DropFrame

花びらに思いを乗せて

「もう終わりなんだな。」

物憂げに呟くアドニス君の言葉に首をかしげると、彼は琥珀色の瞳を悲しそうに伏せながら桜の大樹に目線をやった。大きく枝を広げ咲き誇る桜の大樹は、「新生活の始まり」という非日常の終わりを告げるようにぽつりぽつりと新緑の芽を息吹かせている。無情にも風に舞い散る桜の花びらをぼんやりと眺めながら、終わっちゃうねえ、と呟くと、アドニス君は大樹から私へと目線を移して、そうだな、と同じように小さく声をあげた。あまりにその響きが悲痛だったから、返そうと思っていた言葉を飲み込んで同じように桜を見上げた。

 公園の淡い街灯に照らされた夜桜は昼の華やかなイメージとは様相を変えて、荘厳にただただ私たちを見下ろしていた。時折風が吹くと枝をぶるぶると震わせて花びらを雨のように散らせる。幻想的なその景色に息をのんでいると、右手にふと、暖かな何かが触れた。私がそちらに目をやると、アドニス君の左手が彷徨うようにゆらゆらと揺れている。指先はもどかしそうに握ったり、そしてまた開いたりを繰り返す。寒いの?と私が問うと、アドニス君は困ったように顔を曇らせながら、強引に私の掌を掴んで握りこんだ。彼の横顔は夜の帳が下りた今でもわかるほど、赤い。
 不器用な彼の好意の示し方に、心は少しずつ鼓動を早める。どう考えてもこれは「手を繋ぐ」というよりは「掌を掴む」に近い状態で握られた手は動かそうにもがっちりと掴まれてほんの少したりとも動かすことはできそうにない。痛くはないんだけどね。握られた右手と、照れたように視線を宙へ彷徨わせるアドニスくんの横顔に、私の奥底に眠っている悪戯心がむくむくと膨らみ始めた。
 私がおもむろに上腕から素早く右手を引くと彼の拘束はいとも簡単に逃れることができた。驚き目を瞬かせるアドニス君は、空になった自らの手を見て、すまない、と一言呟く。そんな彼の陳謝を無視して、宙ぶらりんになった彼の左手の指の隙間に私の指を素早く滑り込ませ、自らの指と絡ませた。頭上から響く息をのむ音を聞きながら、無事にしっかりと繋がれた手を彼に見せつけるように持ち上げると、アドニス君はひどく恥ずかしそうに

「お前……」

 とだけ一言、呟いた。びっくりした?と私が悪戯に笑うと、アドニス君は、ああ、と短く返事を返し、一度指先に力を入れて互いの掌の距離を縮める。力のベクトルに逆らわぬよう、彼に近寄りピッタリ寄り添うと、アドニス君は表情を和らげて、

「今日はやけに甘えるんだな」

 と笑った。

 桜の樹は何も言わずにただ風に揺られて花びらを落とし続ける。彼の体温を右手に感じながら、少し手の握りを強くすると、呼応するようにアドニス君も握り返してくれた。

「来年も、一緒に見たいね」

 再来年も、その先も、ずっと。でもきっと卒業したら難しいんだろうなあ。アドニス君アイドルだし、私の進路なんてまだ決まってないし。唇を尖らせながら彼の二の腕に頭を預けると、

「俺はそのつもりだが」

 と、アドニス君は言い、私のじいと見下ろした。私も見上げる形で彼の揺れる瞳を見つめる。そして一言、お返しだ、と笑い私の頭をひと撫でした。彼の砕けた表情に微笑みを返しながら、一度だけすり寄ると、アドニス君は嬉しそうに私の手をぎゅっと、強く握った。

 ぼんやりと浮かぶ街灯と、気泡のように踊り舞う桜の花びら。さざめきのような風の音に耳を澄ませながら、春の海を彼と確かに泳いでいく。来年もその先もずっとずっと、はぐれない様に手を繋ぎながら。