DropFrame

チョコレイトはハートの形

 屋上は今日も暖かい。冬の鋭いような寒さも少しだけ鈍り、太陽の日差しが穏やかに屋上を照らす。膝掛けと兼用しているストールも今日はおやすみ。きちんと畳んで膝の傍へ。
 私はお弁当を、アドニスくんはパンを頬張りながら緩やかなお昼休みを過ごしていた。時折吹く風は冬と春が入り混じったような、少しだけ暖かい空気を運んでくる。どうやら屋上には私たちしかいないらしく、先ほどから彼が鳴らすビニールの音と、鳥の鳴き声、グラウンドから聞こえる楽しそうな笑い声だけが辺りに響いていた。
 穏やかにこうしてアドニスくんとお昼を過ごすことは珍しくはない。たまにここに神崎くんが入ったりだとか、嵐ちゃんや天満くんと四人で過ごしたりだとか、大神くんと三人で騒いだりだとか、メンバーはまちまちだけれど、アドニスくんはいつも私の隣にいてくれるような気がする。弱いから守るだとか、当初口酸っぱく言っていた口上はいつの間にか鳴りを潜め、何も言わず、でも当たり前のように私の隣に佇んでいた。

 今日も天気がいいからと私がお弁当を持って立ち上がると、昼飯か?とパンを抱えたアドニスくんが私に尋ねてきた。屋上が暖かそうだと思って、と微笑むと、彼は先導するように、行くぞ、と私の一歩前を歩き始める。私が先に行くはずだったのに、なんだか不思議な光景だ。そう思いつつ彼の後ろについて歩く。ぺたぺたと鳴らす二つ分の足音は、とてもご機嫌な響きがした。

 そうしていつものように二人並んで座り、存分に日光浴をしながらお昼を食べていると、アドニスくんがいきなり

「日本は、大変だな」

とぽつりと呟いた。私は丁度唐揚げの皮と身をお箸で綺麗に剥ぐのに夢中で、彼の呟きまで注意が払えなかった。だって、力加減を間違えると皮飛んでいきそうだし。しっかりとくっついている唐揚げの皮と身の境界線をお箸で注意深くなぞりながら、

「ごめん、なんて言った?」

 と聞き返す。アドニスくんは私の弁当箱とお箸を交互に見て、一口では入りきらないのか?と首をかしげた。皮だけ食べるのが好きなの、と私が返すと、身は食べないのか?とアドニスくん。

「身はね、先に食べるの。で、皮はね、美味しいから後で食べるの、おわかり?」
「そういうものなのか」
「うん」

 根負けしてくれたのか、身はぽろりと皮から外れお弁当の中をごろりと半回転する。私はお箸でそれを掬うとそのまま口の中へと放り込んだ。冷凍だから出来立てほどジューシーではないが、噛むとほんのり肉汁が広がって、口の中でとろける。甘い。顔を綻ばすと、アドニスくんは嬉しそうに、嬉しそうに食べるな、と微笑んだ。そして私の残した皮を見て、

「皮はそんなに美味しいのか?」

 と手を出さずにじいと凝視する。その視線があまりに真剣だったから、食べる?とお箸を渡すと、アドニスくんは一つ頷いてお箸で器用に皮をつまむ。そういえばアドニスくん、お箸は使えるんだなあ。そんなことを思いながらつまみあげられた皮を見つめる。皮はそのまま一直線にアドニスくんの口内へと消えていった。彼の期待に満ちた顔は、皮を噛むたびに少しずつ萎んでいき、最後は眉根を寄せながら、うん、と一言。

「皮だ」
「皮です」
「まずくはないが……」
「あ!ひどい人の好物を食べておきながら!」
「す、すまない」

 ぷりぷりと怒る私にアドニスくんは少し焦りを見せながら、でも美味しかった、と一言。どうやら彼はお世辞を覚えたらしいが顔と言動が一致していない。ただの皮じゃないか、と大きく書かれた顔で言われても何も響かないのだけれど、そこは、慣れないお世辞を言ってくれたので大目に見ることにしよう。
 アドニスくんからお箸を受け取り、弁当端に寄せてあるマッシュポテトをつつきながら、そういやさっき何て言ったの?と私は首を傾げる。

「ああ、日本は大変だな、と言ったんだ」
「大変?日本が?」
「ああ、昨日までバレンタインフェアをしていたのに、今朝商店街を通るとホワイトデーフェアに変わっていた」

 ぼんやりと今朝通った商店街を思い浮かべる。確かに昨日までは茶色とピンクで、バレンタイン特集!と彩豊かだった商店街も、今日は白を基調としたディスプレイに変わっていた。本当に、この国の変わり身の早さは目を見張るものがある。住み慣れている私でも驚くのだから、きっとアドニスくんは大層驚いたのだろう。その瞬間見たかったなあ、なんてのんきに思いながらくすくす笑っていると、アドニスくんは眉根を寄せて、

「もうバレンタインはだめなのか」

 と、呟いた。

「ダメってことはないけど、もう特設コーナーとかは終わっちゃったね」
「早くないか」
「皆イベント事が好きだからね、早いよー切り替え」

 ああでも自分用に買っておけばよかった!なんて私が盛大にため息を吐くと、アドニスくんは少し狼狽した様子で、自分用は買ってないということは誰かにチョコレートをあげたのか?と問いかけてきた。彼の言葉に記憶の糸を辿ってみるが、全く思い当たる節がない。そういえば今年はショコラフェスだのなんだので、誰にも何もしていない気がする。

「誰にもあげてない……」
「そうか」

 その一言にアドニスくんは表情を崩す。そして傍に置いてあったカバンの中を漁り始めて可愛らしい赤色の包みを取り出した。なんとなく見覚えのある包装紙に私はまた記憶の糸を辿り始める。最近よく見た気がする。えっと、なんだっけ、学校?家?あ、そうだ、ショコラフェスで使った包装紙だ。包みを凝視するだけの私にしびれをきらしたのか、アドニスくんは強引に私の手を引きそれを握らせる。

「チョコ?ショコラフェスの余り?……余ってたっけ?」

 UNDEADはそもそも――どこぞやの先輩方が本気を出さなかったせいで――チョコレートの総数が少なかった事と予想を上回る集客にむしろチョコが足りなくなっていたように記憶している。実は裏で大量に作っていたとか?訝しげに包みを見つめる私に、アドニスくんはそうじゃない、と頭を横に振りながら

「フェスで作ったものじゃない、俺からお前に」

 と言いながら包みをぎゅっと握らせた。予想だにしなかった展開に、私の心臓は大きく飛び跳ねて心拍数を早めていく。口元を緩めないように真一文字に結び、ありがとう、と伝えるとアドニスくんは嬉しそうに、気にするな、と満面の笑みを浮かべた。

「天満から、感謝の気持ちを伝えるイベントと聞いた」

 そう、アドニスくんはぽつりと呟く。そういえば、とショコラフェスの天満くんの大健闘をぼんやりと思い出した。感謝を伝えるイベントか。確かにそうかも。愛だの恋だのも確かに大切だけれど、こうしたイベントに便乗して、いつもお世話になっている人に渡すのも正しいバレンタインな気がする。感謝、感謝かあ。アドニスくんから貰った包みを見つめる。クラスメイトになって、こうして二人でご飯を食べる仲になって、ほんのちょーっと、一欠片、いや、塵ほどに期待していた「愛だの恋だの」の期待が見事に霧散していく。

「いつもお前には世話になっているから」

 あ、追い討ちだ。嬉しい言葉なはずなのに勝手に期待値を上げてしまったから、彼の本来は喜ぶべきはずの言葉が心には鈍く響く。でも当たり前なのかもしれない。彼はアイドルで、私はプロデューサーだ。ロミオとジュリエット程ではないが、身分差は確かにある。それに一緒にご飯が食べられるだけいいじゃないか。吹き抜ける風が思った以上に冷たかったので、傍に置いておいたストールを広げて肩にかけて、ありがとうね、と私はアドニスくんに笑みを零した。

「ありがとう」

 不意に、右肩に暖かな重みがかかった。アドニスくんは自らの頭を私に預けて、いつも感謝している、と再度繰り返して呟く。私の側からは彼が今、どんな表情をしているかわからない。紫色の髪の毛が、彼の吐息に合わせてゆらゆらと揺れる。揺れるたびに彼の香りが私の鼻腔をくすぐり、心臓を揺らす。もはやお弁当どころではなくて、私は動揺で落とさないように、お箸とお弁当をしっかりと掴んで固定する。

「ああ、アドニスくん?!」
「嫌か?」
「や、やじゃないけど、び、びっくりして」
「そうか」

 ならよかった。一人で狼狽する私に向かってアドニスくんは、ゆっくりと、でも確実に私の肩に体重を預ける。多少気遣ってくれているらしい、重みで肩が痛い!まではいかないけれども、他のところがだめだ。もはや早鐘どころの騒ぎではなく、けたたましく跳ね上がる心臓が痛い。

「なんかアドニスくん、羽風先輩に似てきた……」
「それは悪いことなのか?」
「少なくとも、私の心臓にわるいです……」

 すまないな、でも今だけ。アドニスくんはそう呟くと、弁当をしかりと握りしめている私の手の上に自分の手のひらを重ね、きゅっと握りしめた。

「いつもありがとう感謝している……ずっと側にいてくれ」

 それはどう考えても「愛だの恋だの」の類で、一人で騒ぐ私の隣で、彼はただただ嬉しそうに笑っていた。