DropFrame

酔っ払って転校生に抱きつきそのまま寝る乙狩アドニス

 百円均一で買ったやけにカラフルなグラスは、驚くほどアドニスくんに似合わなかった。

 グラスの中から柑橘系の強い香りがする。コンビニで買ったチューハイはどうやら彼には物足りないらしく、結構な量を飲んでいるというのに彼の顔色は変わらない。もしかしたら変化が見えないだけかもしれないと彼の瞳を覗き込んでみると、アドニスくんは目元を緩ませて、酔っているのか?と笑った。酔っているつもりは毛頭もなかったけれど、私もそこそこの量を飲んでいる。もしかしたら酔っているのかも、と首をかしげると、アドニスくんも模するように首を傾げて、酔っているんじゃないか?とはにかんだ。
 もはや終盤に差し掛かった二缶目の中身をグラスに注ぎ込む。飛沫とともに広がる爽やかな香りは鼻から胸の奥へと爽やかに通り過ぎる。夏の香りを感じながらグラスのちょうど八分目まで注ぎ入れて、まだ残っているチューハイの缶を机の上に置いた。低く唸り声を上げるエアコンの音を聞きながらグラスを傾けると、アドニスくんがじっとこちらを見つめていることに気がついた。アルコールのしゅわしゅわした感触を喉に流し込んで、もう中身の少なくなった缶を揺する。

「アドニスくんもおかわりいる?」
「いや、まだ大丈夫だ」

 お誘いに乗れなかったチューハイはちゃぽりちゃぽりと寂しげに音を立てた。あまりにその音が寂しく響くので私のグラスにお迎えしてあげると、アドニスくんは、よく飲むな、と言ってまた笑った。そして彼もグラスを傾ける。カラフルなガラスの向こうに、褐色の指先が屈折して滲む。アドニスくんがお酒を飲む。喉が上下する。当たり前の行動なのになぜだか艶めかしく映るのはやはり私は酔っているのだろうか。
 彼の色気から逃げるようにおつまみにと買ってきた軟骨の唐揚げへと目を逸らす。しかしまるでその視線を追いかけるように彼の指が軟骨に伸びる。すいと視界に入ってきたその長い指先は軟骨をつまむとぴたりと止まった。食べるか。アドニスくんの声がする。彼の方を見ると、アドニスくんは、肉、と言いそして唇を閉じた。金色の瞳が真直に私を見ている。じっと見つめ返すとしばらくお互いの視線が交差する。なにも緊張することなんてない間柄なのに、まるで糸が張ったように空気が止まる。凍った空気の中、アドニスくんはゆっくりと瞬きをする。瞼の動きに少し遅れてまつげが穏やかに上下する。アドニスくんが私の名前を呼ぶ。なに、と私が口を開くと、その隙をついて彼は持っていた軟骨を口内へと押しやった。目を丸くする私に、彼は表情を緩めて、うまいな、と笑う。確かに美味しいけど、そうじゃない。ふてくされながら軟骨を転がすと、アドニスくんは上機嫌に笑ってチューハイを煽った。

「自分で食べれるんですけど!」
「知ってる」

 アドニスくんはそう言って軟骨をまたひとつ掴むと自分の口へと転がした。うまいな。彼はまた笑う。返事をするのがなんとなく腹立たしくて、彼から背を向けてお酒を煽ると、怒ったのか?と背中から声がかかった。横目でじろりとアドニスくんを睨みつけると彼は柔和な笑みを浮かべて、怒らないでくれ、と口を開いた。そんな顔されたら、怒るに怒れないじゃないか。
 怒ってないよ、と呟くとアドニスくんは心底安心したように、そうか、と言った。ことり、と机の上にグラスが置かれる音がして、続いて床が体重できしむ音が聞こえる。私が振り返るより先に、褐色の両腕が私の腰を抱いて、そのままずるずると引きずる。

「うわあ、ちょ、ちょっとアドニスくん?!」

 上げた悲鳴などお構いなしに、アドニスくんは両腕の中に私を閉じ込めると、うん、と言葉を漏らす。うん?と問い返すも彼から明瞭な返事は返ってこない。背中越しに暖かい体温。アルコール混じりのアドニスくんの吐息は熱を持って私の頬をくすぐる。彼は私の背中に体重をかけるように覆いかぶさりながら、一度嬉しそうに笑った。とても幸せそうに笑うので、突然の狼藉への文句など霧散してしまった。それでもぎゅうぎゅうとかかる重みは耐えるのには少々厳しい。

「アドニスくん、その、おもい……」

 しかし彼から繰り返されるのは、うん、やら、ううん、やら、はっきりとしない言葉ばかり。彼の剛腕ががっちりと腰を抱いているので逃げようにも逃げられない。身じろぎしてみるがびくともしない。アドニスくんは私がもぞりと動くたびに嬉しそうに笑いをこぼして、ぎゅうぎゅうとさらに抱きしめる。重いです、とまた私が繰り返すと、彼は、うん、とだけつぶやいた。

 次第にアドニスくんの声は安らかな吐息へと変わり、縄のように屈強だった拘束も緩まり解けた。アドニスくんを倒さないように慎重にその場から這い出て、すっかり寝入ってしまった彼を見る。なんだ、酔ってたんじゃない。いつもよりほんのり赤みの差した頬。警戒心など程遠い、穏やかな寝顔。部屋の隅に置いてあった毛布を彼にかけると、アドニスくんは一度身じろぎ、小さくだが確かに、私の名前を呼んだ。彼の紫色の髪を撫でてやると、アドニスくんの頬は緩み、そしてまた安らかな寝息を立てる。

 カラフルなグラスに残っているお酒を流し込んで、私もアドニスくんの隣に寝転がった。お互いのアルコールの香りが空中で溶けて燻り、部屋を満たす。いつもより酔っ払った部屋で、夢見心地に揺られながら、私は目を閉じた。