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ウェディング

 それは梅雨の合間の晴れ間。鬱蒼と空を覆っていた厚い雲が抜け、少し気の早い夏を思わせる蒼が空へと広がる、そんな日だった。梅雨入りが発表された六月某日は、雨なんて要素を一欠片も持たない天気で、太陽は強く輝きカラッと乾いた風が吹いていた。吹き抜ける風がほんのりと潮の香りを運んでくる。まるでもう夏はそこまで近づいているのだと知らせるかのように。
 私と羽風先輩は中庭をゆっくりと歩いていた。私には目的地があって用事もあったが、隣の彼はただふらふらと私の隣を歩く。どこかへご用事ですか、と聞いても、君と一緒にいたくて、なんて浮ついた返事しか返しやしない。四月の転入当初は苦手だったこの言動は、一緒に過ごすうちに慣れてしまった。それおろか、少し愛しく感じているから、私ったら少しバカなんだと思う。

「これから雨の季節になるんでしょ、ゲロゲロー」
「え、カエルの真似ですかそれ」
「違うってわかってそういうこというんだから意地悪だなあ」

 羽風先輩はどうやらこの暑さには耐えられないらしく、せわしなく襟元のシャツで風を起こしながら暑い暑いと口にした。あまりに彼が文句をこぼすものだから、使います?と腕に引っ掛けていた髪ゴムを手渡すと、羽風先輩は少し悩んだあと、私の手からそれを受け取る。

「ありがと、でもこういうの簡単に男に渡しちゃだめだよ」
「なんでですか」
「妬いちゃうから」
「誰がですか?」
「本気で言ってる?」

 秘密です、私は笑う。羽風先輩は隣を歩きながら、食えないなあもう、と頬を膨らませると、襟元に垂れた髪を手早く束ねる。露わになったうなじを見つめながら、なんだかセクシーですね、と笑うと、羽風先輩は照れたように笑って、知ってた、と指先で結んだ髪の毛をつついて揺らす。露わになったうなじも、こうしてみせる無邪気な笑顔も、すべて不意打ちでやってくるから、心臓がどきどきと高鳴って仕方ない。それを悟られないように下唇を噛んで、先輩ってやっぱりアイドルなんですね、と言葉を零した。

「ねえ」

 先輩が私の手首を掴んで唐突に立ち止まる。なんですか、と口にしながら振り返ると、ばさり、と何かが私にかぶさる音。覆われる視界。いつものほんのりと香るレベルではない、頭がクラクラするほどの羽風先輩の香りが私をつつむ。

「暴れないで」

 突然視界が開けたかと思うと、目の前いっぱいに羽風先輩の顔があった。驚きただただ目を瞬かせる私に、羽風先輩は笑って、

「六月の花嫁って幸せになれるんだって」

 そう嘯く。意図がわからなくて私が首をかしげると、先輩はやはり無邪気に顔をほころばせながら、布越しに私の頭を撫でた。よくよく先輩を見ると先ほどまで着ていたはずのブレザーが見当たらない。そして頭上のごわごわした厚い布。ということは今私が頭からかぶっているのって羽風先輩のブレザー?

「……まさかこれ、ベール代わりですか?」
「そうそう、ブレザーで申し訳ないけど」

 花嫁さんみたい。彼は笑って顔を近づけてくる。流石の私もこの次になにがくるのかなんとなく予想ができて強く目を瞑る。先輩の吐息と、風にあおられてばさばさとはためくブレザーの音が聞こえる。ちゃんとリップ塗ってくるんだったなあ、なんて間抜けなことを思っていると、頬に、柔い感触。

「唇は、本番までお預けね」

 ゆっくりと目を開くと、羽風先輩が穏やかな笑みを湛えていた。

「意地悪言った仕返しだよ」

 そう言うと先輩は私の頭上からブレザーを剥がしてそのまま私の手首を引いて歩き出した。本番って。耳に残る先輩のその一言だけが妙に響いて、離れなかった。