「起きていたのか」
ユニットリーダーの体質上、彼のステージは夜が多い。故に、彼の帰りは日付を跨ぐことが常だった。
夜の帳が下ろされて、テレビもぽつぽつと深夜の番組へと切り替わる時間。お昼のそれより奔放な映像を垂れ流しながら仕事をしていたら、遠くから鍵の回す音が聞こえた。次いで、扉の開く音。靴を脱ぎ、僅かな足音。リビングと廊下を繋ぐドアを開けた彼は、私の姿に少々驚きながら、そう言ってのけたのだ。私は「おかえり」と彼の方を見て「まだ起きてたよ」と言葉を返す。
「そうか」
彼はそう言うと、吸い寄せられるように私の隣へと腰を下ろした。存分に北風を浴びてきたらしい、その身体は随分と冷たい。疲れを吐き出すように細く長く息を吐く彼に「お疲れ様」と言葉をかければ、彼は力なく笑って「ああ」と私の方に頭を寄せる。
「今日はね、起きておこうと思ったの」
「仕事をしながらか? ……あまり、根詰めないほうがいい」
「さっきまで仕事をしていた人の言葉?」
喉で笑いを転がせば、アドニスくんはその眉宇を寄せた。そうして「そうだ」と彼は開き直る言葉を吐き出して、隙間を埋めるようにこちらへとぐりぐり寄りかかってくる。肌に滲む仄かな体温。夜の透明な空気を吸った彼のコートはそれをかき消す程に冷たくて――そして僅かに、冬の香りがした。
「ご飯は食べてきました?」
「ああ」
「なら、お風呂に入ってもう寝ます?」
彼が身体を起こしたので、今度は私が甘えるように彼の肩に寄りかかった。冬の香りを纏ったファーが頬を擽る。柔らかくて、くすぐったくて。
目を細めればアドニスくんは寄りかかる私を起こして、ソファから立ち上がった。視線で追いかければ、アドニスくんは笑って「コーヒーを貰おう」とポットの方に歩いて行く。
ポットの近くにある洋服掛けにコートを掛ける彼を見ながら、私は深くソファにもたれかかった。おそらくまだ水が入っているはずだけれど、夜も深まるこの時間。寝ないつもりなのかな、と訝しみ彼を見れば、アドニスくんはふっと笑った。
「折角お前が待ってくれたんだ。今度は俺が、お前を待とう」
道すがらのケトルのボタンを押すアドニスくん。ぽこぽこと、ケトルの中の水が揺れる。泡の弾ける音を聞きながら、やさしいなあ、と一口コーヒーを飲み込んだ。