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乙狩アドニスと調理実習

まな板の上で包丁が歌う。小刻みに奏でるリズムに合わせてニンジンが半円状に断たれていく。そのさまを見て隣にいた神崎くんは、そのような小太刀で器用に……いやあ感服である!と、ジャガイモの皮を削ぎながら感嘆の声をもらした。するりするりと排水溝の三角コーナーに垂れるその皮は、もはや皮なのか身を削いでいるのか判別がつかないほど分厚く、そんな器用じゃないよという謙遜の言葉を思わず飲み込み苦笑を漏らす。刀を振り回しているわりには、もしかして不器用なのかな。小さくなっていくジャガイモに、同情の視線を向け、いやしかしなにもいうまいと私は再度ニンジンと向き合った。縦半分に切断されたニンジンに手を添えて、包丁を滑らせる。こつこつと小気味のよい音と、踊るニンジンの欠片。転がらないように注意を払いながら切っていくと、今度は前方から、綺麗だな、という一言が降ってきた。

「綺麗に見える?でも結構厚さ、バラバラなんだよね」

お世辞にも均一とは言えない出来に笑いながら眼前のアドニス君を見る。彼はタッパーに入った豚肉を一枚一枚剥がしながらまな板にのせている最中でどうやら私の一言が聞こえないくらい集中しているようだ。なんだろう、アドニスくんに生肉って結構似合っているかも。野性味溢れる、という言葉が頭に浮かんで、すとんと心に収まる。それ、そのまま食べちゃダメだよ、とつい浮かんだ言葉をそのまま口に出すと、彼は顔をあげ笑って、安心しろ、つまみ食いはしない、と剥がした肉を几帳面に重ねた。ごめんそういう意味じゃないんだけど。また口から言葉が零れそうになったとき、隣で神崎くんが、あどにす殿は我が監視しとく故安心して刻まれよ!と自信の胸をとんと叩いた。手元に転がる二回りほど小さくなったジャガイモを見て、神崎くんはそれが適任かもね、と私は笑った。

調理実習室はどこか進行の早い班から流れる味噌の香りで包まれていた。豚汁を作ることになった今回はフライパンの香ばしい音はしないものの、包丁がまな板を叩く音、煮立てる音、そして生徒の楽しそうな雑談の声で賑わっている。その界隈のちょうど窓際のテーブルで私と、神崎くんとアドニスくんは少しだけ遅れた速度で豚汁の準備をしていた。寸胴には並々に注がれた水が太陽の光を反射してきらきらと輝いておりーー三人分なのになぜか寸胴なのはアドニスくんからの熱烈な提案故だがーー切り刻まれた野菜が緩やかに波紋を描きながら浮かんでいる。

ジャガイモを削ぎ終えた神崎くんは、きらきらと目を輝かせて、して次は何をすれば?と首をかしげる。ジャガイモを六等分に~とかいてあるメモに目を落とし、次はそれを4等分だよ、と告げる。

「4等分……?そうであったか?」
「本来なら六等分だけど、ほら小さいし」
「むっ……すまない、我のせいで……!ここはお詫びに切腹を……!」
「神崎、切るならこれを切れ、大丈夫だ、まだ山ほどある」
「あどにす殿……!」

どこからともなく取り出した山盛りのジャガイモを前に、神崎くんは鼻息荒くひとつ鷲掴みにすると、またもりもりと皮を削ぎはじめた。いったい何人分作るつもりなんだろう。炊き出しのつもりなのかな?私が疑惑の目をアドニス君に向けると、彼は肉を切っていた手を止めて、

「安心しろ。ニンジンも大根も、まだ大量にある」

と、私に微笑みかけた。そういう話ではない、と喉元まで言葉が出たが、あまりの柔和な笑顔に閉口してしまう。いつも仏頂面なのに、たまにこうして笑顔を見せるのってずるいと思う。照れ臭くなって顔を背けると、どうしたんだ?との声が飛ぶ。顔が赤いが如何した?!との大袈裟な神崎くんの言葉も聞こえないふりをして荒めにニンジンを刻む。

「ところで、これ、一体何人分作るつもりなの?」
「たくさんあった方がいいだろう」
「女人には少々厳しい量ではあるな…...」

多分男子でも厳しいと思うけど。いやでもこの二人ならぺろりと平らげそうだなあ。そんなことを考えつつ包丁のヘリでニンジンを掬ってザルに移した。いちょう型に切られたにんじんはやはり大きさは不揃いでお世辞にも綺麗とは言えない。一体アドニス君はこれらのどこに感銘を受けてあんな言葉を漏らしたのだろうか。
私が再びニンジンを切ろうとすると、ふと、アドニス君が顔をあげた。不安げに揺れる瞳に、私は包丁を構えたまま、どうしたの?と尋ねた。

「手は切らないだろうかと、心配で」
「……流石にそこまで子供じゃないけど」
「刃物の取り扱いが不安なら我が代わりに!」
「じゃがいも、削げてるけど」
「繊細な作業は苦手ゆえ……」

むむむこのじゃがいもめ!神崎くんは口を尖らせてじゃがいもを見つめる。じゃがいもからだらしなく垂れ下がった皮に付いてる身は、相変わらず厚い。
アドニス君は重ねた豚肉を均一に4等分に分けていく。私もニンジンをまた銀杏切りする。こつこつとまな板を叩く音と、神崎くんの、じゃがいもめ……!という恨み言がゆらゆらと教室を漂う。そういえば玉ねぎは切ったっけ?私が言うと、アドニス君が、神崎に任せた、と答える。神崎君は任された!と嬉しそうに言い、嬉々として目の前の玉ねぎに手を伸ばす。あれだけあったじゃがいもはもうすでに全て捌いたらしい。見れば三角コーナーは白と茶色のリボンで埋まっている。

「玉ねぎは任されよ!あどにす殿はこんにゃくを頼む!」
「ああ、わかった。責任をもって切ることを約束しよう」

二人は重く頷きあって互いの作業に戻っていった。いちいち大袈裟だなあ、と苦笑しながら私は山盛りのニンジンを片付けて、大根に手を伸ばす。ピーラーを滑らせてくるくる皮をむいて、ニンジンと同じように刻んでいく。時たま聞こえる隣からの、うおお玉ねぎめ!玉ねぎめ!という悲鳴をBGMに切った野菜をザルの中へまた追加していく。不揃いの赤と白の銀杏が、太陽光を受けて宝石のように爛々と輝いている。何気なくひとつ持ち上げて太陽に透かしてみると、生はおすすめしない、とのアドニス君の声。ごめん、食べる気はない。

あらかた野菜を切り終えたところで、隣からのやっと終わった、と疲労に満ちた神崎くんのうなり声が聞こえた。どうやら同時期に終わったようで、お疲れさま、と微笑むと、うむそちらもご苦労である、なんて上からの切り口で労われた。

「あとは煮るだけ?」
「そうであるな、なんとか間に合いそうでよかったよかった!」
「そうだねえ」

切り終えた野菜をさっと水で洗い、鍋の中へいれていく。だしを投入すると透明だった水が薄い琥珀色に輝く。おたまでかき混ぜてやると、にんじんと大根がひょこりひょこり水面に顔を出しては沈む。神崎くんは隣でじゃがいもを投入しながら、ごった煮であるな、と笑った。確かに不揃いの野菜が引き締めあっているこの図は、ごった煮と評するのにふさわしい。

「アドニス君さっき綺麗っていったけど、やっぱなんか不揃いで綺麗じゃないよ」
「なんの話だ?」
「さっきほら言ったじゃない綺麗って」
「あれはお前の指の話だが?」
「はっ?!」

突然の発言に勢い余ってお玉を鍋底に落としてしまった。どぼんという音と共に跳ねた煮汁を浴びてしまった神崎くんの悲鳴と、なぜか遠くの方で、オッちゃんが転校生を口説いてる!乙狩くん何言ってるの?!との声が実習室を跋扈する。波紋のように広がるざわめきに、アドニス君は不思議そうに首を傾けた。

「俺は変なことを言ったか?」

知らない!と叫ぶように突っぱねて私は寸胴の水面を見つめる。琥珀色の出汁のはずなのに、うつる私の顔はニンジンのように、赤い。うつむき顔をあげない私にアドニス君は、もしかして気にしているところだったのか?すまない俺の思慮が足らないばかりに、と検討違いも甚だしい言葉を並べる。

「安心しろ、俺はお前の指は好きだ」

鍋底から浮かんだ気泡が、ぱちり、と水面でひとつ、弾けとんだ。