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チョコレイトはクローバーの形

 それはバレンタインも近づいたある休日の午後。ショコラフェスの準備で連日甘い香りに包まれていた私は、今年のバレンタインはこれで終わりそうだな、なんてぼんやりと考えていた。私がまだ普通の女の子だった頃ーー今でも普通に変わりはないのだけれど、アイドルたちとは無縁だった頃ーー友達同士でお菓子を持ち寄ったり、気になった男の子に向けてそれなりに愛を込めてチョコレートを作ったり、肩を寄せ合いながら甘酸っぱい気持ちとともにはしゃいだものだ。枯れたつもりはないが、なんとなく今年はもういいかな、なんて。正直チョコレートの香りに食傷気味になっていた私は、来年はもうちょっとバレンタインを頑張ろう、なんて頭の片隅で思っていた。

 休日のお昼のテレビは、大抵バラエティしかやっていない。リモコン片手に適当にザッピングしていると、ふと、そういえば今日はUNDEADがテレビに出るんだっけ、と椚先生から教えて貰った情報を思い出した。慌ててカバンから手帳を開くと、あ、やっぱり今日だ。慌ててチャンネルをローカルの局へと合わす。全国区の放送ではないが、地方の番組にゲストとして呼ばれているらしい。ショコラフェスなど学校の関わる範囲のプロデュースは私も関わることが多いが、こういう学校とは関係の無い外部のお仕事というのは基本的には私は関わることはない。(当たり前といえば当たり前の話なんだけど)でも、関係ないからと見ないわけにもいかない。彼らの情報を仕入れ、次回のプロデュースに生かす。それが、プロデューサーなのだと、この番組の情報とともに椚先生から頂戴した言葉を思い出す。すでに放送時間から数分過ぎている事実に、先生ごめんねーと内心謝りながらも私は身をソファーに埋めた。
 どうやら彼らのコーナーは今から始まるらしく、軽快なタイトルコールとともに彼ら四人の姿が映し出された。テーマはバレンタイン。どうやら家でも作れる簡単なチョコをMCがゲストとともに作るコーナーらしい。彼らの他にも最近よくみる子役の女の子がニコニコと笑顔を振りまきながらMCの話を聞いている。

「あやねちゃんは誰かにあげたりするのかなあ?」
「同じクラスのりゅうくんにあげるんですう」

 MCのあやすような声色に、子役の女の子ーーあやねちゃんは少し照れながらそう答えた。私もこんな時代あったなあ、なんて思いながらUNDEADの四人に目線を移す。羽風先輩と朔間先輩は割合こういった仕事に慣れているらしく、にこにことあやねちゃんの話に相槌を打っている。一方の大神と乙狩に至っては集中できていないのか、暗に緊張しているかわからないが、気もそぞろな様子で先輩二人の後ろに佇んでいた。なんだか見ている私までそわそわしてきてしまって、大神も乙狩も大丈夫かよ、と口からつぶやきが零れ落ちる。

「アドニスくんはチョコレートとかあげるんですか?」
「お、俺、はそうだな」

 急に話を振られて少し取り乱しはしたが、乙狩はMCの顔をしっかりと見つめながら言葉を伝えようとする。人の顔を見るのはいいけど、テレビだからカメラに目線を向けようよ。でも乙狩らしいなあ。主観と客観が入り混じった気持ちでテレビ画面を見つめていると、しどろもどろの乙狩の返答を大神がうまくフォローして、それでも足りない部分を朔間先輩が補っていた。ああ、協調性がないと言われながらもやっぱり彼らはユニットなんだな、と、ほっと胸をなでおろす。きっとこの4人なら、このロケもうまく終わらせたのだろう。

「薫くんはチョコレート沢山もらったりするんですか?」

 MCが、今度は羽風先輩に話を振る。羽風先輩は困ったように笑みを貼り付けながら、そんなことないですよお、と肩を竦めた。謙虚にもなるんだ、なんてなんとなく新鮮な気持ちで画面を見ているとあやねちゃんが嬉しそうに羽風先輩の手を引っ張る。

「今日、チョコ作るからそれをあげたらいいと思うよ」
「逆チョコってやつ?」
「うん!私もね、あげるから、お兄ちゃんもあげたらいいと思うよ」

 羽風先輩はそうだね、と柔和な笑顔を浮かべながらあやねちゃんを見る。そうして彼女の頭を撫でながら、彼は一言、嬉しそうに言葉を口にした。

「じゃあ俺も作ってあげようかな、そうだなあ、同じ学校の――」

 * * * 

「羽風先輩いらっしゃいますか!!」
「あ、来た来た、テレビみたよお、同じ学校の思い人さん」
「もう有名人だな!」
「瀬名先輩も守沢先輩も黙っててください!もう!馬鹿なんですかあの人は!」

 月曜日。本当は登校と同時に乗り込んでやりたかったけど、流石にそれはできないだろうと、放課後まで待った。あの後、子役に話を振られた羽風先輩はーーまだローカル番組だったからいいもののーーこともあろうに出したのだ、名前を。私の名前を。多分、子役の子が思い人の名前を出したから、それの便乗だとは思うが、彼らも一応アイドル。そこはファンの女の子とか、全国の女の子とか、ぼやっとした、輪郭のない優しさを見せるべきところでしょう。こともあろうに固有名詞を!さらに私の名前をだすなんて!呆れやら恥ずかしいやらーーほんの少し嬉しかったことは秘密だーーたくさんの気持ちが入り乱れたまま、私は放課後、3のAへと乗り込んだ。教室には瀬名先輩と守沢先輩しかいなく、肝心の羽風先輩の姿が見当たらない。もしかして帰ったの?ありえそうなんですけど。私が厳しい顔をして教室じゅうを見回すものだから、鬼退治か?と守沢先輩がからかいの言葉を投げかける。返事をする余裕もなくて、私が眉間に皺を寄せて深いため息を吐くと、瀬名先輩は愉快そうに笑って、窓際の席をあごでしゃくった。

「あいつまだカバンあるから帰ってないと思うけど、ほんと超ウケるから、地上波で名前公開とか」
「そうか?俺は好きだが」
「先輩たちの好き嫌いは本当に心底どうでもいいです」

 苛立たしげに私が返答すると、あいつも悪気があったわけじゃないんだ、そう言葉を口にしながら守沢先輩は私の方を叩く。瀬名先輩も口の端を上げながら、そうそう許してやんなよお、と笑い、じいと自分の爪を眺める。だめだ、絶対面白がってる。特に瀬名先輩。
 私が言葉に窮していると、がらり、と教室のドアが開く音がした。振り返るとそこには羽風先輩がいて、私を見るなり顔をほころばせながら、珍しいこともあるもんだね、と迷いなくこちらへ歩み寄ってきた。

「わ、怖い顔、もっと笑って笑ってー?ほらスマイルー」
「私がなにを言いに来たかわかってますよね?」
「あ、昨日の見てくれたんだ!嬉しいなあ!」

 マイペースに話を展開する羽風先輩から一歩、距離を取る。が、すかさず一歩、距離を詰められる。隣から、楽しそうだな!俺も混ぜてくれ!と空気のよめない守沢先輩の声と、黙って見てなって、とそれをけん制する瀬名先輩の声が聞こえる。じりじりと近づいてくる羽風先輩をありったけの力でなめつけて、怒ってるんですけど、と言った。しかし彼は事も無げに、怒ってる君も好きだけどね?とウィンク。ぶは、と吹き出す瀬名先輩の声が教室に響く。

「言いたいことはたくさんありますけど、多分椚先生から絞られたあとだと思いますし、私からは、一点だけ……」
「なあに?」
「ああいうの、困ります、名前出されるの」

 私がそう言うと、羽風先輩は緩く首を傾けて、それだけ?と言った。意図を測りかねた私は、どういう意味ですか、と問いかける。

「それだけ?名前だしたのが嫌だったってこと?」
「しつこいですね、私個人からしたらそれだけです。
 だってほら、アイドルの受け答え的な話は先生からされたでしょう?」
「うん、されたよ、でも君からの要望はそれだけ?」

 何度もしつこく聞かれるから、胸の内からイライラが募ってきて、それだけです!と怒鳴りに近い声が出てしまった。羽風先輩は一瞬虚をつかれたように目を瞬かせていたが、すぐに柔和な笑顔に戻るとそそくさと自分のカバンに駆け寄る。じいとこちらを見守っていた守沢先輩は、やってしまったなあ、と苦笑を漏らし、瀬名先輩も、馬鹿だねえ、と口にする。どういう意味だ。多分、守沢先輩も瀬名先輩も同じ事柄を指しているんだろうけど、全く予想できない。
 そうこうしているうちに羽風先輩は小さな包みを持ってこちらへと歩み寄ってきた。綺麗にラッピングされた小さな箱は、可愛らしいリボンと、私の名前が書かれた手書きのカードが刺されていた。

「じゃあ受け取ってくれるよね?別にもらう分には困らないんでしょ?」
「は?!そ、そんなこと言ってないですけど」
「名前出されるのが困るーって言ってたけど、貰うことが困るとはいってなかったじゃん」

 無理やり私に小箱を握らせて、少し早いけどハッピーバレンタイン、と彼はニヤリと笑った。

「ま、俺もちょっとやりすぎたと思ったしね、次からはちゃんとファンの女の子たちに、って言うよ。
 でもこれは君にあげたくて作ったのは本当だし、作ってるとこも見てくれたんでしょ?
 多分美味しく作れてると思うけど」

 確かに、あの後キッチンに移動した彼らはレシピを聞きながら各々努力しながらチョコレートを完成させていた。まあ、途中肝を冷やす場面も多かったがーー例えば朔間先輩が包丁片手に居眠りをしだしたり、乙狩が力任せにチョコを砕こうとしたりだとかーーそれでも、各々が真剣に取り組んでいたことが画面越しにもしっかりと伝わってきたのも、事実。なによりもいつも軟派な笑顔しか見せない羽風先輩が初めて見るような真剣な顔でチョコレートに向き合っていたので、その表情に見惚れてしまったのも、また事実なのだ。

「逆チョコって初めてなんだけどさ、ま、たまにはいいかなって」
「……ありがとうございます」
「美味しかったら今度作り方教えてあげるよ、というか一緒に作ろ?
 そしたらレシピもわかるし俺も一緒に居れてハッピーだし?」
「調子乗らないでください」
「ははは、まあ冗談だけど、気が向いたら気軽に言ってよ」

 羽風先輩はそう言うと大きく伸びをして、かえるかなあと一言。解散の合図ととったのだろう。守沢先輩も瀬名先輩もちらりと私の方を見て笑顔をこぼすと、さてさて俺たちも練習に行くかな!、かさくんがうるさいから早く行かないとねえ、なんて各々自席に戻りカバンを担ぐ。

「羽風!ちなみに俺たちにはないのか?」
「はあ?千秋くん寝ぼけてるの?男相手に作るわけないでしょ」
「そうなのか……」
「え、なにチョコ欲しかったの?流星隊の子から貰えばいいじゃん。
 あ、もしかして泉くんも俺からのチョコ欲しかったりした?」
「気持ち悪いからもう埋まってきて」

 瀬名先輩はただただ佇む私を見て、訝しげに眉をひそめて、帰るよぉ?と一言。私が慌てて顔を上げて三人に駆け寄ると、すかさず羽風先輩が隣にきて、私の手をそっととった。

「あれ、振りほどかないの」

 握られるがままの私の手を不思議そうに見て、羽風先輩は首をかしげる。弱々しい声で、今日だけですからね、とつぶやくと、彼は嬉しそうに顔をほころばせながら、うん、と元気良く頷いた。