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羽風さんの誕生日お祝いの話

 私の手にしている小箱を見て「それって誕生日プレゼント?」と先輩は笑った。「よくわかりましたね」と私が彼に言葉を返すと「だって朔間さんと瀬名くんにも渡してたでしょ、昨日」と笑みを絶やさない。

 うれしいのか、かなしいのか、先輩の笑顔は今でもよく分からない。いつだってニコニコと笑って、きみが嬉しいから俺も嬉しいだとか言葉を並べて本音を隠す。今日ぐらい素直でいたらいいのに。わがままだって、今日ならみんなも許してくれるだろうに。わがままと言っても、練習に参加しないだとか上澄みのようなそれではなく、もっと心の底にある、本当に望んでいる気持ち。明け透けに全て見せて欲しいとは思わない。でも気持ちを隠して微笑まれるのは寂しいと思っていたし、今ニコニコと手を差し出す彼を見て強くそう感じた。

 先輩の手のひらに小箱を乗せると、彼は「昨日から楽しみだったんだよね」と笑った。そして笑顔を浮かべながら彼はまた私に手を差し出す。もしかして『あれ』がばれてしまったのではないか、と肝が冷えたがどうやらそうではないらしい。先輩は「あっちで一緒に食べよう、手、つないでさ」と悪戯に笑った。私が素直にその手を取ると先輩は目尻を下げてはにかみ「毎日が誕生日でもいいかも」と言葉を弾ませた。

 彼の大きな手が私の手を強く握るたびに、この笑顔が本当に楽しさから滲んでいればいいな、なんて思った。誕生日くらい無理せずに楽しくして欲しいし、楽しくないなら楽しくない顔をして欲しい。晃牙くんやアドニスくん、朔間先輩には引き出せるありのままの羽風先輩。女の子扱いされている私には引き出せない、羽風先輩。

 冬の香りを濃くした冷たい風が私たちの頬を撫ぜた。先輩がまた強く手を握る。「もうすぐ冬が来るね」先輩が遠くを見つめながらつぶやいた。まだ吐く息は白くないけれど、朝の布団は離れ難いし、暖かいものが美味しく感じてきたから、きっともう冬はそこまで来ている。「冬がきたら」私がそう口にすると先輩は私を見下ろした。彼の手の中にある小箱の鈴が、りんとお澄ましな音を立てる。普段買わないようなお店で買ったそのお菓子は三年生の彼に似合う大人びた黒の包装紙に包まれていた。中身だって甘いお菓子ではない、少しだけ苦い、ビターチョコレート。また一歩大人へと成長した先輩への、私からのお祝い。

「……来年は、もう先輩はいないんですよね」
「そうだよ」
「お祝いできるのも、今年で最後なんですね」
「そうなの?」

 冬のよく澄んだ空気に、羽風先輩のけらけら笑う声がよく響いた。よく見れば彼の吐く息がうっすらと曇ってきている。ああいよいよ冬はそこまで来ているのだと、見せつけられた気がして目を伏せると「俺の誕生日にそんな顔しないで」と先輩は繋いだ手を大きく振った。冷やされた空気を裂くように重なった拳は私と羽風先輩の間を何度も何度も往復する。風をきる音を立てて、びゅんびゅんと、振り子のように。「あとさ、来年もお祝いしてよ」先輩はそう言って笑う。繋がれた手は未だに振られたままだ。
 らいねん。彼は卒業して、私はまだここに残っている”来年”。想像できなくて目をなんども瞬かせると、繋がれていた手の加速度は急速に落ちて、おとなしく私と彼の間に収まった。「会いに来るから」と先輩は笑う。「本当ですか」と尋ねた私の声はほんのりと震えていて、それに気がついた先輩は先程よりも数段優しく「本当だよ」と言ってくれた。

「先輩」

 私は歩いていた足を止めて立ち止まる。先輩が振り返ってはにかみながら「なあに?」と口にする。本当に、綺麗な笑顔が上手な人だと思う。調子のいい言葉を吐く人だとも、思う。それでもこの人が嫌いになれないのは内包された優しさとか、頼もしさとか、そういうものの、せいだ。

 ポケットから私は小さな袋を取り出した。黄色の不織布に包まれて、可愛らしいリボンのついた、おおよそ大人っぽいとは懸け離れた包装の袋だ。掌にちょこんと乗るサイズのそれは等身大の私の、気持ち。

「これも、あげます」
「……え?」
「そっちはプロデューサーから、一つ大人になった先輩方へのプレゼントで、こっちは」
「……君から?」

 先輩は信じられない、とでも言わんばかりに目を瞬かせて私と新たに出てきたプレゼントを交互に見つめる。彼の手中に収まっている小箱を差し出して「これだけじゃなくて?」と念を押すように再度確認する。風に揺られて飾りがちりんと音を立てる。りぼんがさわさわと揺れる。狼狽と喜びの間にいるような表情を浮かべる先輩に、私は思わず笑みをこぼしてしまった。

「それだけじゃなくてです」
「朔間さんや、瀬名くんにもあげたの?」

 彼の瞳が揺れる。私が黙って首を横に振ると、先輩は眉を下げ頬を震わせて、「そっかあ」と上ずった声をあげた。それは先程の綺麗な笑顔とは程遠い稚拙で屈託のない、それでも可愛らしい笑顔で、思わず私は見惚れてしまう。

「(……あ)」

 先輩が小箱を自分のブレザーのポケットの中に入れて袋をつまみ上げる。隠すことなく顔いっぱいに喜びをにじませながら「開けていい?」と彼は尋ねた。そして間髪入れずに「でも片手じゃ開けられないね」と言うので「手を離します?」と尋ねると先輩は少し拗ねたように頬を膨らませながら「離さない」とさらに強く手を握りこんだ。

 少しだけ羽風先輩の底に触れた気がして、思わず私は彼から目を背けてしまった。だって下に溜まってるのは苦々しいものだと思っていたのに、触れた片鱗は眩し過ぎて直視できない。「どうしたの?」と隣から声が聞こえる。「なんでもないです」とつぶやく私に「教えてよ」と彼が身を寄せて上機嫌に笑う。「ご機嫌ですね」と私が問えば先輩は腕を思い切り後ろに引いた。それに引っ張られるように私は一歩後ろに下がる。彼は視界に入るように私に立ちはだかると、それはもう嬉しそうに、微笑んだ。

「だってもらえると思ってなかったから、君が思ってる以上に、すごく嬉しいよ」

 冬の風に吹かれて先輩の襟足が揺れる。細められたその目も、嬉しそうに顔いっぱいにはにかむその唇も、すべてすべて眩しくて、ああこれが羽風薫なのだと、つられるように顔をほころばせながら、そう感じた。

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