一体どこから出て来たのか、という事よりも、
「これ」が大災害を乗り越えた事実に驚きを隠せなかった。
所長から渡された四つ折りの紙はところどころ黄ばみはあるものの、
紙自体は風化していない。
破らないようにそうっと開くと、そこには拙い文字で書かれた
「はたちのぼくへ」
の文字。
「懐かしいだろう」
所長の言葉にテオは曖昧な笑みをこぼして紙に目を落とした。
覚えているような、覚えていないような。
だがしかし、埃まみれのその紙からはほんのりと懐かしい、優しい香りがした。
*
「なんだそれ?」
隠していたつもりだったのに、目敏く真っ先にそれを見つけたのはルッツだった。
彼は慌てて隠そうとするテオから画用紙を取り上げると、
無作法にそれを開いてほほう、と口の端をあげた。
未来の自分への手紙?一行目を読み上げてルッツはテオを見下ろす。
「きったねえ字!」
「もー!返してくださいよー!」
「いいじゃんかよちょっとくらいさあ!
えーっと?二十歳の僕へ……って今読んじゃだめじゃん!」
「だーかーらー!返してくださいってばー!」
とれるもんならとってみろよー!なんて子どものような台詞を吐きながら
ルッツはテオをからかうようにひょいひょいと彼の跳躍に合わせて画用紙を踊らせる。
もちろん身長差からして奪い取れる訳がないのに、
恥ずかしさで顔を紅潮させながら飛び跳ねるテオの姿に、
今まで傍観を決め込んでいたアレクはやれやれと肩を落とした。
「ルッツ、趣味が悪いぞ」
「いやでも見てみろよアレク、もはや象形文字」
「小さい頃だったから仕方ないじゃないですか!」
今だって小さいだろ!とからかうルッツの言葉に、
それよりもうんと前です!と果敢に言い返すテオ。
テオの手が画用紙をかすり、彼は悔しそうにうなり声をあげた。
ルッツは挑発するように紙をひらりひらりと彼の前で揺らしながら、テオの怒りを煽る。
どっちが子どもなんだか。アレクはテオとルッツの間に割り込んで、
「テオは落ち着いて、ルッツはそれを返してやれ」
「そーだそーだ!」
「やなこった!大体小さい頃たっていつくらいに書いたんだよ、これ」
唇を尖らしながら問うたルッツの言葉にテオはぴたりと動きをやめて首を傾げる。
えっとあれは……?
目を泳がせながらううんと唸り、いつだったっけな、と言葉を舌の上で転がす。
随分前のような気がするし、それでもほんの数年前のような気もする。
なんせここ三年で自身も、取り巻く世界も激変したのだ。
テオは眉間に皺を寄せながら記憶の糸を辿る。
暖かい部屋、隣にはお母さんが居た気がする。
まっさらな画用紙に、そうだ下ろしたてのクレヨンを使ったんだ。
初めて使うからって、折角だからって未来の自分に手紙を書こうなんて、
お母さんに言われたんだっけ。
ぼんやり浮かぶ母の姿に胸が切なく締め付けられる。
お母さん、ぽつりとテオの口から言葉が零れた。
「テオ……」
その言葉にアレクはどう反応していいかわからず、幼い彼の切なく歪んだ顔を見る。
ごめんな思い出させちゃって、浮かんだ言葉はなにかが違うような気がして、閉口する。
こんなときどんな言葉をかければいいのだろう。
テオ、その……。
アレクが口を開くと同時に、
「”てお5歳”だってよー!!俺5歳の時でももうちょっとましな文字書いてたぜ!!!」
場に似合わぬ朗らか過ぎる笑い声と共にルッツが乱暴にテオの頭を撫でた。
今まで郷愁に歪んでいた顔がくるりと代わり、
テオはルッツを睨むとアレクを追い越しぴょんぴょんと跳ねながら画用紙を追いかける。
「いい加減返してくださいよー!!」
「やなこったー!えーっと?なになに?
”二十歳のぼくへ、お元気ですか?けっこんはしていますか”
っかー!ませガキだなあ!」
「うるさい!!返せ!!!」
引っ込むタイミングを失った手をそっと下ろして、
アレクは振り返りはしゃぎ回る二人を見て乾いた笑いを浮かべた。
なんか、心配して損した。そんな素直な感想が脱力した肩に伸し掛かる。
胸一杯に広がる遣り切れない気持ちを抑えながら、
ああもう傍観を決め込もうだなんて、そんな考えも頭を過った。
彼らは僕の手に負えないなんて、わかっていたじゃないか。
「ほら返してやるよ!」
一通り読み終えたのか、それとも飽きたのか。
ルッツは突然テオの頭の上にぽんとそれを乗せると、戯けたように両手を離した。
テオは恥ずかしそうにそれを受け取り、そそくさと手紙を背中に隠した。
「しっかし手紙なんて残るんだな、まあ残るときは残るか」
「もうちょっとましなものが残ってくれたら良かったんですけどね!」
「いいじゃねえの思い出の一ページ?みたいな」
「知ってます?今思い出の一ページがルッツさんによって汚されたことを」
「知ってるか?それも思い出の一ページに刻まれるんだよ」
「ああ言えばこう言う!」
「知的とよんでくれたまえ!」
息をするように出てくる軽口に、
シェリルさんが頭抱えてる気持ちが分かる気がします、とテオは苦々しく吐き捨てた。
そうして背中に回していた画用紙を乱暴にポシェットにしまうと、
もうこの話はお終いです!と言い切り一つ大きく手を叩いた。
「なんだよつまんねえなあ、大体二十歳になってねえのに読んでよかったのかよー!」
「しょうがないじゃないですか、
僕も中身確認するまでこの手紙ってこと知らなかったですし」
「でもこういうの残ってるっていいよな」
何気なく呟いたつもりだった。アレクの苦笑じみた言葉にぴたりと部屋の空気が凍る。
戸惑い顔を上げると、気まずそうに顔を見合わせるルッツとテオの姿が目に入った。
え?なんだよこの空気。どうしたんだよ二人とも。
二人の顔を交互に見るも、ルッツとテオは気まずそうに目を泳がせるだけ。
歯切れの悪い言葉が二人の口からぽろぽろこぼれ落ちる。
「……あー……悪い俺、無神経だった」
「すいません僕も、なんだか嫌な思いさせちゃって」
「そうだよな、アレク、大災害前の記憶、ないもんな……」
「え?!ち、違う僕はそういう意味でいったんじゃ」
漸く重い沈黙の理由を理解して、アレクは慌てて弁明をしようとした。
が、口を開こうとするよりも早く、ルッツはアレクの肩に手を置いて呟く。
いいって気を使わなくても。
乗せられた手の重い事重い事。
引きつり笑顔しか浮かべることしか出来ずに、アレクはテオの方を見下ろす。
テオも申し訳なさそうにこちらを見上げて、そうして目を伏せた。
「本当にそんなつもりじゃ……」
「言ってくれるなアレク……そうだ!今書こうぜ!今!」
「はあ?!」
「だったらほらテオももっかい書き直しできるじゃんかよ!
で、三人で二十歳になったらそれを開けんの!」
「タイムカプセルですね!」
「そうそう!こう二十歳おめでとー!って酒でも飲みながらさ!
こう掘り返すってわけ!」
「あっでも僕アレクさん達が二十歳なら16歳なんですけど!」
「誤差だろ、多分」
「誤差じゃないですよ、きっと」
話題についていけずに言葉を失うアレクに構う事無く、
二人はどんどんと話を膨らませていく。
そうだ大切なのは過去じゃない今だ!なんて格好つけた言葉がルッツから飛び出し、
そうですよ過去に捕われてちゃだめなんです!なんてテオも
おおよそ年齢に似つかわしくない言葉を吐く始末。
もはや止められない暴走機関車を見ながら、
アレクはただただ呆然と立ち尽くすしか出来ない。
「二十歳かー!いやあ俺様なにしてんだろうなあ!
少なくとも美人なお嫁さんを貰ってだなー!」
「結婚って書いた事馬鹿にしてたくせに!」
「何の事だったっけなー?」
「もー!」
「とりあえず紙とペンだな!マーシアのとこでも行くか!」
「わかりました!じゃあ待っててくださいね!アレクさん!!」
台風のような二人が部屋から出た所で、ようやくアレクは我にかえることができた。
一体なんだったんだ、あれは。
浮き沈みの激しい空気に酔ってしまったのか、よろめく身体を壁に預けて、
ひとつ深いため息を吐いた。
疲れた。それが素直な感想だった。
しかし未来の自分への手紙か。
二十歳になった自分——おそらくだけど——6年後の自分。
一人前のハンターになっているのだろうか。
今旅をしている仲間達とは疎遠になっていないだろうか。
そもそも生きているのだろうか。
六年後もあの二人に振り回されていたらちょっと嫌だなあとか、
六年もしたら最年長のヴェルハルトは23歳かあ、
いつまであの髪型でいるのかなあとか。
そういえば六年後は今のエルクさんの年齢を超えてるんだよなあ、
なんて少し不思議な気持ちになったりだとか。
未来を考えるとほんの少しだけ心が躍る。
なにがあるのか、どうなっているのか、
全く予想の出来ない未来に、アレクは穏やかな笑みをこぼした。
少なくとも六年後は、
僕ら三人集まってどこかしらに埋めたタイムカプセルを掘り返しているのだろうか。
「なんかよお、シェリルが書きたくてしかたないんだとよ!」
「うっさいわねえ、たまにはアンタの馬鹿みたいな提案に乗ってあげるつってんのよ!」
「折角だし私も参加させてもらうわ、ふふふ、タイムカプセルなんて懐かしいわね」
「別に俺は参加するなんて一言も」
「ヴェルハルトさんも書きましょ!二十歳への自分の手紙!」
「二十歳といっても三年しか……」
「あら、そう考えたらテオとヴェルハルトって、七つも離れているのね……?」
「やめてくれ!!!悲しくなるだろう!!!!!」
——三人どころの話じゃなくなりそうだな。
賑やかになだれ込んで来た仲間達を見て、アレクは思わず顔をほころばせた。