今日も葉書が届いた。抜けるような青。色彩豊かな壁面。まるでおとぎ話に出てくるようなカラフルな風景に不釣り合いな、黒い革ジャン姿の後ろ姿。革ジャンも、ギターケースも、まるで歴戦を匂わせるように少しだけ色褪せていた。ただ太陽を浴びてキラキラと輝く銀髪だけは変わらない。それは旅のスナップ写真を加工したのか、それとも構図を決めて撮ったのかはわからない。もう一つ言えば一体この写真がいつ、どこで撮られたかもわからない。
わからないだらけの葉書を見て、私は表情を緩める。ポストを閉じて施錠をし、アパートの階段を軽快に駆け上がる。ポケットから自宅の鍵を取り出して開き、部屋の中へと身を滑らせる。靴をたたきで脱ぎ捨てて、そのままベッドへ。重力の赴くまま布団へと身を沈めると、その葉書をもう一度眺めた。異国情緒溢れる風景。そして懐かしい後ろ姿。風景写真だけでメッセージは一言もない。ひっくり返しても無骨な文字で私の住所と名前しか書かれていない。彼らしいと思った。意味深長なようでよくわからない様になっているのも非常に、彼らしいと思った。
当初は面食らった差出人のないこの葉書。枚数を重ねるうちに差出人が誰かわかってしまった。答え合わせをしたわけではない。しかし確証はある。学生時代「卒業したら海外へ飛ぶ」とずっと宣わっていた晃牙くんに違いない。彼がどこを巡って何を見て、そして何を思って私にこれを送っているのかは知らない。しかし毎月一回きっちり届く「月刊大神晃牙の後ろ姿」は、彼の息災を示しているようで、私は安堵する。もちろんこんなものが送られてきて、会いたくならないわけはない。しかしその気持ちを上回るほどの彼は自分のやりたいことができているんだ、という気持ちが湧き上がり、会いたい気持ちを押しとどめてくれた。
***
「俺は、卒業したら海外にいく」
それは突然の告白だった。彼の瞳は爛々と輝きとても冗談を言っている風には見えなかったので、思わず喉元まで届いた、はあ、の言葉を飲み込んでしまった。屋上。風が通り抜ける季節。爛々と輝く太陽と、反射するように眩しい銀髪を眺めていた。琥珀色の瞳は希望と羨望に満ち溢れた色を滲み出していて、もう一度口にする「海外」という単語は「海の向こうのどこか」というよりも「憧れの地」というニュアンスが強い響きを持っていた。晃牙くんはひどく真面目に、本気でそう考えている、と言葉を続ける。
「ギター一本で、どこまでできるか試してみてえ」
「アイドルはどうするの」
私の一言に彼は言葉を窮してしまった。そこは彼も思うところがあるらしく、アイドル、と未練を含ませた言葉を口にする。彼の数歩先には朔間先輩と羽風先輩が待っている。彼の隣には共に歩くアドニスくんがいる。てっきり彼らの後を追うと思っていた。昼食のコロッケパンを一口食むと、黙って隣で話を聞いていたアドニスくんが緩く笑った。
「いいんじゃないか」
「え?」
驚く私の顔を見つめて、アドニスくんは肩を揺らし笑った。そしてまた、いいと思うぞ、と繰り返す。そんなアドニスくんの言葉に晃牙くんは深く頷いて、しかし私はとても同意できない、と頭振った。
「だって先輩たちも待って」
「例えば」
アドニスくんが大きな口でカツサンドを頬張る。これは最近の食堂の人気惣菜パン一位に返り咲いたらしい。肉厚でジューシーで、アドニスくんのお気に入りだ。
「俺たちが卒業してそのまま先輩たちの元へ行ったら、俺たちは一生後輩のままだと思う」
彼がそれを頬張るたびに、衣がさくりさくりと音を立てる。ぱらぱらと雪のように腿へと降り注ぐパンくず。彼はそんなことには目もくれずきっとずっと考えてきたであろう気持ちを表す言葉を探しながら、続ける。
「大神のように一度離れてみるのも、俺はアリだとおもう」
「そんな」
「じゃあテメエはこのまま俺たちが何も成長せずにあいつらの元へ行っても良いっていうのかよ」
「何もしてないわけではないでしょう」
「何もしていないわけではない、でもこの一年は、あの人たちが通ってきた一年だ」
大神くんも大きく頷く。彼の胸元に垂れる緑色のネクタイが風にそよぎ揺れる。私の心の中ではバカなことを、という気持ちが大きく巣食っていた。アイドルなんて時間勝負だ。もちろん年齢を重ねても大成している人は沢山いる。それでもやはり駆け出しのアイドルとして注視されるのは「年齢」だとか「新鮮さ」だとかそういった類が多い。例えばオーディションなどで募集要項に若い年齢に設定されていることは少なくはない。そんな貴重な時間を無下にするなんて。プロデューサーとして止めなければいけないのではないか。
そんな気持ちと同時に、奥底の方に小さくだが、彼らはこれがあっているのかもしれない、という気持ちも芽生えていた。それはプロデュース科の一人者としての答えではなく、私自身の、彼らの友人としての気持ちの一端だ。本来なら隠しておかなければならない気持ちの一つ。
「俺たちは強くならなければならない」
アドニスくんが言葉を続ける。彼はタッパーの中に残っていた2切れのカツサンドを私たちに差し出す。晃牙くんが一つ掴むと、アドニスくんは私の方へと寄せる。もう後数口程残したコロッケパンを膝に置いて、肉厚なカツサンドを受け取った。彼の目線が食えと言っている。見れは晃牙くんはもう大きな口で頬張っていた。私もそれに倣って頬張ると、アドニスくんは嬉しそうに目を細めた。
「アドニスくんも一緒に行くの?」
「どうだろうな、俺はまだ決めていない」
「テメエにはテメエがしたいことがあんだろ、別についてくる必要もねえよ」
突き放したような言い方なのに、アドニスくんはその言葉を聞いて嬉しそうに表情を和らげた。こういうとき男の子って本当にわからない。最近の彼らを見て私は強くそう思う。二年生の頃は一緒に歩いているような気がしていたのに、気が付いたらどんどん先へ歩いて行ってしまう。どうにも彼らの言い分が理解できずにカツサンドをやけ食いしていると、晃牙くんが口の周りについたパン粉を舐めとりながら言った。
「テメエは待っとけ」
「……誰を?」
「俺様に決まってんだろ」
「なんで」
「待っていてほしいからだろう」
アドニスくんが笑う。季節を経るごとにどんどん饒舌になってくる彼の日本語だが、やはり直接的な言い回しはなおりそうもない。晃牙くんはアドニスくんの物言いに唇を尖らせたが、返す言葉が思い浮かばなかったのかそっと口を閉じてしまった。そして彼に言い返すでもなく、そっと呟くように
「いいから待ってろ」
と言った。男の子は本当に勝手な生き物だ。パンを咀嚼しながら私は心の底からそう感じた。
そして卒業して彼は本当に海外へと飛んでしまった。アドニスくんが一緒なのかどうかはわからない。それでもまだ朔間先輩と羽風先輩が二人で活動していることと、UNDEAD再結成らしい噂が届かないことをみると、彼もまた、自分なりに生きているのだろう。
***
それは急な電話だった。私用の携帯にかかってくる見知らぬ番号からの電話は普段取らないのだが、連日の激務に疲れていた私は呼び出し音に導かれるまま通話ボタンを押していた。名乗りをあげると耳元に聞こえる懐かしい声。誰の声だったっけ。まだ霞のかかった頭で思い出していると、アドニスだ、と懐かしい声はそう言った。
「今大丈夫か?」
「アドニスくん?!久しぶり、大丈夫だよ、元気そうでなにより」
なんせ彼からの連絡も卒業して以来だ。一気に覚醒する頭に電話の向こうから笑い声が聞こえる。空港だろうか、知らない言語のアナウンスがひっきりなしに流れているようだ。
「すまない時間がない、日曜日、学院の前に16時で会おう」
「え?」
聞き返す私に遠くの方から、それもまた懐かしい声で急かす声が聞こえる。葉書の向こうで空を見ていたあの後ろ姿。ああ、そうか。写真はいつもアドニスくんが撮っていたのか。
「大神がお前に会いたいと」
言ってねえよ!そんな怒号が聞こえて、同時に笑う声が聞こえる。電話口の向こうがどこにつながっているのかはわからない。それでもきっと彼らは彼らの課程を終えて、ようやく帰ってくるのだ。懐かしい声と感慨に滲む視界。指先で涙を拭って、わかった、と伝える。アドニスくんは安心したように、そうか、と言って、息を吐いた。同時にがたん、と受話器の向こうで大きな音が鳴る。驚くアドニスくんの声。どうしたの?と私が尋ねると、返ってきたのは穏やかな彼の声ではなく
「遅れるんじゃねえぞ」
粗暴で、強引で、そして私がとても聞きたかった声。
「テメエに渡すもんがある……おい、なんとか言えよ」
「晃牙くん」
「んだよ」
「はやく、会いたい」
私の一言に、彼の言葉が止まる。うっせえ、なんて怒鳴り声が飛んでくると思ったのに、帰ってきたのは驚く程優しい声で、待たせて悪かったな、との一言。
「帰ったら、話してえことが沢山ある」
「うん」
「また日曜日に」
そう言って電話は切れた。誰からだったんですか?好奇な色を瞳に浮かべながら、隣で今度のライブの資料を眺めていた後輩が尋ねてくる。私は人差し指を立てて、秘密よ、と小さくウィンクを飛ばすと、彼女は肩をすくめて、はあい、と言って笑った。
日曜日は休めるはずだ。どうしようそれまでに身なりは整えておきたいし服だって着古したものは嫌だし。仕事の書類を携えながら考える私に、後輩は肩を揺らして笑った。
「先輩浮足立ってますよ」
そりゃそうだ。だって何年待ったと思っているんだ。彼女の言葉に苦笑を漏らしながらこの前届いた葉書を思い出した。差出人もメッセージもなにもない葉書。聞きたいことが沢山ある。話したいことが沢山ある。まずはなにから話そうか。きっと時間はいっぱいあるから、たくさんたくさんお話をしよう。