DropFrame

「かおるさん。」

 ごろごろとだらしなく床に転がっていたら、視界の隅からぬっと足首が現れた。音もなく現れたので、もしかしたらお化けではないのかと思った私はその足首についている細い金色のアンクレットに触れる。幾重にも重なったそれは私の指の上でさらさらと音を立てて揺れる。

「そんなところでねていたら風邪ひいちゃうよ」

 頭上から降ってきた声に私は手遊びをやめて天井を見上げると、アンクレットと同じ、キラキラした金髪が見えた。「たいよう」とぼそり呟けば、どうやら拾えなかったらしい言葉を確かめるように、羽風さんは「うん?」と言った。言いながらかがんで未だ床に転がっている情けない私の髪の毛をかきあげる。彼の指先が頬に当たるたびに、くすぐったくて身じろぎをしてしまう。まるで猫を慈しむように何度も髪の毛を梳かれるので、少しだけ腹が立った私はのっそりと起き上がってそのまま羽風さんの肩口に倒れこんだ。しゃがみこんでいた彼だから一緒に倒れるとおもっていたのに、案外羽風さんは頑丈だったらしい。よろめきもせず、倒れもせずに、そのまま私を抱きとめて「甘えてる」と嬉しそうに声を上げた。攻撃だったことは黙っておこう。

「ね、さっきのさ、聞こえなかったんだけど」
「しょうもないことだからいいんです」
「ふうん」

 そう言うと羽風さんは尻餅をつくように座り込んで閉じていた膝を開いた。突然空いた空間に吸い寄せられるように私の体は倒れ、ちょうど羽風さんの中にすっぽりと収まったところで彼は私を挟み込むように足を閉じた。いたずらっ子のようにくすくすと笑いをこぼす彼の顔はここから見れない。彼の肩越しに見える、まだ見慣れないリビングを眺めながら「羽風さん」と彼の名前を呼んだ。羽風さんは「なあに」と言いながら私の背中に手を回す。足から、手から、彼の肢体全てに拘束されながら私は羽風さんの肩に頭を乗せた。ちょうどここからでも、彼の左足に彩られたアンクレットが見える。手を伸ばしてそれに触れると、さらりと揺れた。

「それ、お気に入り?」
「なにがですか?」
「アンクレット。さっきも急に触ってきたでしょ、びっくりした」
「羽風さんが視界に急に現れるからですよ、幽霊かと思いました」
「幽霊は足がないでしょ」
「なるほど」
「抜けてるよねえ本当に」

 心配になっちゃうよ。羽風さんは腕に力を込めながらそんな言葉を吐いた。彼が動くたびに、私が身じろぎをするたびに彼のアンクレットはゆらゆらさらさら音を立てて揺れる。それがさざ波のように揺れるので、羽風さんらしいなと思った。海に似合う彼は、こうして海の欠片のようなアイテムを身につけるのだろう。指先をアンクレットと彼の足首の間に入れると、羽風さんは、ふふ、と笑いをこぼした。

「やっぱりお気に入りなんじゃん」
「そうじゃないです、でもこんなのつけてましたっけ?」
「つけてないよ、この前さ、女の子から告白されちゃって」
「え?!」

 突然飛び出した言葉に私は顔を上げたが、ここからでは近すぎて彼の顔がほとんど見えない。私が距離を話そうと身をよじってみるが、羽風さんは逃すまいと拘束の力を強くする。もはや押さえつけに近い力を込めながら「浮気じゃないよ」と彼は釈明する。あまりのあっけらかんとした声にもともと責める気もなかったが、さらに脱力してしまって「そうですか」と言って私は暴れるのをやめた。どうやらそれが不思議だったようで、羽風さんの拘束は緩み、少しだけ私を引き剥がすと彼はまじまじと私の顔を見た。そうか、私が見れないということは羽風さんも私の顔が見れなかったのか。

「ちゃんと断ったよ、妬いた?」
「驚きはしましたけど、妬く暇はなかったですね」
「えー」

 羽風さんは残念そうに、でも嬉しそうに顔を綻ばせながら声を上げた。「きみって昔からそういうところあるよね」なんて言葉を続けて、嬉しそうにくすくすと笑う。羽風さんはそのまま自分の指で足元のアンクレットを揺らすと「ほしい?」と笑った。私も指を伸ばしてそれに触れる。羽風さんはアンクレットから指を離すと、伸ばした私の指に触れた。そして上から押さえるように握りこむと彼はまるでひとりごちるように「ほしい」とぼそりと呟いた。アンクレットを見つめていた彼の眼差しはそのまま、私の指先へ、腕へ、たどるように私の顔へと降り注ぐ。さっきまでへらへらと笑っていたくせに、急に真顔になるものだから緊張してしまって「まるで私がほしいみたいな言い草ですね」と笑うと至極真面目な顔をして彼は「そうだよ」と呟いた。

「これね、雑貨屋さんで買ったんだけど、左足につける意味って知ってる?」
「し、知らないです」
「そう、じゃあ秘密」

 しれっとそういうと彼は自分の足首から二つ、アンクレットを外した。彼の手が私の左足首に伸びる。抵抗する間もなく、するりと私の足をくぐり抜けた二つの輪は、さらりという音を立ててくるぶしで揺れた。羽風さんは満足そうに私の足首のアンクレットを指でつつきながら「おそろい」と笑った。

「これね、実はセット販売なんだけど」
「何が付いてくるんですか?」

 羽風さんは口を開いて、そして少しの間の後に口を閉じてしまった。気恥ずかしそうに目線をそらして、ううん、と言葉を漏らす。いい辛いものと一緒に買ったのだろうか。でも雑貨屋にはそんな口に出して恥ずかしいものなんてないよね?さらさら揺れるおそろいの金色が小さく空気を震わせる。

「羽風さん?」
「……うん」

 羽風さんは逡巡しつつ、しかし指先はアンクレットを掴んで離さない。二つの輪っかを離したり揃えたりしながら「似合ってるよ」と呟く。私は彼のせわしなく動く指先を見ながら「羽風さんの色ですもんね」と言うと、彼はちらりとこちらを見上げて「うん」とまた小さく呟く。

「これ、セット販売だから」
「さっきも聞きましたよ、何が付いてきたんですか?」
「俺が買ったときはついてなかったよ、でも今は、その、つけようと思って」
「へえ、何が付いてくるんですか?」

 私は別段変なことを尋ねたつもりもなかったのだが、彼はその問いを聞いて、やはり気恥ずかしそうに目線をそらした。ごにょごにょと言葉にならない音を舌の上で転がし、微かな声で「はかぜ」と呟く。

「……はかぜさん、がついてきます」
「は?」
「俺の苗字、が、ついてきます」

 そこまで言うと彼は顔を真っ赤に染め上げて、乱暴に私を抱き寄せた。抱き寄せて、そのまま私を押し倒す形で二人して床に倒れる。今度は彼が私の肩口に顔を埋めて、恥ずかしそうに小さく呻き声を上げる。小刻みに彼の肩が揺れている。

「ああだめ、はずかしい」
「羽風さん、今のプロポーズですか?」
「察してよ、というかアンクレット付けた時点で君ももう半分くらい『羽風さん』なんだからね」
「そんな横暴な」
「だめ?」
「だめじゃないですけど……代金は、私の人生ですか?」
「そういうことしれっというよね」

 羽風さんは私の頭の真横に両手をつけて上半身を起こした。電気に照らされて、彼の金髪がきらきらと揺れる。高校時代からなんども彼の金髪を眺めてきたが、やはり、眩しい。
 足を動かすとかすかにさらり、という音が聞こえた。どちらの音かは、もうわからない。

「随分と高い買い物をしちゃった気分です」
「クーリングオフする?」
「まさか……羽風さんこそ売りつける相手間違ったとか思わないでくださいね」
「だから君も羽風さんになるんだって」
「そっか、じゃあ、薫さん」

 私はきっと彼の顔を忘れないだろう。だって、逆光に負けないくらい顔を真っ赤にして見下ろした幸福に緩んだ顔は、私の一生の宝物に違いないのだから。