、大神さんがそう話しかけてきた。ぽろぽろと落ちるパンくずを地面に落とせば、人慣れをした小鳥たちが分け前を求めにこちらへとやってくる。
「どうなんでしょう。才能がありそうなら継ぐんですけど」
地面を跳ねながら彼らはパンくずを啄む。大神さんもそれを見てパンをちぎり、小鳥たちの目の前にそれを落とした。ぱらぱらと、パンの雨が降る。小鳥たちがまた、どこからともなくやってきた。
「折角練習してるんだから、続けろよ」
そうしてまた彼は大口を開けてパンをかじる。焼きすぎたパンの表面がまた、ぼろぼろとこぼれ落ちる。
「最初よりは美味いからよ」
「……ありがとうございます。優しいですね」
「おう、覚えとけ。俺様は優しいんだ」
「覚えておきます……大神さんも演舞、成功するといいですね」