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花曇りの午後

 花曇りの午後はいつもよりも緩慢な空気に満たされていた。パステル調に彩られた空は晴れなのか曇りなのか曖昧な表情を浮かべ広がる。いつもよりも穏やかな春光を浴びながら桜の下で弁当を広げていると、珍しい人影を見つけた。それは私を見つけると、日陰を選びながらそろりそろりとこちらへ向かって歩いてくる。私は食べかけの弁当の蓋を閉じて立ち上がり一礼する。そんな私の姿を彼は微笑みながら見つめて、歩調を早めてやってきた。

「そんなに畏まらんでも良いよ、おはよう、嬢ちゃん」
「お昼ですよ、朔間先輩」
「ううん、だから、おはよう」

 そういうと先輩は桜の木の下に腰を下ろして、逞しい幹へと身を預けた。そして先程まで私が座っていた辺りをぽんぽんと叩いて手招きをする。その音に導かれるまま腰を下ろすと、彼の細く長い吐息が聞こえた。
 薄曇りとはいえ、陽光が降り注ぐ昼間には違いない。さも彼も辛かろう。そう思い先輩の横顔を見ると、彼は少しばかり眉間にシワを寄せながら、目を伏せている。大丈夫ですか?と尋ねると先輩は目を開けて私を見ると、にこりと微笑み、私の肩にその頭を預ける。

「大丈夫じゃよ、そんな心配しないでおくれ」
「無理しないでくださいよ…...軽音部まで案内しましょうか?肩借しますよ?」
「よいよい、嬢ちゃんはお昼中じゃろう?お食べ」

 それに肩はもう借りておる。朔間先輩は軽口を叩くとまた目を伏せる。やはり吐息はいつもより辛そうで、開きかけたお弁当を閉じると、朔間先輩は薄目を開けて、食べないと大きくなれんぞ?と私を諌めた。
そして朔間先輩は窮屈そうに私の肩口で身動ぐと空を仰ぎ見た。私も同じように空を見上げる。桜の大樹は伸び伸びと枝を伸ばして私たちを包んでいた。枝先に揺れる花の房は風が吹く度にふるふると震え、花びらを舞い落とす。空の水色と桜の白が、春を彩る。先輩は目を細めて、忌々しい、と呟くから、桜お嫌いなんですか?と首をかしげる。先輩はそんな私の一言におかしそうに笑い、

「陽の光が、じゃよ」

 と言い眩しそうにまた目を細めた。
 彼が本当に「吸血鬼」なのかどうかは定かではない。でも陽の光が苦手で、どうにも重装備をしないと外に出られないくらいは知っている。だけど今日の彼の姿はあまりにも無防備で、帰りましょう、と思わず口に出すと、彼は頑なに首を降る。なんで今日に限ってこんな頑固なのだろうか。

「花見が」
「花見が?」
「したいんじゃよ、嬢ちゃんと」
「軽音部でも桜は見えますよ」
「それじゃ意味がない」

 そうして先輩はまた目を伏せた。見ないなら屋外でも室内でも同じなのに。穏やかな風を感じながら膝を貸しましょうか?と提案すると、朔間先輩は黙って身体を起こして、そのまま吸い寄せられるように膝の上に頭を預けた。

「どうか心配しないでおくれ、老いぼれの、淡き夢だったんじゃ」
「なにがですか」
「青空、桜」

 彼は気だるい調子で一つ一つ指し示しながら単語を発する。そして指先を桜から私にうつすと、悪戯に笑って、私の名前をなぞった。驚き目を見開く私に先輩は嬉しそうに顔を綻ばせて、幸せじゃのう、と力なく笑った。

「......わかりました、心配なんてしないですから、大人しくしていてくださいね」

 根負けして食べかけていたご飯を口に含むと、先輩はありがとう、と一言呟いた。はらはらと落ちる花びらと、人よりも少しだけ低い体温を感じながら、儚いとはこういうことをいうのだろうかと、先輩の頭をひとつ、撫でた。