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寝る前に電話をする話。(三年生軸)

 布が擦れる音。密やかな声。いつものように元気の滲みすぎたそれではなく、随分とたおやかな声で紡がれる『今日は楽しかったか?』の言葉に、思わず口元が緩んでしまった。
 よい子はもう布団に入る時間。窓の外はどっぷり夜に浸されていて――帰宅中なのだろう、陽気な歌い声が家の通りを駆け抜ける以外は時計の音しかしないような、随分と静かな夜だった。
 そんな時間でさえ机に向かいあっている私は、まだ終わらない宿題を見下ろしながら「いつも通りです」と答える。次いで「先輩は今から寝るんですか?」と問いかければ、イヤフォンの向こうから『よくわかったな』と驚嘆の声が聞こえた。早寝早起きの先輩は、私の活動時間中に床に入ってしまう。ペンを走らせながら「でしょう」と誇らしげに呟けば、短い沈黙の後『お前はまだ寝ないのか?』との先輩の声。

「宿題、終わらないんです」
『学生は大変だな』

 ほんの数ヶ月前は学生だったくせに。口にはしないけれど笑いは堪えきれず漏れてしまって、イヤフォンの向こうから『どうした? 思い出し笑いか?』と到底自分のことだと思っていない先輩が、声を弾ませる。

 去年卒業した先輩は、会えないと様子がわからないから不安だと、こうして毎晩電話をくれる。
 困ってないか、つらくはないか。
 口癖のように毎夜尋ねる彼に不安なんて打ち明けられるはずもなく、いつも他愛もない話をして、誤魔化している。先輩に嘘を吐くのは心苦しいけれど、私はこの時間が好きだった。例え毎晩彼が寝落ちてしまおうとも、電話をしている間は仕事や勉強に集中できなくとも、この時間は愛おしくて、大切だ。

 次第にまどろむ彼の声。間延びした覚束ない声が落ちてきたので「切りますか?」と提案すれば『いや……』と渋るような先輩の声。

「じゃあ、もうしばらくだけ」

 あと十分もすれば、イヤフォンから規則正しい寝息が聞こえるのだろう。そして私は、おやすみなさい、と告げ、またあした、と願掛けのような言葉を、一日の最後に告げるのだ。