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君が君であるための_01

渡り廊下から見える煌々とした灯りに私は肝を冷やした。あそこは確か先ほどまでknightsのみんなが使っていた教室だ。手のひらには教室の鍵。戸締りを引き受けたくせに、どうやら灯りを消し忘れてしまったらしい。慌てて踵を返す私の手の中で、ちゃりちゃり金属の擦れる音が聞こえる。ああ鍵を返却する前に気がついてよかった。これが返却後の話なら椚先生の説教は免れなかった。だれもいない、もう真っ暗な階段を二段飛ばしで駆け上がる。練習室はそう遠くない。それに終日利用にしているから今の時間帯に電気が付いていても不審がる人はいない。ただ例えばknightsのみんなに見つかったら若干面倒だな、と思った。「昨日さあ、電気消し忘れてたでしょう?」と呼んでもいないのに瀬名先輩の声が脳裏に響く。「電気でよかったけどもしこれが戸締り忘れだったら」なんて椚先生にも負けず劣らない説教を振り切るように頭を横に思い切り振って足を速めた。

 階段を上りきった私は廊下にだれもいないことーー特に蓮巳先輩ーーを確認して駆け抜ける。真っ暗な廊下に不釣り合いな白い光。磨りガラスから漏れ出る光を見て、私は深いため息を吐いた。ああ、やってしまった。次回から気をつけよう。そう思いながら教室のドアの前まで駆け抜けた私は息を整えて扉を開いた。

「ーー先輩?」
「うわっ」

 誰もいないはずの練習室にいたのは、ジャージ姿の瀬名先輩だった。ほんの数十分前に練習を切り上げたはずなのに。更衣室に行って着替えたらさっさと帰ると思っていたのに。練習室にいた瀬名先輩は大粒の汗を流しながら呆然と私を見つめている。ラジカセから大音量で流れるのはknightsの新曲。「音漏れるからさっさと締める!」と鋭い声に私は「はい!」と縮みあがりながら扉を閉めた。瀬名先輩は眉に皺を寄せて、近くにあったタオルを拾い上げる。彼はそのままラジカセへと近づいて音楽を止めた。先ほどまで洪水のように流れていたメロディがピタリと止んで、痛いほどの沈黙が流れる。恐る恐る瀬名先輩の名前を呼ぶと、彼はとても不機嫌そうに、「何?」と言葉を投げつけた。

「knightsの練習は……」
「終わった、解散って言ったよね俺」
「言いました、えっと、その、瀬名先輩は……?」
「言わなきゃいけないわけ?」

 あまりの剣幕に私は勢い良く首を横に振る。先輩はどうやら気が済んだらしく、そう、とだけ言うと机の上に置いてあった水を飲み干す。空っぽになったコップを見てすかさず駆け寄ると、先輩はコップを高々にあげて、「プロデューサーはお呼びじゃないんだけど」と辛辣な言葉を吐いた。

 この状況を見れば誰でもわかる。瀬名先輩は自主練習中だったのだ。確かに施錠をした教室ーー施錠をした記憶は確かにあるーーにどうやって入り込んだかは定かではないが、少なくともほいほい人に見られていいような場面ではないことは確かだ。

 肩を落とす私に瀬名先輩はどうやら仕事を取られて落ち込んでいると解釈したらしい、呆れたようなため息を吐いて、私にコップを手渡した。「冷たいやつね」と瀬名先輩。私は頷いて備え付けの冷蔵庫からまだ未開封の水を取り出してコップに注ぐ。先輩に手渡すと、彼はそれを一気に飲み干して大きく息を吐いた。

「で、なんであんたはここにいるの」
「外から灯りが見えて、消し忘れてたかと思って……」

 その言葉に瀬名先輩は舌を打って、本当に小さな声で「カーテン閉めときゃよかった」と呟いた。やはり見つけてはいけないものだったのだ。申し訳なさと邪魔してしまった気後れに目を伏せると、ごつん、と後頭部に衝撃。顔を上げるとやはり瀬名先輩は不愉快そうな顔をして、「うっざい顔」と吐き捨てた。

「帰りなっていっても帰らないでしょ」
「え?」
「練習、付き合ってって」

 有無を言わさぬ目線を向けられて、私は首を縦にふる。先輩はすぐにそっぽを向いてしまったけど、これが優しさであることは私もわかっていた。でもお礼を言うと怒られることが想像できたので、心の中でありがとうございます、と呟く。そして練習を邪魔してすいません、と、見つけてしまってすいません、も彼の背中に向けて呟く。

 瀬名先輩は持っていたタオルをパイプ椅子の背に引っ掛けると私を手招きした。足元にあるラジカセを指差して、「音楽流して」とぶっきらぼうに言い放った。私がラジカセに手を伸ばすと彼は「待って」と呟いてしばらく逡巡する。うん、と小さく唸ると彼は棚の方に目をやり、ちょうど三脚が安置されている部分を指差す。

「撮って」

 彼は一言そう言った。

「ビデオで見た方が、鏡で確認するよりわかりやすいし」
「わかりました」

 小走りで棚に向かい、三脚とビデオカメラを引っ掴む。できるだけ空間が映せるように、と練習室の隅に三脚を組み立てて雲台を外した。くるくるとネジを回しながらカメラに取り付けていると、いつの間にか瀬名先輩は鏡の前で歌を口ずさみながら振りの確認をしていた。鏡に映る姿は真剣そのもので、舞台の上や全体練習とはまた違う色の炎が瞳に宿っている。

 瀬名先輩はストイックだ。knightsで練習するときは全体を見渡し調和を保つ、舞台の上では完璧な演技を披露する。でも今は、自分を最大限に魅せる形を探求している。腰から、腕から、爪の先まで。神経が研ぎ澄まされた動きは迷いが滲み、何度も軌道修正する。同じメロディを口ずさみながら何度もフリを確認しているその姿から目が離せずにぼうっと眺めていると、鏡越しに思い切り睨まれた。「早くする!」と鋭い声を投げかけられて私はまた「はい!」と返事しながら縮み上がった。だってこんな瀬名先輩、私は知らない。

 部屋の隅に安置されているコードリールからコンセントを伸ばし、三脚の隣に置く。カメラにSDカードが刺さっていることを確認して電源を入れるとじりじりという音とともにカメラはゆっくりと起動した。カメラの液晶越しに瀬名先輩が見える。先輩はカメラの視線に気がついたのかダンスを止めて、「準備はできたあ?」と声を上げた。

「できました、先輩、ダンスで一番手前にくるあたりまで来てもらっていいですか?」
「ん」

 短い返事とともに瀬名先輩が鏡から大股で4歩ほど歩いたところで立ち止まる。「両手をあげてください」と私が伝えると、彼は露骨に嫌な顔をして「なんで」と口にした。

「せっかくの瀬名先輩が、見切れるの、嫌じゃないですか」

 瀬名先輩は私の言葉に返答はせずに、両手を上げた。指先が切れていることを確認して三脚ごとカメラをずらして位置を調整する。「あんたも言うようになったよね」と画面の中で万歳しながら瀬名先輩が皮肉交じりに笑った。だってこんな真剣な先輩の姿、余すことなく記録しておきたいに決まっている。

 離れた位置にあるラジカセを持ち上げて三脚の隣におけば、瀬名先輩は数歩下がって立ち止まった。床の滑りを確認するようになんども足の裏を床にこすりつけて、こちらを見据えた。鋭い視線につられるように緩慢していた空気が瞬く間に引き締まる。真剣なその目線に私は黙ってカメラのRECボタンを押した。赤く灯るランプを合図に、先輩は足を開き頭を軽く下げて、幾度か胸の角度、手の位置を変える。「どうぞ」と彼の声。私は頷いてラジカセに手を伸ばす。
 「流します」と声とともにスイッチを押せば4カウントのクリック音。その後に流れる濁流のような音の洪水に合わせて彼は大きく腕を伸ばした。

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