夏の間のんびりと空を漂っていた太陽は日が巡るにつれて追い立てられるように早々とその身を夜へと沈めてしまう。数日前は太陽の熱に暖められた噴水の水も、今やもう冷たい。焼けるような夕焼けを見ながら指を水面に滑らせると、太陽に反射して輝いた飛沫が小さく弾ける。ざあざあと音がする。ちゃぽちゃぽとも音がする。規則正しく流れる噴水の音と、不定期に響く先輩が奏でる音。噴水の縁に座りもう冷たくなった水のなかで漂う先輩を見つめると、彼は柔和に表情を崩して、ごきげんななめ、と嬉しそうに口にした。
「斜めって訳ではないですが」
ざばり、と大きな音を立てて先輩が立ち上がる。先輩は私を一瞥すると、ゆっくりと歩き出した。彼が歩くたびに、膝に水がまとわりつく。引き留めるように何度も何度も、彼の足には水が揺れる。
先輩は私のもとまで歩くと腰を下ろして視線を合わせた。緑色したきれいな瞳が細まる。
「……夏はもう終わりですよ」
私の辛辣な言葉にも先輩は動じず微笑みを絶やさない。もう薄暗い景色を見て、ほんとうですねえ、とただただ呟く。夜長の準備を始めたこの季節は、六時を過ぎたらもう暗い。微笑み細められた目がゆっくりと開いて、彼は景色を見る。濡れた制服から落ちる滴が音を立てて水面を揺らす。些細な音だったはずなのに、やけに響いて聞こえたその音。先輩の顔を見上げると、彼はにこりと笑いその場にまた座り込むと濡れた手を私の手の上に重ねた。
「さびしいですか?」
緑の目が真っ直ぐ私を射ぬく。涼しい風が頬を叩く。秋はもうそこまで来ているのだ。ずぶ濡れの先輩は重ねていただけの手をゆっくりと握りこむ。ずっと水のなかにいたくせに、彼の手はやけに暖かかった。
「もうこの噴水で泳いでる先輩の姿が見れないのは少し寂しく感じます……来年、いないし」
「ふゆでもぼくはここにいますよ?」
「え?!それはちょっと風邪引くからやめた方がいいと思うんですけど」
「だって『おさかな』は『みずのなか』にいないとしんでしまいます」
先輩はそうしれっといい放つと顔を半分水のなかに埋めて、ブクブクと泡をはいた。水面に浮かぶ山々に私が笑うと先輩は顔を水からあげて、
「わらっていたほうがいいですよ」
と言って彼もまた、笑った。
風が空気を運ぶ。冬と呼ぶにはまだ温く、夏と呼ぶには涼しすぎる空気は、季節の変わり目を、そしてもう長くない先輩との学院生活を示しているかのようで、心が少し痛い。
先輩が噴水の縁にもたれ掛かるように座る。彼の頭が私のカッターシャツを濡らす。
「まだ、さきをみるには『はやすぎ』ますよ」
先輩の声が響く。鈴のような虫の音が響く。
「ぼくはまだ『ここ』にいます」
先輩の手が伸びて腰を抱く。夏服の薄いシャツ越しに、彼の熱を感じる。
「だからまだ、さびしくなるには『はやい』ですよ」