お昼時を少し逃したガーデンテラスは、盛況時よりもほんの少しだけ、穏やかに時が流れていた。まばらだが人はいるし、楽しそうな声は所々上がってはいるが、大盛況時のそれに比べると可愛らしいものである。食堂のおばちゃんから定食の乗ったトレーを受け取ると、室内のテーブルには目もくれずまっすぐ外へと足を延ばす。定食から立ち上る湯気は私の歩みに合わせて淡い軌跡を描いていく。ハンバーグから立ち上る香ばしい匂いは容赦無く私の鼻腔をくすぐり、共鳴したお腹が情けないほど弱々しく声を上げる。口内に溢れる唾液をひとつ飲み込んで、私はテラス席のある方へと歩みを進めた。
テラス席は寒いからか、それとも今日が曇天だからか、ほぼ私の貸切状態だった。吹く風の冷たさに身を縮めながらテラス席の一番奥へと進み、机の上にトレーを置く。近くの花壇で呑気に遊んていたらしい雀が、私の姿を捉えるや否や、ぴゃっと空へ飛んで行ってしまった。別にとって食べるつもりもないのにな。そんなことを考えながら真っ白な椅子を引いて腰を下ろした。椅子は冷風に吹かれて存分に冷やされていて、臀部から伝わる寒さに私は大きく身を震わせた。早く食べて温まろうと、定食に向き直る。今日は授業が立て込んでしまったのでいつもよりもだいぶ遅い昼食になってしまった。トレーに載ったハンバーグは白熱灯に照らされて、てかてかと輝いている。芳醇な香りにまた生唾を一つ飲み込み、まだ割っていない割り箸でそっと切れ目を入れようと箸をハンバーグに添える。と、その時。
「何してんだよ」
突然降ってきた声に顔を上げると、隣のクラスの晃牙くんが同じように湯気燻るトレーを持ちながら私を見下ろしていた。吹く風に彼も寒そうにマフラーに首を埋めて、身を震わせる。この寒いのに外で食う馬鹿がいるか。苦言を呈しながら彼は私の向かいの席に腰を下ろす。馬鹿が二人だね、と私が返すと、俺様はお前に付き合ってやってるだけだ、と得意げに鼻を鳴らされた。
「晃牙くんもこの時間から昼食?」
「まあな、お前も昼飯、遅えんだな」
どうやら同じ定食を頼んだらしい。彼のお皿の上にもどっかりとハンバーグが鎮座している。一緒だね。私が笑うと彼は割り箸を割りながら、美味いからな、と一言。私も彼に倣うように割り箸を割ると、驚くほどに不揃いに割れてしまった。そんな不揃いな先を見て晃牙くんは、不器用、と鼻で笑う。何か言い返してやろうと思ったけど、綺麗に割れた彼の割り箸の先を見て、私は口をつぐむ。
「授業が長引いちゃってこんな時間にお昼だよ、晃牙くんは?」
「部活」
「ふうん」
早々にハンバーグに箸を入れ食べ始める彼を見ながら、部活ってお昼活動時間だっけ?と生まれた疑問をそのまま口にした。晃牙くんは、吸血鬼野郎が起きたらそれが活動時間だ、なんてつっけんどんに言い放ってご飯を掻き込む。なるほど、朔間さんらしいねえ、と私が笑むと、彼は口元についた米粒を指先で舐めとりながら
「巻き込まれるこっちはいい迷惑だけどな」
と口を尖らせた。確かにそうかもしれないなあ。そんなことをぼんやり考えながら私もハンバーグに箸を入れる。ゆっくりとハンバーグの中で箸を開くと、緩やかな抵抗と共に切れ目から肉汁がじわりと皿へ染み出す。一口の大きさに小分けて持ち上げ、口へと運ぶと、玉ねぎの甘みが、お肉の旨味が、口の中で弾け広がる。思わず顔を綻ばす私に、晃牙くんは噴出すように表情を崩して
「幸せなやつ」
と一言。不幸せよりマシでしょ、と今度は私が口を尖らせると、減らず口、と彼は言い、またハンバーグとご飯を掻き込んだ。減らず口なんて晃牙くんに一番言われたくない言葉なんですけど、と喉元まで出た文句を押しとどめながら私も食事を再開する。穏やかな午後、無理に諍う必要もないだろう。そう思い黙々と付け合わせのサラダを咀嚼していると、晃牙くんが急にぽつりと、バレンタイン、と言葉を漏らす。
「あ、ショコラフェスお疲れ様でした、格好良かったよ」
「俺様が格好いいのはいつものことだろ」
「あーはいはいそうですねっと、で、バレンタイン?」
可愛くねえ奴、と晃牙くんのぼやきをかき消すように、ぷちり、奥歯でミニトマトを噛み潰した。そのままお箸でキャベツをつまむと、お前はせわしねえな、とまた晃牙くんが不服そうに口を開く。
「ご飯時にご飯を食べて何が悪いのかと」
「そうかよ……で」
「で?」
「バレンタインは、その、誰かに、あげたのかよ」
言葉足らずな彼の言葉に一瞬首を傾げたが、答えを見つける前に彼がチョコだよ、としびれを切らしたように言葉を吐いた。ちょこれーと、私は彼の言葉をなぞりながら記憶をたどる。当日は忙しくてチョコレートどころではなかったけれど、確か記憶が正しければ、嵐ちゃん先生のチョコレート講座で作ったチョコを、たくさんばらまいた気がする。あれ?晃牙くんには渡してなかったっけ?渡したような気もするけど。
「……みんなにあげたよね?ほら、ショコラフェスの練習でたくさん作ったでしょ?」
私の答えを聞くなり彼はがくり、と肩を落として、そうじゃねえよ、と弱々しく呟く。そうじゃないってどういうことなの。私が問いただすと、晃牙くんは困ったように眉にシワを寄らせながら、うう、と唸りを上げる。しかし考えていた事が上手く言葉にならなかったらしく、一つ舌打ちを零して、上着から乱暴になにかを取り出す。叩きつけるようにテーブルに出したそれは、彼が乱雑に出したとは思えないほどの、上等なラッピングされた小箱だった。黒を基調にした外箱は可愛らしい真っ赤なリボンで締められている。リボンには小さなベルが付いており、風が吹くたびに、ちりりん、と柔らかな音色を奏でる。
「お高そう」
真っ先に出た感想がそれってどうなのと、自分でも思うが仕方ない。気品漂うその小箱は、どこからどう見ても晃牙くんとは結びつかない代物だった。目をぱちくりと瞬かせていると
「わかんねえから……一番いいやつ買ってきた」
一番いいやつって、と値段を邪推したい好奇心を頭振って追い返す。売店で狼狽している彼の姿が容易に想像できて、堪えきれない笑いをこぼすと、晃牙くんは心外だ、とでも言いたげな目でじとりと私をねめつける。鋭い視線にいたたまれなくなって目をそらすと、彼は、おい、と重低音を響かせる。私が目線だけそちらへ投げると、彼はその、私と彼の間にあったそのお高そうな小箱を掴んでこちらへと投げよこした。綺麗な放物線を描いて宙を泳ぐ小箱を落とさないように私はとっさに両手を広げる。もともとのコントロールがよかったのか、私の反応が素早かったのか、小箱は見事に私の手中に収まり、ちりんとそのベルを鳴らした。
「……受け取れ」
「は?」
「いいから受け取れっつーんだよ!」
いや受け取ったし!見ればわかるじゃん!そう言ってやろうと口を開くが、耳たぶまで真っ赤に染め上げた晃牙くんを見ると威勢の良い言葉が全て萎んでしまう。
「四の五の言わず受け取りやがれ!」
再度吠える彼の言葉に私はしどろもどろになりながらお礼を言うと、晃牙くんは忌々しそうに立ち上がると、いつの間にか空になったトレーを持ち上げて、帰る、と一言。
「ちょ、ちょっとまってこれ一体どういうつもりで」
「自分で考えろばーか!」
「はあ?!晃牙くんに馬鹿とか言われたくないんですけどばーか!」
「うっせえばーか!」
馬鹿の応戦はまばらにいた人の視線を一挙に集めてしまい、それに気がついた晃牙くんはトレーを返却すると足早に去って行ってしまった。一人残された私はとうに冷めてしまった定食と、高級そうな小箱と共に呆然とただ、佇むだけ。
どういうつもりなんて、そんな野暮な事いうつもりなかったのに。真っ赤に染まり上がったあの顔と、一番いい物を買ってきてくれた心意気と。導き出される答えは一つしかなくて、私は口元を押さえてただただ顔を赤らめてうつむくしかなかった。
ゆるい風が吹く。ちりんとベルが声を上げる。穏やかな鈴の音のはずなのに、その音を聞くたびになぜか、心臓は早鐘を打ち出すのだった。