パンケーキの甘い幸せ、紅茶の芳しい愉悦、そして可愛い女の子。彼の好きなものは軒並み幸福に満ち溢れていると思ったし、彼にもそれが似合っていると思った。雪のように白いホイップクリーム、宝石のように煌めくフルーツ、バターの甘さに包まれた生地。隣には琥珀色に輝く紅茶を添えて、透明なシロップをスプーンでかき混ぜる。店内のBGMに逆らわぬような声量でかわいい女の子の前で他愛もない話でもしながら時間をただただ過ごす。
「あ、ちなみにそのパンケーキね、はじめはそのシロップをかけないで食べたほうが美味しいんだってーーどうしたの?もしかしてパンケーキ苦手だった?」
「……いや、違うんですけど」
「じゃあ他の食べたかった?メニューまた持ってきてもらう?」
「そういうわけでもないんですけど」
そう、この状況。美味しそうなパンケーキと、湯気をくゆらせる紅茶。そして店内に流れるオシャレなBGM。目の前には軟派なれど美丈夫な先輩。そんな完璧とも言える空間の中で、なぜ私が鎮座しているのかわからない。嫌というわけではない、しかしどう考えても平々凡々な私がここにいることが場違いと思えてならないのだ。
ため息とともにその旨を伝えると、羽風先輩は一瞬驚いたように目を丸くして、一拍、くすりと笑いを吹き出す。私が眉間にしわを寄せると、先輩は、ごめんごめん、と口元を指で隠しながら、そしてまたくすりと笑いをこぼした。
「何度も言うけどね、俺が、きみと、来たかったの」
「羽風先輩なら他にもっといい女の子がいるじゃないですか」
「他のもっといい女の子よりも君と来たかったの」
まるで幼子に言い聞かすように先輩はそう繰り返しながら、机の脇にある長方形のバスケットからナイフとフォークを取り出して私に手渡した。眉尻を下げたまま私がそれを受け取ると、先ほどまで笑っていた先輩はその表情を強張らせて、
「やっぱり無理してついてきてくれた?」
と声を漏らした。先ほどよりも一段階低い声色に私は慌てて首を横に振る。
「そんなことは、ないです」
「本当に?アドニスくんとか晃牙くんとかの方がよかったんじゃない?」
頑なに首を振る私に、彼は安堵の息を吐いて、よかった、と言葉を漏らす。カップの脇に添えてある白い陶器の容器を持ち上げて、先輩は紅茶にミルクを注ぐ。くるくると色が変わる紅茶を眺めながら、このお店ね、と彼は呟くように小さく言葉を吐いた。
「イチゴの、そのパンケーキが美味しいんだって」
そういえばお店に入る前にそんな話をしていた気がする。羽風先輩に勧められるがまま頼んだパンケーキは、細かく刻まれたイチゴが、所狭しと散りばめられている。付け合せのシロップもどうやらイチゴがベースとなっているようで先ほどから濃厚な甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐってやまない。
「この前アドニス君とパフェ食べに行ったんでしょ?」
「あ、そうです。美味しいのがあるってアドニス君が教えてくれて」
「アドニス君から、君がイチゴのパフェがお気に入りだったって聞いてさ、イチゴ好きなのかなと思って」
彼の発言の意図が分からず目を瞬かせる私に、羽風先輩は穏やかに微笑む。
「好きならぜひ一緒に食べたいなと思って連れてきたの、だから他の女の子とかじゃなくて、君と来たかったのは本当」
くるくるとひとしきりかき混ぜた紅茶は、透明な琥珀色からベージュ色へと変貌していた。先輩はそのまま一口それをすすり、私の顔を見て
「顔真っ赤だよ」
と言って笑った。あんなことを言われて赤面しないと思ったのかこの人は。ふいと視線をそらす私に、彼のくすくすと笑う声だけが届く。そしてカップとソーサーが重なる音、食べよう、と促す羽風先輩の声。絶対顔を見てやるもんかと、早鐘のようになる胸の音を聞きながら、ナイフをパンケーキへと差し込む。パンケーキはさくりさくりと音を立てながら、押されるがままナイフを飲み込んでいく。イチゴのホイップクリームを絡ませて口の中に運ぶと、それは幸福と銘を打つにはふさわしいくらい、優しく柔らかく舌の上で溶けた。