DropFrame

日常の何気ない話

 夢の狭間を彷徨っていたら、ふと、頭に柔らかな感触を覚えた。急浮上していく意識の中、重い瞼をそろそろと開けば、暗い部屋の中にぽっかりと浮かんだ金色。それがアドニスくんの瞳だとわかり、私はあくび交じりに「アドニスくん」と彼の名前を口にする。アドニスくんは私の声に気がつくと、頭をなでていた手を止めて、柔和に微笑んだ。

「起きたのか」

 どうやら帰りたてらしい。コートを着たままの彼はまた私の頭をなで始める。

「起きたの」

 そう答えて身体を起こそうとすれば、彼は「起きなくていい」とやんわりと私の身体を布団へと押し戻した。そうしてまた何度も頭をなでる。彼の大きな手が輪郭に沿う度に安心感と穏やかな喜びが、私の身体に眠気を揺り起こす。

「おかえりなさい、アドニスくん」
「ただいま、会いたかった」

 臆面もなくそう言った彼は、手を止めて頬にキスを落とす。案外スキンシップの多い彼のこういった側面は、いつだって私の心臓を高鳴らせた。気恥ずかしくなって口元を布団で覆えば「逃げないでくれ」と彼は言う。しかし言葉とは裏腹にその声色はなぜか弾んでいて「だって恥ずかしい」と背を向けた私に「そうか?」とやはり、嬉しそうな声。
 僅かにベッドが軋み、掛け布団がめくられる。振り返ればアドニスくんはコートのまま布団に潜り込み、逃げようとする私の腰をしっかりと掴んでいた。そのまま胸の中へと引き寄せられる。鼻先にコートのファーが触れ、外の冴えた冬の空気が香る。

「暖かいな」

 そういう彼の頬に触れれば、随分と冷え切っていた。暖をとりたいのかぎゅうぎゅうと抱きつき布団から出て行くそぶりを見せない彼に「しわになるよ」と伝えれば「そうだな」とアドニスくんは言う。しかしやはり、離す気配は微塵もない。
 そのまま彼の腕の一方は背中の方へ。腰と背中と、しかりと抱きすくめられた私は観念して、身を預ける。

「ご飯食べる? 冷蔵庫にあるからね、温めるよ」
「大丈夫だ、自分で出来る。だからお前はこのまま休んでくれ」

 拘束が僅かに緩むが、アドニスくんは出て行こうとはしない。あやすように背中を叩き始めた彼に「でも、起きちゃったから」と伝えれば「なら寝付くまで側に居よう」と彼は額に唇を落とした。柔らかなその感触がやはり照れ恥ずかしくて、逃げるように彼の胸に顔を埋めれば、こつりと彼のコートのボタンが頬に当たる。顔を上げれば交わる視線。

「どうした?」
「んー……コート、しわになっちゃうよ」

 どうしても、やっぱり気になってしまう。私の一言に、アドニスくんは抱きしめていた腕を解いて身体を起こした。そのままコートを脱いで、そのまま畳み、枕元へ。

「これでいいだろう」

 そう言って彼は布団に潜り、私の身体をまた抱きしめ直す。先ほどよりも顕著にわかる彼の輪郭に照れながらも私もまた、彼の胸に縋り付いた。心臓の音に混じって聞こえる、空腹に蹴飛ばされた胃の鳴き声。「お風呂とご飯は?」と訪ねる私にアドニスくんは「起きたら考えよう」とそのまま私の肩に顔を埋めた。
 先ほどよりも幾分暖まった彼の身体に包まれながら、まあ本人がそう言うなら、と瞼を閉じる。少し重いかもしれないけれど、明日の朝に温め直して、二人で食べよう。
 そう思うと明日が少し楽しみに思えて「明日、ご飯一緒に食べようね」と口にすれば「もちろんだ」と首筋をくすぐる彼の声が、鼓膜を揺らした。