DropFrame

屋上で喋る話

 短い棒のついたキャンディはまるで水面のように青く輝いていた。ぽつりぽつりと浮かぶ気泡。青から白に変わるグラデーション。破いた包装紙をポケットの中に突っ込んで飴を舐める。サイダー。夏の味だ。飴だから炭酸の感覚はない。甘ったるいそれを舌の上で転がすと、口元の棒もコロコロとご機嫌に転がる。
 夏の屋上はとても暑い。フェンスに体重を預けながら浮かぶ積乱雲を眺めた。もくもく。わたあめ。ふとん。焼きたてのパン。頭の中で連想しながら風に流されるそれを眺める。隣にいた羽風先輩も同じように雲を見て、大きいねえ、と間延びした声を上げた。大きいですね、と呟く。甘ったるい息が、鼻についた。

「俺にはないの?それ」
「先輩もこういうの食べるんですか」

 ポケットをまさぐってもう一本飴を取り出すと、先輩はそれを受け取ってピリピリと包装紙を破る。普段は食べないんだけどねえ。言葉通り先輩は不器用に包装紙をちぎり破る。私がそれを見て笑うと、彼は不満そうに眉を寄せて

「昔は一回でちゃんと取れたんだよ」

 と頬を膨らませた。先輩のたまにみせる不貞腐れる姿が好きなことは、秘密だ。

 遠くでセミが鳴いている。日差しが容赦なく照りつける。時折吹く潮風を待ちながら、私と羽風先輩はただただぼんやりと屋上で立ち尽くしていた。私は少しいやなことがあって。そして羽風先輩も思うところがあって。お互い思いつめた顔で屋上で鉢合わせてしまったから、思わず互いに笑みを零してしまった。
 先輩はどうしたんですか。野暮用かな、君は?私も野暮用です。お互い言えない気持ちを抱えながら、どちらともなく隣に寄り添った。夏の濃い影がぴったりとくっつく。フェンス越しに潮風を感じながら、二人でコロコロと飴を転がす。

「働きすぎじゃない?ちょっとは休んだら?」
「羽風先輩だって。朔間先輩だって言ってましたよ、薫くんは今年になって良く働き出したって」
「なにそれ今まで俺がサボってたみたいに」
「あら、真面目に活動してらしたんですか」
「してたしてた」

 羽風先輩が肩を揺らし笑う。金色の髪が太陽に照らされてきらきらと光る。どこへ居ても目立つ綺麗な金髪は、太陽の下ではより一層煌めきを増す。朔間先輩が日光が苦手なのでかなわないけれども、きっと太陽の下で歌って踊る羽風先輩は、夜闇で見るそれとはまた別の魅力を持っているだろう。私がずっと先輩の髪を眺めていると、羽風先輩は笑って、見過ぎ、とキャンディの棒を揺らし笑った。先輩からもサイダーの甘い香りがする。夏の香りだ。二人で口から夏を漂わせながら、こうして屋上で佇んでいる。

「なにか落ち込むことあったの?」

 潮風が吹いて、私たちの髪を揺らす。先輩は風の行く末を見ながら、襟足を、シャツをはためかせながら、まるで呟くようにそう言った。私は風に煽られる髪の毛を抑えながら先輩を見る。彼は遠くを見ている。はたして今のは私に対する言葉だったのだろうか。

「先輩こそ」

 私の言葉に先輩はこちらを向いて、困ったような笑みを浮かべた。私も模するように苦笑を浮かべる。互いにへらへらと軽く微笑みあって、そして同時にため息を吐いた。

「人にはあるよね、言えないこととか言いたくないこととか」
「ありますあります、だいたい何にもないならこんな暑いのに屋上なんてこないですって」
「あー、もう全て投げ出して海行きたいよね!海!」
「あ、今度海でライブあります、流星隊と」
「げー、なんでそこで仕事の話持ち出すわけ?君ってちょっとデリカシーないよね」
「先輩こそ包装紙ちゃんと破れないくせに」
「今回はたまたまだって次は綺麗に剥くから」

 だから。先輩が言葉を切る。白々しいほど青い空が先輩の後ろに広がる。膨らむ入道雲。薄くたなびく飛行機雲。夏の空は忙しい。風に煽られながらどれもこれも、せわしなく流れていく。先輩の口元の棒が揺れる。言葉の代わりに夏が香る。甘ったるくて、爽やかで、どこか懐かしい香り。

「――やめやめ、暑さでやられそう、俺もう戻るからね」

 先輩が何を口にしようとしたのかはわからない。わからないけど、今はわからなくてもいい気がしてた。サイダーの香りを漂わせながら先輩は私に背を向けてそそくさと校舎に戻ってしまった。一帯に漂うサイダーの香りは私のものなのか、彼のものなのかもはやわかりはしない。

「夏だなあ」

 口元の棒が揺れる。懐かしい味が口に広がる。空を見上げると、先輩と私のくっついている影が残響のように青空に残っていた。そんな、気がした。