夜闇は影を塗りつぶす。月明かりの細やかな光に照らされて、床に伸びるそれは随分と薄く頼りない。
フローリングに身を投げ出せば、月明かりの冴えた光に冷やされたそれが、皮膚の熱を奪っていく。先ほどまで布団にくるまっていたからか、余計に冷たく感じる。頬をこすりつければ、別れを惜しむように頬がフローリングに吸い付く。
つめたいなあ。気持ちいいなあ。
目を細めながら、私は部屋の中心へと視線を投げた。暗闇に慣れた瞳が同じようにフローリングの上で寝転ぶ彼の姿をしかりと捉える。ずっとこちらを向いていたのか、それとも偶然にも視線が交わったのか。紅の双眸は視線が合うや否や嬉しそうに細められて、鈍く光る。この部屋の、唯一の灯火だ。
指先を伸ばせば彼の柔らかな頬に触れた。嫌がる素振りもなく彼は目を細め、そして躊躇なく口を広げた。鋭く尖った犬歯が月明かりを滑り、ちりりとその切っ先が光る。
「だめだよ」
と、私。
「だめじゃないよ」
と、彼。
凛月くんは私の言うことなど、聞いてくれやしない。いやきっと、誰の言うことも聞くことはないのだろう。
嬲られるように舌は指を這い、時折歯を突き立てられる。血を飲みたいのか、それとも指を舐めたいだけなのか。ただ確かなのはフローリングに熱を奪われる一方の私の指先だけに、扇情的な熱が灯っている。彼の熱。彼の体温。安心とはほど遠い、艶やかな熱。
指先にちいさな痛みが走る。蓄えられた熱はその一点に集中し、血液に乗り身体中を巡る。
「おいしい?」
「別に」
でも、嫌いじゃないよ。そう言い継いで凛月くんはまたぺろりと指先を舐めた。カーテンの隙間から月明かりが差し込む。彼の柔く透き通る肌に、線を描く。
「……愛しい?」
言葉遊びのように紡がれた言葉に、凛月くんの舌は動きを止める。そして不満げに「どこで覚えてきたの? セッちゃん?」と声が濁る。あからさまなその声色に喉の奥で笑い声を転がせば、彼は不機嫌そうにまた、指に牙を立てた。皮膚が張り、破れる。小さな痛みがまた、指先に火を灯す。
「だってあんまり言ってくれないから」
「言えばいいってものじゃないでしょ」
「まあそうかも」
遠く、どこかで鳥の声が聞こえる。夜が明ける合図だ。空の一番暗い時間を知っているのも、朝の訪れを感じ取るのもいつだって鳥なのだと、どこかの誰かの言葉を思い出した。
「もう寝る時間だよ」
「このまま寝よう?」
甘えたがりの彼の声。指先を抜き取り軽く腕を広げれば、凛月くんは甘えるように飛び込んでくる。
「このままベッドまで運んで」
「私女の子だからね。それはちょっと出来ないなあ」
「まーくんなら運んでくれるのに?」
「衣更くんは男の子だからねえ」
フローリングはまだ冷たい。月の明かりを夜中吸い上げたから、私たちの熱ごときではきっと暖まらない。
まだ暗い部屋の中、確かな熱を抱いて目を閉じる。「すきだよ」と胸の中で言葉が落ちた。なによりも温かくて、嬉しい言葉だ。
私は彼の背中に手を回しながら「わたしも」と小さく、空気を震わす程度の声量で、そう呟いた。