DropFrame

初めてのキスが、レモンのような味がするなんて、嘘だ。

 普段は乱暴な物言いなくせに、いざその時となると遠慮がちに頬をなでて、目を泳がせる。晃牙くんはいつもの威勢などどこかへ置いてきてしまったかのように、先ほどから私の顔の輪郭を指でなぞりながらちらりとこちらに目線を向けては逸らす。逸らしては向けるの繰り返しだ。いくらの鈍感な私でもこの後に起こる展開は簡単に予想出来ているし、心の準備も整っている。はじめこそドキリと胸を高鳴らせたのだが、彼の目線が部屋の隅と私を4往復したところで、何かがおかしいなんて予感がよぎり、丁度彼の目線が十回私から逸らされたところで、これは長期戦になる、と覚悟を決めた。

 晃牙くんの家の足の低いベッドは彼が少し動くたびに、ぎしりぎしりと悲鳴を上げる。緩い振動に揺られながら、例えば私が押し倒してしまったりとか、からかってしまったりするときっとキスのチャンスは当分やってこないだろう、なんてことを思った。彼と付き合いだしてわかったのだが、晃牙くんは存外奥手で、臆病なのだ。初めて手を繋いだときだって自分を鼓舞するように声をあげないと握れなかったみたいだし、お互いを抱きしめあった時だって、視線はほとんどかち合わなかった。

 普段は勝気なくせに。素直に頬をなでられながら私は晃牙君を見つめる。彼はまた私からふいと視線を逸らせて、うう、とほんのわずかに小さく声をあげた。

「見てんなよ」

 向かい合っているのに何て言い草だろう。少し臥せった彼の目が可愛くて表情を崩すと、彼は険しく顔を歪めて、興が削がれた、なんて私から手を離す。ああ、やってしまった。離れていく体温を追いかけるように彼の手を掴むと、晃牙くんは驚いたように目を瞬かせながら、なんだよ、と一言。ええいままよ、と私は彼の手を離してそのまま彼の胸に飛び込んだ。突然のことに晃牙くんは驚いたように声をあげて、私を受け止めて、そして深々とため息を吐いて腕を背中に回してくれた。すっぽりと彼に包まれながら、ゆっくりでいこうよ、と胸にすり寄る私に、彼は不満そうにため息を吐いて、嫌ってわけじゃねえんだよ、と一言呟く。

「緊張すんだよ」

 壁に掛けられた時計がもうすぐ九時を指す。そろそろタイムリミットだ。帰りたくないなあ、と言いながら彼の背中に腕を回すと、晃牙君は胡坐をかいて私をさらに抱え込みながら、なら帰んなよ、と言った。真剣な声音で響くその音に、一瞬帰らなくてもいいかも、なんて考えが頭をよぎってしまう。泊まり込みのレッスンだとか、言い訳ならいくらでもある。暖かな彼の体温にもっと触れたくて、鼻先を彼の胸板にあてると、晃牙君は私の両肩を掴んで少しだけ引きはがす。そしてそのまま彼は腰を浮かす。同時にゆっくりと彼の手が掴んでいた私の肩ごと、穏やかな速度でベッドの上に落ちる。反転した世界で見たのは、煌々と光る白熱灯と、揺れる銀髪。そして少しだけ強張った彼の表情。

「俺は別に構わねえよ、お前が泊まっていったって」

 意を決したように彼が少し唇を開いて、私の唇にかみついた。触れるだけのキスというよりは、ついばむようなキスといった方がいいのだろうか。彼は小さく音を立てて私の唇から離れると、顔を真っ赤にしながら見下ろして、

「……帰したくねえ」

 そう言いながらもう一度私の唇にキスを落とす。ミントのような鼻を通る爽やかな香りを感じながら、私は彼の首に手を回した。