微睡む意識のなか白いシーツの海を滑るように身体をくねらせると、逞しい腕が腰を抱き、ベッドから落ちるのを阻止してくれた。アドニスくん、と彼の名前を呼べば、彼はそのまま私の身体を引き寄せて自分の肌へとぴたりと寄せる。布越しではない、ダイレクトに伝わる彼の温もりに顔を綻ばせると、彼もまた相好を崩して私の髪の毛に顔を埋める。くすぐったい感覚に思わず笑いをこぼすと、アドニスくんも同じように笑いをこぼして、額にひとつ、キスを落とした。柔らかでどこかくすぐったい感触は、穏やかに私の心を揺さぶる。気を抜いたら夢の中に落ちていきそう。子守唄のように揺れる彼の鼓動に耳をすませながら、私は目を瞑った。
少しだけ大人になった私たちは、ほんの少しだけステップを登った。不慣れの一言で片付けるには度し難い程の笑っちゃうほどのものだったけれども、それでも普段見ることのない切羽詰まった彼の表情や抑え込むような声、仕草。そこには私の知らないアドニスくんが沢山存在していた。脳裏に浮かぶ情景に溺れながら、ゆっくりと目を開けて彼を見上げれば、アドニスくんは私の頭から顔を離してこちらを見、琥珀色の瞳を細めた。口元には薄っすらと笑みが浮かんでおり、彼は腰に回していた左腕をあげるとそのまま指先を私の頬に当てて、顔の輪郭をそっと撫でる。
「どれだけ抱きしめても、足りない」
慈しむような声でそう囁かれて、私の心臓は高く跳ね上がった。これ以上抱きしめられたらくっついちゃうよ、なんて冗談めかしに私が笑うと、アドニスくんは、そうだな、とだけ呟いて私の頬から腰へとまた腕を回して、先ほどよりきつく抱きしめた。こんなに近づいたらもしかしたら本当にくっついてしまうのかもしれない。お互いの境界が曖昧になり、溶けて、一つになってしまうかもしれない。
緩まらない腕の力に観念して褐色の肌に鼻先を擦り寄せると、今まで感じたことのないほどの彼の香りが一段と強まった気がした。今、私は彼に抱かれている。強靭な体躯に、だけではない。彼の纏う空気、息遣い、香り。全てが私の周囲を包み、すっぽりと覆い隠しているようだ。ぎゅうぎゅうと抱きしめる苦しいくらいの拘束がなぜかとても心地よくて、普段なら文句の一つや二つ零してしまうのに、私は彼の抱擁に呼応するように両腕を伸ばして首に絡み付いた。真正面からぶつかる視線に照れ笑いを浮かべると、アドニスくんは拘束を少しだけ緩めて穏やかな笑みを浮かべる。
「明日、なにしようか」
「お前は何がしたい?」
「何がって言われると思い浮かばないけど」
首元から手を離すと、アドニスくんの眉がほんの少しだけ下がった。そのあまりに素直な反応に笑いを零すと、彼は私に覆いかぶさるように身を起こした。視界いっぱいに広がるアドニスくんの姿を直視するのが恥ずかしくて視線を外すと、彼は私の名前を穏やかになぞり、
「俺は、お前と一緒に居たい」
一言一言、確かめるようにはっきりと、そう口にした。私もよ、と唇を動かす前に、彼は私の唇を啄むようにわざと音を立てながらキスを一つ落とす。大人のキスだ、と私が思わず言葉を漏らすと、アドニスくんは微笑みながら、大人のキスだ、と私の言葉をなぞる。そして苦笑しながら、嫌いか?なんて聞いてくるので、思わず、嫌いではないよ、なんて可愛げのない言葉で返してしまった。アドニスくんはそんな私の言葉を聞いて、そうか、と嬉しそうに笑うと、またもう一度「大人のキス」を落として、そのまま左手で私の前髪をかき分けて、今度は額に触れるだけのキスを落とした。
「もう寝よう」
「寝ちゃうの?」
「寝かさないほうがいいか?」
「……そういうこと、どこで覚えてくるかなあ」
どこだろうな。そう言いながら彼は笑い、私の隣へと寝転がった。右腕を投げ出して、私の名前を一度呼ぶ。その声に導かれるまま、彼に擦り寄ると、アドニスくんは笑って、優しく私を抱きしめた。
「おやすみ、また明日」
先ほどまで忘れていた微睡が、波のように押し寄せてくる。おやすみなさい、と声にならない音を漏らしながら、私はアドニスくんに一度擦り寄った。明日も明後日も、ずっと、一緒がいい。彼に抱かれながら、私は夢の中へと落ちていった。