DropFrame

かわいいひとの話

 柔らかなゴム畳みの上。彼の妹の話を聞きながら、私は布に針を泳がせていく。鉄虎くんは補習に出ているため、まだ教室にいるらしい。しばらくは、二人だけの空間。彼の他愛もない話以外は、時計の音と、窓越しに聞こえるくぐもった生徒たちの声しか聞こえない。

「あいつ、妙に丁寧にラッピングしててよ」

 先輩も、私の隣で衣装のほつれを縫い合わせていく。骨張った指が布に針をたて、まち針で止められた布をたわませて、針を押しだし、糸を引き出す。私とは違う、大きく、ごつごつした手から紡ぎ出されるその丁寧な捌きが、視界の端でちらつく。伸びていく糸や、蛍光灯を鈍く返す針や、縫い合わされる衣装。大きな背中が僅かに丸まり、彼の端正な横顔が、たまに布に近づいては離れていく。針山には色とりどりのまち針が刺さっており、おそらく小学生の頃に使っていたのだろう。細字の油性ペンで書かれた、所々輪郭の剥げ落ちた『きりゅう』という文字が、随分と愛らしい。

「どんなヤツにやるんだかしらねえけどよ」
「男じゃねえだろうなと」
「やっぱ心配になるんだよな」

 布の上を針が泳ぐ。息継ぎのように顔を出す度に、先輩は『お兄ちゃんらしい言葉』をぽろぽろと零していく。白い糸が伸びる。白熱灯に照らし出された針は天井に近づき、その輪郭が鋭く光った。

「妹さん、可愛いですか?」

 針を立てようとしていた彼の指が止まった。視線がこちらに向き、彼の口元が、言葉を選ぶようにまごつく。もしかしたら声に険があったのかも。慌てて「よくお話されるので、仲がいいのかな? って」と笑えば「仲がいい……つってもいいのか、わかんねえけどよ」と彼は照れくさそうに笑った。
 先輩の話を聞いていると、自分の狭量が嫌になってくる。誤魔化すように下を向いて、自分の修繕している衣装と向き合った。あまつさえ彼の肉親である『妹』に、嫉妬を抱くなんて。
 絡まり始めた感情の糸を悟られぬように、私は布に針を立てる。視界の端の先輩の指は動くことなく――暫くして、先輩の声が降ってきた。「可愛いぜ」

 なんてことなく言ってのけるその言葉に、感情がまた複雑に揺れる。だめだ、こんなことをおもってはいけない。そう理解はしていても、いいなあ、なんて感情は心にこびり付いて剥がれてくれそうにもない。

「そうなんですね」

 せめて明るく言ってのければ、頭が乱暴に撫でられた。顔を上げれば先輩は

「同じくらい可愛い」

 と、嬉しそうに笑っていた。

「あ!? 違うそういう意味じゃなくってですね?!」
「そうなのか? 言って欲しいのかと思ったんだが」
「いや、まあその……えっと……? そのですね……」
「同じくらい可愛い。妹も、お前も」

 そうして先輩は大きく私の頭を撫でると、何事もなかったかのように針子作業へと戻っていった。取り残された私は針を進めることも出来ないまま、ただただ嬉しそうなその横顔を、暫く眺めていた。