帰り道にたまたま会った先輩は軟派な笑顔を浮かべながら、私に近寄ってきた。その日は夏が駆け足できてしまったのかと錯覚するほど暑い日で、帰りにアイスでも買って帰ろうかななんて考えていた。そんなときに先輩が開口一番に、暑いねえアイスでも食べて帰らない?なんて心を見透かしたような事を言ってくるものだから、私は顔を思いきりしかめ、そんな気分じゃないです、と答えてしまった。
「相変わらずクールだなあ、ねえ、近くにクレープ屋もあるけど」
「真っ直ぐ家に帰るって言葉しってます?」
「買い食いも青春だと思うけど?」
にこにこと微笑む先輩はさりげなく私の右隣、車道側を陣取って歩調を合わせて歩きだす。こうして人のテリトリーに自然と入ってくるのは、彼の秀でた能力かもしれない。断るのも憚られるほどあまりに当たり前のように歩き出したので、私は肩を竦めた。
桜が散り町には新緑が香る。みずみずしい緑を眺めながら歩いていると、ことあるごとに羽風先輩は私の腕をひっぱりあそこが美味しいだの、向こうの店が可愛いだの口を開いた。その楽しそうな口ぶりに邪険にすることもできずにいちいち目を向けては、美味しそうですね、可愛いですね、を繰り返す。丁度彼がクレープの屋台を指し示したときに反射的に、美味しそうですね、なんて言ってしまったから羽風先輩は嬉しそうに私を屋台へ引っ張り、適当なクレープを指差して嬉しそうに微笑んだ。
「なんかデートみたいだよね」
お金を払う、と財布を出した私をやんわり断りながら、羽風先輩はそういって笑った。初夏の風は少しだけ湿り気を含んで私の髪を弄ぶ。クレープを持っていない方の手で髪を押さえながら、クレープを食んでいる先輩を見上げた。私の視線に気が付くと彼は微笑み、彼は空いている方の手で私の口許に指を滑らせると、ついてる、とそれをそのまま自らの口許へともっていき、舐めた。
「……端から見ると、デートですよね」
ワンテンポ遅れた私の返答に羽風先輩は、へっ?なんて素頓狂な声をあげた。そし照れたように顔を綻ばせると、そうだね、と一言、そして視線を宙に泳がせてパクリと一口、クレープを頬張った。
もう桜の絨毯も茶色く変色してしまい、道の端へと追いやられてしまっている。クレープを食べながら海沿いの道を先輩と歩く。お互い食べているからか、それとも海の音に耳を傾けているのか、会話は特になかった。先輩って黙っていることができるのか、なんて失礼な事を考えながら、奥からごろりと転がるイチゴと口に含んだ。甘酸っぱい幸せを噛み締めていると、ふと先輩が顔をあげて、桜終わっちゃったね、と一言。
「そうですね、また来年ですね」
「来年は一緒に見ようね?」
「先輩、来年には卒業していないじゃないですか」
「いるよ、ここに」
そういいながら先輩は私の胸を指し示して、いつでもいる、と言葉をなぞるように繰り返して、微笑んだ。
「それって不法投棄ですよ」
「せめて不法侵入っていってくれる?」
まあいいよ、居座ることには変わりはないし。クレープを口に放り込んだ先輩は紙ごみをポケットの中へと突っ込み、そしてさも当たり前のように私の手を握り歩き出した。ごつごつした強ばった感触に、羽風先輩は男の人だ、と思う。こんな人が私の心のなかに居座ってしまったら、どうなってしまうのだろう。頼もしい手に引かれるように、心臓が聞いたこともない音をたてはじめた。うるさくて、どこか心地よいその奏に耳を傾けながら、風に揺れる襟足をただただ、眺めていた。