ああやはり。
「黒煙」という日常の中ではあってはならない事態と、それに集まる野次馬連中を見つめて衣更は深いため息を吐いた。調理実習室と書かれたプレートは今や煙で見ることができなくなっており、野次馬精神で集まった生徒たちから、ここどこの教室だっけ?理科室は違う階だったよな?なんて声も聞こえる。まあまさかこの黒煙燻る教室が食べ物を作っている場所なんて思わないよな。全くどんな料理を作ればこうなるのか。いや、あいつならやりかねないのか。響く頭痛の種に頭を抱えながら立ち塞ぐ人の間を縫うように進む。衣更がここに到着して数分は立っているのだが、未だに調理実習室からはおおよそ食べ物を作っていたとは思えない程の煙と臭いが廊下へでろでろと這い出ている。悪臭に顔を歪めつつ衣更は駄目元で小声で後輩の名前を呼んでみた。
仙石ぅ
正直聞こえないだろうなと思って呼び掛けたのに、黒煙の向こうから、
いさ、ら、どの!
という思いの外元気な声が帰ってきたから、思わず笑ってしまった。黒煙を吸い込んだのか、声の主はげほごほと激しく咳き込みながら、廊下に面した窓からすすけた顔を覗かせる。調理実習なのに何で煤けんだよ、という最もな疑問もあったのだが、一先ず彼の頭についている煤を払ってやる。衣更の優しさに仙石は、かたじけない、かたじけない、と照れた笑みを浮かべながらおとなしく頭を差し出していた。
「お前、なにやってんだよ」
「変なものは入れてないはずなのに不思議な話でござるな?」
「ござるな?じゃねえっつーの、全くすげえ騒ぎになってんぞ」
「おおお!人がたくさん!」
たくさんじゃねえっつーの。軽く頭を小突くと、仙石はえへへ、と笑みをこぼして、教科書通りに作ったはずなのに不思議な話でござるうと呑気に言ってのけた。
「シフォンケーキというのは、一種の爆弾でござるな、黒煙が出た時には拙者、マジで死ぬんじゃないかと思ったでござる」
「なんねえよ普通」
でも聞いて聞いて!拙者綺麗に粉を振えたでござるよ!こう上からぱらぱら?っと!ゆうたくんも褒めてくれたでござる!拙者おかし作りの才能があるやもしれん!
つらりつらりと頑張った点を並びたてる仙石の目は爛々と輝いていた。爆発させてる時点で才能ないんじゃないのか、なんて根本に浮かんだ疑問はぐっと飲み込み、よく頑張ったんだな、ともう一度彼の頭を撫でてやる。仙石は嬉しそうに顔を綻ばせて、
「そんな衣更殿にプレゼントがあるでござるよ!」
そう言い残し仙石はまた黒煙の中へと潜っていってしまった。おい仙石!という衣更の制止も虚しく、彼の姿は黒煙の中へと溶けていった。一体なにをするつもりなんだと、キリキリと胃が痛む。衣更の心配をよそに、仙石はすぐにまたひょこりと窓から顔を出した。そうしてぶるぶると頭を勢い良く降って、新たについたススを辺りに散らす。
「みてくだされ!じゃじゃーん!」
チープな効果音と共に差し出したのは、おおよそこの光景とは似つかわない黄金色のシフォンケーキ。
「美味しそうでござろう?衣更殿に食べていただきたく拙者頑張ったでござるよー!」
「ん……?てことはこの煙って仙石のとこじゃ」
「いいや?原因は拙者達の班でござるよ、でも美味しそう!不思議な話でござるう」
「……食えんのかよこれ」
「何事もレッツトライでござるよ~♪」
五百円玉大のそれと、目を輝かせている後輩を交互に見つめて、衣更はまた深いため息を吐いた。心の奥底で本能が警鐘を鳴らしているのがわかる。しかし同様に後輩が痛いほどの期待の眼差しを向けているのもわかる。未だに晴れぬくゆる煙を見つめて、衣更は曖昧に微笑んだ。