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きみのすきなもの

 その日、私はひどく疲れていて、自分のブレザーを抱き締める形で握りしめながら机に突っ伏していた。師走に突入したての夕暮れは思っていたよりも暖かく、厚手のカーディガンを一枚羽織るだけで校内は快適に過ごせた。自分の口から漏れるため息は重く長く、聞いているだけで疲れを助長させるような、そんな響きを持っていて、それを聞いてしまったものだから気分はさらに急転直下。落ち込みまくり。
 ここのところ立て続けにライブの準備や打ち合わせなど、分刻みといって良いほど忙しく、だのにも関わらず期末考査の準備やテスト直前の大量の宿題。それだけでも大変なのに衣更くんから居眠り王子の期末試験講座ーー衣更君曰く二回目の留年はやべえだろ、だけど危機感持ってないりっちゃんもりっちゃんだと思うーーを頼まれてしまったものだから、それはもう目まぐるしくいろんなところを忙しなく走り回る日々が続いていたのだ。

丸めたブレザーはただの布なのに、抱き締めると非常に安心した。皺になるな、と頭の片隅で考えながらも少しかたいそれに頬擦りすると、ほんのり冷えた布の感触が自分の少しばかり火照った頬を冷やしてくれた。なんていうんだっけこの現象。重たい頭を机の上で転がしながら考える。こう、布を持つと安心するような、心理学的なそれ。
 窓ガラスに映る自分のあまりのだらけた体たらくに苦笑をもらしながら、くだらない思考を頭の中でぐりぐりと転がす。なんだかこんな感覚、久しぶりかもしれない。

 そうやってただ時間が過ぎるのをぼうっと眺めていたので、突然月永先輩が教室にやってきて、さも当然のように私の前の席にどっかりと座り込んでも別段驚きはしなかった。まあ、突拍子もない人だから、というのもあるのだが。月永先輩はぐったりと机の上に突っ伏している私の姿をみて、あー、なんというか、あれだな、と腕から少しはみ出たブレザーをちょいちょいと引っ張りながら言葉を吐いた。

「ライナス効果」
「毛布もってると安心するあれでしたっけ」
「そうそう、で、お前なにやってんの?あ、待って言わなくていい、俺が今からもうそ」
「ぼうっとしてました」

 勿体無い時間の使い方しやがって、こうしてる一分一秒にも無限の妄想が……なんてお小言が飛んでくるかなあと思っていたのに、先輩はふうん、と一言。まあたまには休息も必要だよな、と私のつくえの上に一本の缶ジュースを置いた。くれるんですか?と聞くと、どうだと思う?と彼は悪戯に笑みを浮かべる。まあ貰いますけど、とのろのろと腕を出してジュースを引き寄せると、先輩はそんな私の様子をみて、ひとつ、息をついた。

「忙しそうだな」

 突然降ってきたねぎらいとも取れる言葉に、私は目を丸くした。どうしたんですかいきなり、と身を起こすと、先輩は少し恥ずかしそうに頬をかきながら、ん、とだけ短く言葉を切る。

「いろんなユニットの世話してるらしいし、リッツも世話になったらしいし」
「まあプロデューサー科ですし……りっちゃんの一件は完全に別件ですが」
「お前は曲がりなりにも俺の弟子だからな、たまにはなんだ、その」

作曲はポンポン出るくせに、言葉につまる月永先輩の悔しそうな顏を見て私は彼のジャケットをついついと指先で引っ張った。

「ん?なんだ?あ、ちょっと待って言うな!言うなよお前はすぐ答えを」
「先輩、ありがとうございます」
「ん、お、おう……」

先輩も一緒に寝ませんか?と椅子を半歩引いて机を半分開けると、たまにはいいかもなあ、と彼も同じように机に突っ伏した。予想以上の顏の近さに思わず笑みが漏れてしまう。まつげの数まで数えられそうですね、と私が言うと、月永先輩は、あっにきび、と無作法にも私の頬のニキビを押してきたので、缶ジュースをぐりぐりと顎の下に押し付ける。

「なにすんだよわざわざ買ってきてやったのに」
「え?月永先輩、私のために?」

失言だったのか、月永先輩はひくりと鼻を一度ひくつかせてそのまま目を閉じてしまった。先輩、先輩、おうさまー。私の呼び掛けもむなしくうんともすんとも言わなくなったので私は起き上がって買ってきてくれた缶ジュースのプルタブを跳ねあげた。

……あまい。

無防備な寝顔を先輩に感謝の気持ちもこめて少ししわくちゃになったブレザーをかけてあげた。先輩は一度身じろいでそのまますうすうと寝入ってしまった。私はそれをみて、笑みをひとつこぼして、あまいなあ、とまた、つぶやいた。