普段は賑やかな教室でも、人がいないと全くの別の場所に来てしまった感覚に陥る。ここはどこ?私は誰?まあここは教室で、私は一生徒であるわけだけど。放課後の教室はがらんどう、という言葉が似合うくらいに誰もいなかった。いるのは私と、窓から刺す西日だけ。西日はぐぐぐっと背を伸ばし、私の机から床までオレンジを一直線にぶちまけていた。照らされている部分を触るとほんのり暖かく、私の奥底にある睡魔をゆりおこしてくる。
しかしながら私は学園の生徒。生徒だから、生徒としての役割を果たさなくてはならない。目の前にある手つかずの日誌には無機質なテンプレートだけが浮かび上がっている。ぼんやりしてても仕方ないよね、よし書くか。私がペンを握った瞬間、ぽよんという音声とともに携帯画面右上のハートのマークが一つ増えた。
あ、これは仕方ない。私はペンを机に転がし、とんとんと携帯を叩く。やる気がないわけではないのだけれど。とんとん。体力が回復しちゃったならね。とんとんとん。仕方ないよね不可抗力だ。とんとんとんとん……。
「お前さ、なにやってんの」
ふと目の前の陽光が途切れたから何事かと思い見上げると、いつからいたのか、衣更くんがじいと私を見下ろしていた。携帯がタイムアップが近付くBGMを鳴らしはじめる。その奏にのせられるように、私の鼓動も早くなる。なんとか出た、「いさらくん、」の一言に彼はそうです衣更くんです、と言って笑った。
「日直?」
「あ、そう、やろうとは思ってたんだけどね」
「それよりゲームに夢中だったって?北斗に見つかったら怒られるぞー」
「そうだね、怒られちゃうかも」
そうして衣更くんは本当にごく自然に私の携帯の画面をついと指でなぞった。一段階明るくなった画面は、先ほどのリザルト画面を陽気な音楽とともに表示させる。あんまり得意じゃない?と衣更くんは言う。衣更くんがこなかったらもっと高得点だった、と私が口を尖らせると、ちがいねえ、と彼は笑った。
「でも没収、続きは日誌が終わってから」
「えええ、なんでなんの権限があって!」
「俺生徒会役員」
「ううう、卑怯だよう……」
私の前の椅子をずずずと引いて、衣更くんはそこに座った。監視してやる、とでも言いたいのだろうか。でも、衣更くんがそこにいたら、照れて逆に集中できないんですけど。にやけそうな頬を隠すように頬杖ついて未だ真っ白な日誌とにらめっこ。あれ、もしかしてこれ書き終えちゃったら衣更くん帰っちゃうのかな。それだと書きたくないな。ううん、これはどうすればいいものか。
日誌から顔をあげると、暇そうに陽だまりをなぞる彼の姿。ほんと何しても絵になる人だ、さすがアイドル。じいと見つめてると、お前が見つめるべきはこっちだろ、と衣更くんは日誌を私に突きつけてきた。
「なあ、これ、遊んでもいい?」
「え、いいよ、いいけど、あ、ハートないや」
「だったら俺から送ってやるよ……あ、でも俺転校生の連絡先しらねえわ、登録していい?」
「え?」
「ほら連絡先知っといたほうがお互いに便利だろ、これから、な?プロデューサーさん」
突然の申し出にへえ、という間抜けな音が口から零れる。へえ、って江戸時代じゃないんだから。彼はそう言って笑うが、だって、そんな、無邪気な笑顔を向けられたら頭回らないじゃない。先ほどの笑顔を脳内で反復させながら私は震える指でラインを操作する。
「これからもハートなくなったらいつでも言ってくれよ、俺から送るからさ」
画面に表示された「衣更真緒」の表示に頬を緩めながら、その時はお願いします、と私は笑った。でもね多分それまでにこちらの心臓が持ちそうもないです。