「あらあ雨なのねえ」
嵐の声につられるように外をみれば、先ほどまで明るかった空は厚い雲に覆われて雫を落としていた。集中して全く気がつかなかったけど、しとしとと地面を叩く雨の音が部屋を満たしている。嵐もどうやら今になって気がついたらしく、カーテンを片手でめくり不思議そうに外を眺める。私も腰を伸ばして外を眺めれば、先ほどまで固まっていた骨がぱちぱちと音を立てて弾けた。嵐はその音につられるように私を見て「ずっと書いてたものねえ」と笑顔を零した。そしてまた窓の外へと視線を戻す。ほどよく冷やされた空気が網戸から流れ、部屋の中の温度を下げていく。
「結構降ってるわね」
しとしとと地面を叩く雨の音は断続的に続いている。彼の高く伸びた鼻からふっと息が漏れる。断続的に流れる雨の音を聞きながら「雨かあ」と今度は私が呟く。
夏が過ぎ去ってしまった近頃では雨が降ることが多かった。それも、夏の頃の勢いのある雨ではなくたおやかに地面を塗りつぶしていくような雨ばかり降っている気がする。夏に熱された世界を冬が来るまでに冷やそうとしているように、しつこく、長く。
嵐はカーテンから手を離してふうと息を吐く。拘束を解かれたカーテンは一度大きく揺らぎながら元の位置へ戻っていった。カーテン、布、マント。ふと頭に浮かんだ単語を企画書の端へ走り書く。嵐は目敏くもその行為を見つめて、「もう!」と憤慨したように言葉を吐いた。
「お仕事ばっかりしてちゃダメよ」
「でもこれはknightsのライブの企画書だよ」
テンプレートに書かれた嵐の名前をなぞりながら私が笑うと、嵐は困ったように言葉を詰まらせて「でもねえ」と言った。彼は立ち上がって窓際からこちらへと歩いてくる。歩いてくると言ってもほんの数歩離れている程度の距離だけど。
嵐は机に広がった資料を引っ掴むと一瞥して、ふうん、と言葉を漏らす。自分のユニットのことなのに、まるで他人事のようにテキパキとその資料をまとめて、私の手が届かない机の端まで追いやってしまう。「あー!」と声を上げて腰を浮かすと、嵐は私の隣に座り込み、そして私の腰を掴みまるで幼子を座りつかせるかのように座布団の上へと押し戻した。未だ握っているシャープペンも彼はすぐさま引き抜いて書類の方まで転がしてしまった。悲壮な声を私があげると嵐は柔和な口調とは懸け離れたごつごつとした手で私の腰を抱く。
「今日はknightsの嵐じゃなくて普通の鳴上嵐なのよ?」
「屁理屈だ」
「屁理屈で結構!」
彼はこてん、と首を私の肩の上に置いて、つまらなさそうに頬を膨らませた。雑誌に写る彼とは違う、舞台で映える彼とも違う可愛らしい仕草に鼓動が大きく跳ねる。どこどことうるさいくらいに心臓は揺れているのに、嵐は涼しそうな顔をしてころころと私の肩に頭を擦り寄せる。「寂しいわ」と嵐。BGMのように流れる雨音に混じって響いた彼のその言葉は、全く寂しそうに聞こえなかった。少し楽しそうな、いたずらっ子のような響きに「そう」と気の無い返事を返すと、嵐はぴたりと頭の動きを止めて上目遣いでじっとこちらを見上げた。
「だってずっと書類ばっかり見てるわ」
「だって今日はこれをしに来たんだもの」
knightsのライブの資料をまとめるならうちに来なさいよ、なんて誘ってくれたのは嵐の方だ。「他ユニットなら手を出せないけどうちの企画書なら多少アタシが手伝ってもいいでしょう」そう言ってウィンクをしたのをはっきりと覚えている。それなのに今の嵐は憎々しげに遠くにおいやった書類を見つめて、ぐり、とまた私の肩に頭を寄せる。そして拗ねたように頬を膨らませて「もう知らないわ」と一言言って、そっぽを向いてしまった。
残ったのはうるさいくらいの雨音と、彼から流れるちょっぴりと甘い香水の香りだけ。後頭部しか見えない嵐の頭をそっと撫でてやると、彼は飛び退くように私の肩から頭を離し、目を丸くしてこちらを見つめた。予想外の行動に私の右手は行き場もなくその場に固まったままだ。
「かまってほしいんじゃないの?」
私は首をかしげる。そういうニュアンスで受け取ったのだが違ったのだろうか。右手を下ろして眉を寄せれば、嵐は困ったように眉を寄せて、でもほのかに頬は赤らめながら「違うわよ」と唇から音をこぼす。
「かまってあげたかったのよ」
彼の両の手が伸びて私の腰をしっかりとつかんだ。嵐は私を引き寄せて自分の腕の中に収めると、一度ぎゅっと強く抱きしめて「お疲れ様」と雨に紛れそうなほど小さくささやいてくれた。「うん」とだけ短く返事をして嵐の背中に腕を回す。驚くほどに逞しい腰は、所作に似合わず思いの外男らしかった。
ぴちゃんと、遠くで水音が跳ねた気がした。水音とともに額に落ちたキスの後、嵐は少しだけ照れくささが混じった美しい笑顔で私を見下ろしていた。