日中は起きないという話は本当だったみたいだね。放課後とはいえ呑気に校内で眠りこけている先輩を見て私は体から力が抜けていくのを感じた。いつもは律儀にぴったりとしまっている棺桶の蓋は珍しく少しだけずれていて、その隙間からすやすやと寝息を立てる先輩の横顔が見える。
ちょっとしたいたずら心で先輩の髪の毛をすくと、思いのほか柔らかな手触りだった。指の隙間から零れる漆黒のそれは、吸血鬼を名乗るにはふさわしいほど滑らかで滑らかだ。引っかかることなくすいすいと通るその指通りが楽しくて、ついつい本来の目的を忘れてしまう。そう、私は、先輩に、用事があったんだけど。
「さすがにそこまでされるといくらの我輩でも起きてしまうんじゃが」
「先輩」
「のう嬢ちゃん、いや、別に咎めようという気はないから安心せい」
それが何十回か続いたある時、すうと彼のキレ長い瞳が開いて、紅の光が私を捉えた。怒っているのかしら、と私は反射的に腰を引く。手にまとわりついていた彼の髪の毛は雫が垂れるかのように私の指からつうと零れる。朔間先輩はじいと先ほどまで自分の髪が絡んでいた指をみて、そのまま腕を伸ばし私の手を掴む。寝ていたくせに、存外冷たい手のひら。冷たいですね、というと、低血圧じゃからかのう、と大きくあくび。そうして彼が無邪気に手を引っ張るもんだから、私は上半身棺桶に引きずり込まれる形となった。
「何か用があったんじゃないのか?」
「そうなんですけど」
なんだったっけ。あ、朔間先輩まつげ長い。引っ張り込まれたのと、棺桶が狭いのも相まって、彼の顔は私の数十センチ先にある。このままバランスを崩せば、思いっきり頭突きしちゃうんじゃないのかな。でもこんな状況でも朔間先輩の赤い瞳は私をじっと見据えて離さない。
「まさか、忘れたとか言うんじゃなかろうに」
彼がしゃべるたびに、吐息が私の顔を、耳を、通り抜ける。私が抜けているということもあるだろうが、これは絶対私だけのせいじゃない。彼の息で遠くに吹き飛んでしまった「用事」はきっと、時間が経たないと戻ってこない。それどころか急ぎの用事かどうかも忘れてしまった。これって吸血鬼の魔力?
「多分……先輩に会いにきたんです」
嘘ではないけど、本当ではない言葉を吐くと、朔間先輩はひどくおかしそうに笑った。そうしてそれは知っていた、と言わんばかりに力一杯私を棺桶の中に引きずり込んだ。