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美しい夜に

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**注意書き
*吸血鬼パロです
*朔間零→吸血鬼
*転校生→聖職者(的ななにか)
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 月夜の美しい夜だった。月明かりが窓を通り抜けてぼんやりと教会の地面に色を落とし、吹き抜ける風もさわさわと木々を緩やかに揺らす、美しい夜だった。日中は太陽に照らされて鮮やかに光を落とすステンドグラスも、今夜はひっそりと佇むだけ。まるで絵画のように微笑みを落とす聖母の姿は、淡い光に照らされてぼんやりと光を放っていた。この清浄な沈黙に身を浸すのは私と、そして皆を見守る聖者の像だけ。

 いや違う。もう一人。

 導かれるように窓を開くと夜風が勢いよく教会の中へと吹き込まれた。暴れる髪の毛を撫でつかせながら外を見つめると、夜を纏うように黒いマントがひとつはためいた。いつからここに来たのか、はたまたずっとここにいるのかは定かではない。私が窓から手を伸ばすと、宙に浮かぶマントは闇夜に波打ち、ゆっくりと人型を形成していく。硬い何かが指先に触れる。先程まで何もなかったそこには黒い爪を長く伸ばした指先が現れ、私の指先を包むとついと自分の方へと引き寄せるように軽く引っ張ってきた。窓枠に手をかけて抵抗すると、ひどくつまらなさそうなため息が夜風に混じり聞こえた。

「全く、聖職者ともあろうものが、いけない子じゃのう」
「こんばんは、吸血鬼さん」

 私がそう呼ぶと、夜闇から滲み出てきたように吸血鬼ーー朔間零は姿を現した。彼は私の指先を掴んだまま、指先を自分の口元へと寄せる。わざとらしく音を立てながら唇を落とすと、彼は眉に皺を寄せて、ぴりぴりする、と一言呟く。

「なんども言いますけど、それなりに清めてはいるのですよ、身体」
「身体を清めたところで心が伴っていないと意味ないであろう?」
「あ、ひどい、ちょっと心外ですよそれ」

 私が頬を膨らませると、零さんはおかしそうに肩を揺らし笑う。

「なにを言う、心も清らかならこんな逢瀬など叶うわけないじゃろ」

 さわさわと風が彼の髪を揺らす。普段下ろしているのに、今日は珍しく肩まで伸びた髪を赤いリボンで緩く結んでいた。闇夜に浮かぶように流れるその赤を眺めていると、彼は私の視線に気がついて、自身の髪の先を空いている方の手でちょいちょいとつまむ。

「気になるか?」
「まあ、そういうのもするんだなあと思いまして」
「このところ蒸し暑くてのう」
「その割には零さんの手は冷たいですね」
「人間じゃないからじゃろう」

 指先から伝わる彼の指先はまるで氷のように冷たい。人間ではないから、なんてまさにその通りなのだろうけど、温かい方がいいと思うのは人間だからなのだろうか。少しでも体温を分けてあげたくて、彼の指先を握りこむと、零さんは紅の双眼をゆっくりと細めながら、嬢ちゃんは優しいのう、と呟く。彼の唇が美しく弧を描く。月のように白く透き通った肌、ルビーのように光る瞳。蠱惑的なその雰囲気に、思わず私は息を飲む。吸い込まれてしまいそうだ。その瞳に捕らえられて身動きができない。浅く上がる息に気がついたのか、彼は努めて穏やかな口調で、嬢ちゃん、と私を呼ぶ。その声に我に返った私は慌てて彼から瞳を逸らした。

「その抵抗もいじらしいのう、連れて帰りたいくらいじゃ」
「ほんっとに心臓に悪い……」

 どくりどくりと音を鳴らす心臓の音は、抵抗の証。彼に魅せられぬように必死に抗う、人間の証。零さんは深くため息を吐く私の態度が大層お気に召したらしく、嬉しそうに笑うと私の手の甲をそっと自分の肌に擦り寄せる。まるで大理石のように滑らかで冷たい感触に、思わず私は彼を見上げる。零さんは嬉しそうに頬を緩ませながら、持って帰りたいのう、と一つ息を吐いた。

「出てこんか、その忌々しい建物から」
「出たら攫われちゃうじゃないですか」
「攫いたいんじゃよ」
「……攫われたくないんですけど」
「本当に?」

 ちろりと、彼の口から真っ赤な舌が垣間見える。思わず身を引くが、掴まれた腕がそれを阻んで距離を取ることはできない。彼がそのまま私の指に舌を這わせると、指先に静電気のような痛みが走る。顔を歪ませた私の表情を見て、彼は楽しそうに笑み、

「まあ、腕一本出してくれただけ進歩なんじゃろうな」

 と言いながら私の手を掴んでいない方の手で、結んでいたリボンに手をかける。彗星のように尾を引いて流れる赤。思わずそちらに視線をそらすと、彼は嬉しそうに笑って、そのままリボンを私の小指に巻きつける。

「まあ、気長に待つとするか」

 不意に離れる体温に思わず空を掻く。零さん、とあげた声は辺りに空虚に響くだけだった。先程までそこにいたのに、急に消えてしまった。これだから気まぐれな魔物というものは困る。残ったのは小指にくくりつけられた赤いリボンだけ。

「攫う、かあ」

 もしかしたらこの一線を越えてしまう日も近いのかもしれない。外に出していた腕を引っ込めて、窓枠をそっと撫でる。誰もいなくなった教会は、先ほどまでの逢瀬が嘘だったかのように、穏やかな空気に包まれていた。緩やかな風に揺れるリボンを眺めながら、彼の紅の瞳を想う。まだこの想いはひた隠しにしておこう。彼が本気で攫いにくるまで、そっと。