DropFrame

おもう、えがく、きみのこと。

 こんな天気なのだから、外に出なきゃもったいないと思うくらいの快晴だった。秋晴れという言葉がぴったり当てはまるくらい外は煌々と明るく、空気は冷たい。夏の湿気と、冬の鋭い寒さをごちゃ混ぜにした不思議な空気をうんと吸えば、心が幾分軽くなった気がした。季節の変わり目は寒かったり暑かったりと忙しいけれど、この混ざり合った空気はなかなか魅力的ではある。

 寒いからだろうか、点在している三人がけのベンチには誰も座ってはいなかった。思いがけずの開放感に私は足取り軽く、一番大きな木の下にあるベンチに歩み寄る。ぱらぱらと落ちている木の葉を払い、腰を下ろした。そしてカバンからバインダーを取り出して、ふむう、と一息。屋内で煮詰まってしまった思考は外で溶かすに限る。さわさわと冷たい風が吹くなかで、もはや空で言えるほど見飽きてしまった書類に目を落とす。

 大きなイベントごとが終わり、季節の変わり目ではないこの季節は、雑多なライブの申請が山のように来ることを、私は最近知った。クリスマスが近ければクリスマス、紅葉が綺麗なら紅葉にちなんだ、なんてありふれたようなものはほとんどなくて、有象無象な規則性のない単語が羅列された書類にため息を吐く。
 これは申請書ではない。申請書を書く前に「こんなことをしたいのだがプロデューサーはどう思う?」という、草案だ。「流し見をして適当に答えればいいのに」なんてたまたま見ていた凛月くんに言われたけど、そうもいかないだろう。しかし持ち帰ってしまったらしっかりとした返事を出さなきゃいけない。うんうん唸りながら書類と向き合うけれど、うむ、わからん。

 とりあえず思いついたことを、二枚目に挟んである白紙のコピー紙に書き連ねよう。書類を見て、めくって、頭に浮かんだ単語を紙に綴っていく。シャーペンが走るたびに、かりかりと小さくバインダーが声を上げた。指でしか支えていないので、芯が端によるたびに不安定にゆらりと揺れる。書きにくいけれど、どことなく外の方がアイディアが出る気がする。かりかりと単語を連ねながらもう一度書類を見て、また単語を書き込む。

 書類に落ちる木漏れ日が風が吹くたび不規則に形を変えた。ゆらりゆらりと楽しげに落ちるその姿に気がついたらシャーペンを走らせる手は遅くなり、そしてとうとう、止まってしまった。
 白と黒のコントラストに誘われるように見上げれば、木の葉の隙間からキラキラと光の筋が落ちていた。手を伸ばせば、遮られた光が手の甲にとどまる。角度を変えれば形が変わるその光が面白くて何度も手を泳がせていると、突然後ろから、がさり、と物音がした。

 慌てて書類を裏に向けて振り返れば、そこにはなぜだか頭に葉っぱをつけたアドニスくんが、とても残念そうな顔で立ち尽くしていた。いつからいたのだろうか。肩を落としながらじいとこちらを見続ける彼に「アドニスくん?」と声をかければ、彼は返事代わりに深々とため息を吐いて、垣根を大股でまたぐ。体についた木の葉は歩くたびに落ちるのに、ちょこんと頭に乗っかっているそれはなかなか落ちてはくれない。変身前のキツネみたいだと小さく吹き出せば、アドニスくんは怪訝そうにこちらを見た。私は自分の頭を指先で指し示す。彼はそれを見て、不思議そうに首をひねり、そしておもむろに私の頭を一度撫でた。

「ち、違う!頭に葉っぱついてるよ!」
「ああ、そういうことか」

 思わず後ずさる私など意に介さず彼はそのままベンチに腰を下ろす。そして袖や、膝や、なぜか付いている土埃を丹念に払い落としていく。なんだかなあ、と思う。彼のこの独特なテンポには慣れた気がしたのだけれど、どうやらそうでもないみたいだ。アドニスくんの周りはいつも、どこか穏やかで少しだけずれた雰囲気が漂っている。それは異国からやってきた彼だからか、それとも本来の性格からかはわからない。少しだけ彼に寄れば、アドニスくんは何かに気がついたようにブレザーを脱いだ。そして躊躇なく私の肩にそれをかけて、満足そうに微笑む。

「これで暖かいだろう」

 別に寒くないけれど、そんな嬉しそうな顔をされたら付き返せないじゃないか。ありがとう、と伝えると彼は嬉しそうに笑い、背もたれにもたれた。

 彼の鼻先に落ちる木漏れ日が、ゆらゆらと揺れる。自分の手のひらに目を落とせば、そこにも木漏れ日の影が楽しそうに踊っていた。
 ぴゅうと吹いた風が頬を滑り木の葉を舞い上げる。冷気を孕んだそれは二枚ブレザーの装甲でもいささか寒い気がした。私はアドニスくんの方へ重心を傾け、彼がしてくれたようにブレザーを肩にかけてやる。

「薄着だともう風邪ひいちゃう季節だからね、私は大丈夫です」

 そう言って笑えばアドニスくんは困ったように眉を寄せて「そうか」と一言言ってブレザーを着なおした。そして気がかりなことでもあるのか自分の周りをぐるりと見渡して、ため息。そのままおとなしく背もたれにもたれる。

 彼のその行動は少し心に引っかかったけれど、私もやることがある。バインダーを表に向けてまたシャーペンを走らせると、バインダーに影が落ちてきた。見上げれば少しバツが悪そうなアドニスくんが不自然に視線をそらす。じいと見つめても、彼はこちらを見ようともしない。
 一つため息を吐いたまたバインダーに目を落とす。木漏れ日の影がまた、塗りつぶされる。顔を上げればまた、アドニスくんが素早く私と反対方向を向く。声をかけようと思ったが、やめた。私がまた書類に向き合えば、今度はがさがさと布ずれの音、ベンチが軋む音がしたとおもえば、肩にブレザーがかけられた。
 素早く見上げれば、ばちりと視線が合ってしまったアドニスくんがそそくさとベンチに腰を下ろしてまたそっぽを向く。思わず「アドニスくん」と声をかければ、彼はバツが悪そうにーーでも決してこちらは見ないーーぼそりと「寒いだろう」と呟く。

「寒くないって自分のきてるから」
「今日は寒いぞ」
「寒いからアドニスくんに着てほしいんだって!」
「俺は寒くない」
「なんで?」
「あっ」
「あ?」
「厚着を、してきたからだ」

 不自然なほど逸らされる視線。まじまじと彼を見れば、学院指定のシャツに、薄らタンクトップが透けている。ほう、厚着ね。ヒートテックとも言いたいのかしら。半ばやけくそに彼の肩にブレザーをかければ、アドニスくんは不満そうにかけられたブレザーを見て、そして諦めたのかもう一度ブレザーに袖を通す。
 その代わりとでも言いたいのだろうか、彼はじわじわと空間を埋めるようにこちらへと寄ってきた。ぴたりと肩が沿い、物言いたげにじいとバインダーを見下ろす。

「……その、すまない」

 基本的にだけれど、草案段階の相談はできるだけ受けないようにしている。きりがないのも理由の一つだけれど、そういうものはユニットや参加する人たちで考えて欲しいという学院の意に沿っての判断、と言っては容易いが、ただ単に場数を踏んでいない私が口を出すのもあまり良くないと思っているからでも、ある。
 だから今回のこれは特例。不慣れなひらがなと漢字が踊る書類を解読するのに半日、案をひねりだそうと頑張りだしたのが昨日。アドニスくんから手渡されたこの仕事は、思った以上に骨が折れるけれど、彼を思うとどうにも投げだせそうにもなかった。

 えい!と寄りかかっても彼の大きな体はビクともしなかった。見上げれば、不安そうに見つめる琥珀の瞳。

「今日提出?」
「いや、いつでもいいそうだ、すまない、本来なら俺が一人でやるべきなのだが」
「いいよ、いつも良くしてくれるアドニスくんのためだからね、頑張る」

 羅列されてる単語を眺めて、連想する言葉をコピー紙にならべる。たい焼き、と綴った私を見て「こいのぼりなんてどうだろう」と呟くアドニスくん。「それは春だよ」と返せば「そうか」と残念そうな声が届いた。

 冬の匂いを運ぶ風がぴゅうと吹き抜ける。木漏れ日の影がゆらゆらと揺れる。アドニスくんは先ほどの私と同じように手を伸ばして、光を手のひらで受けていた。アイディアでも落ちてこないかなと、私も同じように手を伸ばす。手のひらの真ん中に光が落ちたところで、突然私の手にアドニスくんの手のひらが覆いかぶさる。

「光でも捕まえましたか」
「いや、逃げたようだ」

 アドニスくんの手の甲に堂々と鎮座する光溜まりは、風とともに木の葉に揺られて飛んで行ってしまった。手を下せば、アドニスくんの手もくっついてベンチへと着陸する。もしかして手でも握るのかと思ってどぎまぎしながら手のひらを動かせば、彼の左手はあっという間にアドニスくんの膝の上へ。
 とんでもない肩透かしを食らってしまって、肩で彼の腕を殴れば、アドニスくんは不思議そうにこちらを見て「どうした」と一言。どうしたって、先ほどの行動がどうしただよ。そう言いたい気持ちを抑えて「べつにい」と唇をとがらせれば「そうか」との短い言葉がやってくるだけで、後は何もなかった。

 アドニスくんの周りはやっぱり、なんとなく私たちと違う何かがある気がした。テンポとか、考え方の違いとか。多分私たちの常識であるところでも彼にとってはそうでもないことはたくさんあるだろうし、その逆も然り、たくさんあると思う。
 もう一度書類を見て、並んでる文章を見て、今度は一から組み立ててみる。木漏れ日の影が塗りつぶされても、今度はもう彼を見上げない。ようやく見えてきた形が攫われる前に、すらすらと書き連ねていく。
 かりかりと音が響く。ゆらゆらと影が揺れる。彼の隣で彼が彩るライブを綴るというのは存外悪いものではないのかもしれない。途中、肩になにか乗る感覚があったが、怒るのは書き終わってからにしようと、ペンを走らせながら、そう思った。