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帰り道の話

 晩ご飯の香りが、街の空気に溶ける夕方。赤く焼けた街路樹、石畳を叩く靴の音。こつこつ、こつこつ。緩慢なリズムに乗って、長く伸びた影も揺れ動く。暮れまでに巣に帰ろうと鳥たちは忙しなく飛び回り、寝ぼすけのコウモリたちは空きだした空を闊歩するように、右往左往と楽しげに宙を泳いでいる。

「腹が減ったな」

 零れる言葉に、私は彼を見上げた。食事を食べ、あんパンを食べ、そうして小腹が減ったと食堂へと足を運んだアドニスくん。勿論それに見合うくらい運動していることは知っているものの――男子高校生というのはすごいと、いつもながらに思ってしまう。

「何か軽く食べていく?」

 夕暮れ時、帰れば家に夕食が待っていることを知りつつも、悲しげに嘶く腹の音を無視することもできなかった。眉を下げた彼は私の言葉に僅かに表情を晴らしたが、すぐにその顔を曇らせる。少しだけ、歩調を弱めた彼は「姉たちに」とぼそりと言葉を落とし、ため息を吐いた。私も彼の歩調に合わせながら「お姉さんたち?」と、途切れてしまった言葉を繰り返す。

「姉たちに、怒られてしまう。この間大神と買い食いをして帰ったことがあったのだが」
「うん」
「食べた分、晩ご飯が入らず……怒られたばかりだ」
「あっちゃー」

 あるあるですね。この間同じようなことを弟がやらかしたのを思い出して、思わず笑いを零してしまった。案の定アドニスくんの表情は曇り、批難の視線をこちらへと向けてくる。ごめんごめん。馬鹿にしたわけではないんです。弁解の意も込めて「この前弟が同じことで怒られてて」と伝えれば、彼は「同じだな」と肩を落とした。

「わかってはいるのだが」
「買い食いは美味しいもんね」

 切なく、彼の腹の音が鳴る。真っ赤に染まった石畳を踏みつけながら「じゃあ早く帰ろうか、お腹減っちゃうもんね」と言えば、彼の足がぴたりと止まった。

「アドニスくん?」
「……それは違うだろう」

 彼は十字路を、いつもとは違う道を曲がっていく。まっすぐ行けばアドニスくんや私の家の最短ルートで、アドニスくんが足を向けた道を行けば、少々遠回りになってしまう。しかし彼はそれを知っていながら「今日はこっちから帰る」と言ってきかない。「遠回りだよ」と伝えても、拗ねたように口を引き結びながら、遠回りの道の先で、じっと私を見つめている。

「お腹、減らない?」
「今日はそんな気分だ」

 長く伸びる影を追いかけるように彼に寄れば、アドニスくんはそう言葉を紡ぎ、緩慢な速度で歩き出した。そんな気分って、どんな気分なんだろう。尋ねたい気もしたけれど、尋ねちゃいけないような気がして、私は黙って彼の影を踏みながら遠回りの道を歩いた。