DropFrame

美しい君

 木漏れ日の下。ベンチに座ってページをめくる彼の姿は、「読書に勤しんでいる」と形容するには乏しいほど、その空間は美しくて精練された空間に思えた。舞い散る紅葉の赤色と、日の光を浴びて揺れ輝く彼の銀髪があまりに眩しくて目を奪われていると、瀬名先輩は本から顔をあげ、何見てんの、と不機嫌そうに顔を歪ませた。私は見つかっちゃいましたか、と肩を竦めて彼に歩み寄る。そんな私の態度に先輩は小ばかにしたように一度鼻で笑い飛ばし、ばれないとでも思ってたの?能天気だねえ、とねちねち言葉を吐いた。

「なんか用?」
「ちょっと見かけたから声かけただけです」
「ふうん」

 先輩は興味なさそうに言葉を切り捨てて本にまた目を落とす。邪魔になるかな、と踵を返そうとした矢先、彼は本から目を離さずに一言、座れば?と口にした。用事がない、と言えば嘘になる状況だったので少し迷いも生じたのだけれど、珍しい先輩のお誘いに誘われるまま私はベンチに歩み寄り、腰を下ろした。ぎい、と声をあげるベンチの音に導かれるように先輩はちらりとこちらに目線を投げて、そしてまた読書を再開する。会話はなにもない。聞こえるのは風の音と、先輩がページをめくる音。そして影の揺らめきに合わせて奏でる、葉擦れの音。
 ここに居座るつもりもなかったんだけどなあ。暫くぼうっと目の前の風景を眺めて居たのだが、拭えない手持ち無沙汰感に背中を押されて、鞄から本を取り出しぱらぱらとめくる。通学時間の読書用の本なのだが、読み進めてしまおうか。読みかけたページを開く前にばれないように先輩に目線を向けると、思いのほか先輩の顔が近くにあって、心臓が大きく跳ね上がる。
 いつもは通り過ぎる風景なのに、瀬名先輩がいるだけでベンチだって紅葉だって、一等に輝いて見える。これがモデルの力なのか。彼から目線を外して本に目を落とす。が、集中できなくてまたこっそり瀬名先輩の方を窺う。どんな本を読んでるのだろうか、難しそう、漢字いっぱい見えたし。洋書ではないことは確かだけれど。瞬きするたびに揺れる銀色の睫毛、整った横顔、踊る様に舞う紅葉が、彼を一層に引き立てるようだ。あ、なんとなくいいにおいもする気がする。香水かな。やっぱりモデルさんって違うんだなあ。

「さっきからチラチラチラチラ、ほんっと、うざいんだけど」
「ごごご、ごめんなさい!瀬名先輩がこんな近くにいることってなくて!」

 先輩はどうやら私の視線に気が付いていたらしく、読んでいた本を乱暴に閉じると脇に置いて、じいと私に視線を向ける。あまりのその視線の強さに、私は気恥ずかしさに負けて目線をそらせてしまう。

「そんな見られると恥ずかしいんですけど」
「さっきからずっと見てたやつのセリフ?」

 本で顔を覆うと、先輩は苛立たしそうに本を取り上げて、自分の本の上に置いてしまった。未だに続く熱視線に耐えきれずに両手で顔を覆うと、生意気、と先輩は一言つぶやいて、私のガードをいとも簡単に解いてしまった。

「言いたいことあるなら言えば?」
「あ、いや別に、すごくその、しょうもない話なんですけど」
「それを判断するのはあんたじゃなくて俺でしょ?」

 突然頬っぺたを乱暴につままれて私は奇声をあげながら飛びのくように大きく仰け反った。悲鳴を上げるベンチと、ぐらりと傾く体。瀬名先輩から空へと視線が移り変わった瞬間、背中に逞しい腕の感触。ぐえ、なんて大よそ女の子らしからぬ声をあげると先輩はあきれた声で、ナルくんでももうちょっと可愛い声だすっつーの、と深々とため息を吐いた。
 先輩は倒れかけた私をゆっくりと抱き起して、頭を軽く叩いた。叩かれた頭をさすりながらお礼を言うと、瀬名先輩は苦々しく顔を歪めて、ベンチの背もたれに腕を回した。丁度向かい合うように座ったお互いの体勢に気恥ずかしさを覚えて、彼から視線を外すと、ねえ、と目の前から不機嫌な声。

「怪我でもしたらどうするわけ?」
「あ、大丈夫です、私丈夫なので」
「違う、俺があんたを助けて怪我でもしたらどう落とし前つけてくれるって言ってんの」
「え?助けなきゃいい話じゃないですか?」

 先程よりも三割増しの鈍い鉄拳が私の頭に落ちる。痛い!と悲鳴を上げる私と、今度は瀬名先輩がそっぽを向いて、ほんとかわいくない、と一言吐き捨てた。

「あ、でも助けてくれてうれしかったです、ありがとうございます」
「でも?あんたってホントに一言多いよね?」
「先輩ほどでは!痛い!」

 三発目。なんか今日は乱暴じゃないですか?と私が言うと、瀬名先輩は一つため息を吐いて立ち上がった。誰かさんがうるさくて読書に集中できない。そう見下ろす先輩の不機嫌にゆがんだ顔を見て、私は肩を落とす。邪魔をするつもりはなかったんだけどな。いや、完全に邪魔をしてたか。はあ、と二発目のため息を吐くと、瀬名先輩はおもむろに立ち上がると地面に置いていた私のカバンを持ち上げて、

「帰るよ」

 青い空、ごうごうと燃えるような紅葉。そして先輩の煌めく銀髪と、少し斜に構えたような綺麗な笑顔。頭上に広がる風景に思わずめまいがする。ああ、やはりこの人は、この人は、美しい人だと。

「間抜け面、荷物もってっちゃうよぉ?」
「わ!先輩タンマ!すぐ行きますから!」
「はいはい早くねえ?」

 我に返って慌てて立ち上がる私を先輩は横目で見て口の端をあげて笑いながら、先に行ってるよ、と歩き出した。確かこの後の予定もあった気がするんだけど、まあ、今日くらいはいいよね。

 通学路さえも美しく彩る、彼の小さくなる背中に追いつけるように、私は地面を蹴って走り出した。