DropFrame

日はうすれるかわり 「夜をさかなに」って

 普段とても大きかったから、
ふと見かけた背中のあまりの小ささに考えるよりも先に声をかけていた。
相手は一瞬驚いたように、珍しい客もあるもんだな、とじいと僕を見下ろしながら呟く。
訪ねてきたわけではないんですけど、なんて可愛げのないセリフは喉の奥へ飲み込んで、
僕は僕を見下ろすその瞳をじいっと見つめた。


「お久しぶりです、トッシュさん」

*


「トッシュさんはどこに行く予定だったんですか?」
「あんま考えてねえけどよ、折角だから外で飲もうと思って」


 トッシュさんは腰元に携えてる酒瓶をちらりと僕の方に見せて、
どうだい一緒に、と口の端を上げて笑った。
僕は首を横にぶんぶん振りながらいいです!いらないです!と言うと、
冗談だよ、と彼はまた笑う。
でもその笑顔もいつものような豪快なそれではなくて、
どこか寂しい香りを漂わせるような、見たことのない笑顔だったから、
僕はただただ口をつぐむ。

 いつも見るトッシュさんの姿は、沢山の弟子たちに囲まれて、
高い畳の上で自信満々に座っている姿だったから
ーー勿論今も寂しさを全面に出しているわけではないのだけれどもーー
どうしていいか正直わからない。
ついてきた事すら間違いだったのかとも思う。
もしかしたら一人になりたかったのかも。迷惑だったかな。

 僕の頭の中に後悔の念が渦を巻き始めた頃、
黙りな様子が気になったのか、トッシュさんが僕の方を振り返った。


「なんだ、アレクたちがいないと案外おとなしいんだな」
「そんなことないですけど」
「折角だし相手してくれよ、一人で飲むより二人で飲んだほうが楽しいってもんよ」


 まあ飲ませないけどな。
トッシュさんは僕の背中を軽く叩いた。
そうして、ジュースでも買ってきた方が良かったか?と尋ねられたので、
水筒があるんで大丈夫です。と答える。
その返答がどうやら彼のツボに入ったらしく、
水筒ね、と半笑いで返されて、少しだけムッとしてしまう。

 眼前に見えるトッシュさんの背中はいつも通りとても大きく感じた。
やっぱりさっきのは見間違いだったのかなあ。
大股でずんずん歩いていくトッシュさんに遅れないように、
僕は小走りで後を追いかける。
トッシュさんはヴェルハルトさんと同じくらいの背丈だというのに、
存在感はその何倍もある気がした。
そこに立っているだけで頼もしいというか、安心するというか、
僕の知り得る中で、彼は一等に大きかった。

 どこへ行くかもわからず、暫く他愛もない話をしながら歩いていると、
急に彼が歩みを止めた。
そこは少し小高い丘になっており、一際大きい木の根元に彼は腰掛け、僕を手招きする。
ほら、テオもこいよ。
僕もちょこちょことそちらへ向かい腰を下ろすと、
彼は持っていた酒瓶をくいと傾けて喉を鳴らしながら飲み始めた。


「……で、なにか用があったんじゃねえのか?」


 僕の方を見ずに、彼は呟くように言葉を吐いた。
僕はそのセリフに驚いて目を丸くする。


「僕がですか?」
「そりゃあ街中であんな顔されて話しかけられちゃあ気になるに決まってんだろ」


 いったい僕はどんな顔をしていたのだろう。
うーんと首をひねっていると、どうやら言いたくないと勘違いしたようで、
まあ言いにくいならいいけどよ、と彼はもう一度酒瓶を傾ける。
そうしてふう、と少しお酒臭い息を吐いて、トッシュさんは遠くを見つめた。
目線を追っても空と、小さく見える街しか見えない。
でもトッシュさんはそこにいない何かを見ているように僕は思えた。

 たまにだけど、ごく稀にエルクさんも同じような表情をすることがある。
それはよく晴れた日だったり、雨の日だったり、規則性はないのだけれども。
遠くを見つめて、何をするでもなく、ただ、見つめて。
リーザさんはそんな時必ず、
ちょっとそっとしてあげましょう、と僕を静かにエルクさんから引き剥がす。
理由は聞いたことがない。いや、聞けないのだ。

 共通しているのは、瞳に宿っている寂しげな光。
きっと僕にも、アレクさんにもルッツさんにもどうすることのできないであろう、
一握りの、翳り。


「なんだか」
「ん?なんだよ」
「トッシュさんが寂しそうに見えたから」


 ぽろりとこぼれた言葉はあまりに馬鹿みたいで、
またさっきみたいに笑われるのだろうなと思った。
しかし予想に反してトッシュさんは、寂しい、と僕の言葉を反復して、
どうだろうなあ、と笑うでもなく、ただただつぶやいた。
どうだろうなあ、はきっと僕に向けた言葉ではない。
誰に向けたかわからないその一言は風にあおられて消えていく。


「テオは今寂しいのか?」
「僕ですか?うーん、そうですね
 でも、前みたいにアレクさんたちと居られないのは寂しい、かも」
「そうか、一緒に旅は続けてないんだっけか」
「そうです、アレクさんはハンターとして走り回ってますし、
 ルッツさんはちょっとわかんないですけど」
「わかんないってなんだよ」


 トッシュさんはくつくつと笑う。
だってルッツさん、アイテム協会に行くと思いきやそうでもないみたいだし、
でもたまにひょっこり現れたりハンターの手伝いしたり、でもハンターじゃなかったり、
本当によく分からない。
シェリルさんはルッツさんのことを、ちゃらんぽらんだと言っていた。
ダメだよあんな男になっちゃ、と言われたけど
きっと天と地が逆さまになったって僕はルッツさんみたいにはならない。きっと。


「でも元気そうです」
「おお、元気がなによりじゃねえか」
「あとシェリルさんはウェポンの方で頑張ってるみたいですし、
 マーシアさんも先生してるみたいです」
「ほお」
「ヴェルハルトさんもよくわかんないですけど元気みたいです」
「またわかんねえのか、お前の仲間はなんだ、みんなわかんねえのか」
「でもヴェルハルトさんはちゃんとしてるみたいですよ」
「なんだよルッツかたなしだなあ」


 ちゃんと全員のこと把握していて偉いな、テオは。
そう言ってトッシュさんは僕の頭をぐりぐりと撫でる。
あれ?いつの間に僕の話になってたんだろう。
違うんだって僕が聞きたいことはそうじゃないんだって。
トッシュさんの撫で攻撃をなんとか避けて、じいと彼の顔を見上げる。
急にどうした、と面食らう彼に、僕はまた言葉を投げる。


「トッシュさんは昔のお仲間とあってるんですか?」
「ん?シュウやエルクのことか?まあたまあにな」
「なんだ、頻繁にあってるわけじゃないんですね」
「あいつらも忙しいんだろ、ほら、お前んとこのアレクと一緒だ一緒」
「そう言われるとすごく忙しそう……なんだか会えないって寂しいですね」
「寂しいもんかよ」
「そういうものですか?」
「生きてりゃいつでも会えるし、
 こうしてテオや、アレクたちがたまにあいつらの様子伝えてくれるだろ」


 で、同じように俺の様子もあいつらに伝わるだろ。
そうしてお互いがわかっていれば、離れてなくたって寂しくないもんよ。
まあお子様には少しだけ難しい話かもしれねえがな。
トッシュさんはそう言い切ってもう一度お酒を煽った。
だとすると先程から感じているこの気持ちはなんなのだろう。
僕の勘違いだったのかな。でも、今の言い方だと。


「会えない人が、いるんですか?」


 ぴたりと、彼の動きが止まる。彼の茶色い瞳が僕を見下ろす。
でもその瞳には僕は写っていない。
彼は僕を通して違う”誰か”を見ている。
トッシュさんはひどく懐かしそうに、そうして聞いたことのない優しい声色で


「ばかやろうがな」


 とだけ、呟いた。
そうしてもう一度今度はしっかり僕を見て、
ほんの少しだけだけど似てるな、あいつと。と笑った。


「お前はさ、あんまり背伸びして生き急ぐなよ」
「生き急いでた人たちなんですか?」
「いや、そんなことねえよ。ただ少し、背伸びはしてたがな」
「もしかして、聞いちゃいけないことでしたか?」


 トッシュさんは酒瓶を手元に置いて、またじいっと僕を見た。
いや、僕越しに”誰か”を見ている。僕とほんの少しだけ似てると言っていた、誰かを。


「そんなことねえよ、まあでもなんだ、たまにな、思い出すんだよ」
「そうなんですか」
「ああすればよかった、こうすればよかったんじゃないかとか、後悔っていうのかね」


 したって意味がないんだけどよ。でもまあたまにはいいじゃねえか。
そう言った彼の姿はあの時に見かけたのと同じくらい、小さくなっていた。
当たり前の話だけれども、僕の知らないところできっと、多分エルクさんも、
今ですら癒えないような傷を負っているのだろう。
でも人に言えないから、こうして一人で飲んでいるのかな。
僕が声をかけなきゃ、もしかしてトッシュさんは、
その傷をそっと思い出しながら一人で飲んでいたのかもしれない。

 僕にはそれがなにかわからないし、説明されたって理解出来る自信はないけど、
後悔をお酒で流し込むのは、なんだか違う気がした。
せっかく誰かを思うのならば、
少しだけ楽しいことを思い出したってバチが当たらないはずだ。
 カバンから水筒を取り出して、ぐいっと中身を飲み干す。
ぬるくなったお茶はいつもよりも少し渋くて、大人の味がした。
トッシュさんは僕の突然の行動に驚いて、おいどうした?と声をかける。


「……ねえトッシュさん、よければ僕に教えてください」
「何をだよ」
「その人たちの思い出、できれば、とびっきり楽しいの」


 トッシュさんは虚をつかれたように一瞬言葉を失って、
そうしてゆっくりと大木に体重を預ける。
そうだなあ、とまるで思い出をなぞるようにつぶやいて、静かに目を閉じる。
ひとつ、ふたつ、風が吹いて、彼の赤い髪がなびく。


「仕方ねえなあ、せっかくだしよ、話してやるか、長くなるぞ」
「受けて立ちます!」


 膝を叩いて豪快に笑うその瞳に光る寂しさは、
先程よりもほんの少し和らいでいる気がした。
僕とほんの少しだけ似ている”誰かさん”は、この光景を見ているのだろうか。
僕はきっと話を聞くしかできないけれども、
”誰かさん”とトッシュさんの楽しい思い出が少しでも彼の心に残って、
寂しさを癒すならば、それはそれでいいと、僕は思う。

 さわさわと揺れる木の葉と、
ほんの少しだけ面白おかしく脚色されたであろう思い出話に耳を傾けながら、
きっと会えないであろう”誰かさん”へと、思いを馳せた。