焼けるような夕焼けが過ぎて数刻。紺碧の空には穏やかな満月が浮かんでいた。テントを抜け出した私。同じように夜を持て余していた彼。たまたま出会った私たちは先生の監視をかいくぐってこっそりとお昼に遊んだ川へと繰り出した。
夜の川は昼のそれとは違い、たおやかなで清浄な空気に満たされていた。吸い寄せられるように川の淵に座りこむと、アドニスくんも同じように私の隣へ腰を下ろした。水面は星空を映し宝石箱のようにきらきらと輝く。水面を手で掬うと、波紋が穏やかに星空を崩す。まるで空気が伝染するかのようにそれは大きく広がり、そしてまた静かに水面を均す。靴下を脱いで水の中に足をくぐらせると、お昼よりも幾分か冷たい温度に思わず身を震わせてしまう。太陽で熱されていないから冷たいんだ。そっと腕をさすると、アドニスくんの剛腕が私の肩を抱き寄せる。いつもより強引で積極的な態度に思わず彼を見上げると、アドニスくんはなんてことのないように、なんだ、と口にした。
「なんでもないよ」
高鳴る心臓の音を無視してそういえば、そうか、と彼はつぶやき私と同じように川の中へ足を入れる。水面に長さの違う屈折した足影が映る。アドニスくんは足が長いね、と私が言うと、お前の足は綺麗だな、と彼は言って笑った。
「白くて、細くて、滑らかだ」
「アドニスくんも逞しくて、長いし、筋肉あるし、強そう」
「お前の足はすぐに折れそうだな」
「あ、いまちょっとバカにしたでしょ」
バカになど。彼が笑う。肩を抱く大きな手が温かい。指の間を駆け抜ける水流を楽しみながら、アドニスくんの胸に頭を寄せると、彼の手がぴくりと動いた。間髪入れずに響くざばりと大きな水音。アドニスくんは私の肩から背中へ、体の輪郭をなぞるように手を滑らせる。彼の濡れた足が、私の両足をまたぐ。ごつごつとした小石の絨毯の上でアドニスくんは膝立ちになり私の正面を塞ぐ。嫌な予感がする、と腰を引かす私に、逃すまいと彼は背中に回っていた手を腰元まで落とししかりと掴む。
「……あまり夜に出歩くのは感心しない」
「まあそうだよね、先生たちに怒られるかも」
「そうではない」
穏やかな速度でアドニスくんが上体を倒す。腰に回されていた手は気がつけば今度は頭の後ろへ。小石に頭を打ち付けないように彼は注意深く、ゆっくりと、でも確かに私を押し倒した。さわさわと木々が揺れる。穏やかな風の音とは違う、荒い息の音が耳に届く。アドニスくんは覆いかぶさるように私を抱きしめると、そのまま唇を耳に寄せて、わざとらしい音を立ててキスを落とす。間髪入れず彼は口を開けて耳朶を甘噛みする。至近距離で放たれるその音から逃れようと身をよじっても、どうにも動くことができない。
一際大きな音でキスを落として、彼は上体を起こした。耳が熱い。夏の暑さではない熱が、此処に篭っている。
「夜には、獣が出るからだ」
彼の瞳の奥に、見たことのない光が灯る。さわさわとすねにまとわりつく水の流れを感じながら、これは夢ではない、と強く思った。私を捉えた獣はとても綺麗に嬉しそうに微笑み、私を見下ろしていた。