テスタは星がよく見えるなと、シュウさんはそう言って笑った。
縁側に腰掛けて、手にはおちょこと注がれたお酒。
ほんのりと顔を赤らめながら、彼はじっと空を見上げている。
乾いた風が彼の髪を通り抜け、さわさわと揺らしていく。
まるで風と同調するように、緩やかに、穏やかに。
その隣りではトッシュさんがあぐらをかいて、彼もまたお酒を楽しんでいた。
先ほどのシュウさんの言葉に反応して、そうかあ?と首を傾げながら、
徳利に入ったお酒をあおる。
ぐびぐびと喉を鳴らして飲む姿は豪快という言葉がぴったりと似合う。
いつも後ろに束ねていた髪は、何故か今夜は垂らしたままで、
彼が喉を鳴らすたびに紅の毛先がぴょこぴょこと跳ね踊る。
そうしてお酒をひとしきり飲んだ彼は空を見上げて、
確かにそうかもしれねえな、とぽつり呟いた。
大きく騒ぐでもなく、
ただただ沈黙を楽しみながらお酒を嗜む二人を見るのはとても興味深い。
僕も大人になったらこうなるのかな、と想像しながら観察するとなおの事楽しい。
ルッツさんと畳にねそべりながら、僕はじいっと二人を眺めていた。
開け放たれたふすまから流れる風が僕らの髪の毛をも揺らす。
散らばる星空と、お酒を楽しむ二人。
まるで綺麗な絵のような風景に、僕はほうと息を零す。
なんだかいいですよね。
この空気を壊さないように、小さく呟く。
眼下に広がるこの、すこし浮世離れしたような風景と、
そうして夜が更けた事も相まってか、僕の瞼は少しだけ重い。
うつらうつらと、夢と現実をはしごしながら、
それでもしっかりと縁側の二人の姿を目に焼き付ける。
煌めく星々と、それを肴にお酒を楽しむ二人。
現実なのにどこか浮世離れしたこの雰囲気に、僕は心酔していた。
心酔、していた。
「あーー!なんか癒される!癒されるなー!これ!」
なのにも関わらず、
ルッツさんは相変わらずばかでかい声でごろんごろんと畳の上を転がりはじめた。
匂いを嗅いだと思うと、ごろごろ縦横無尽に転がり回る。
うひょー!なんて奇声を上げている姿はギスレムのチャイルドハウスの面々に
混じっていてもきっと違和感なんてこれっぽっちも感じない程のそれだ。
一気に現実へと引き戻されて、僕は非難の意味を込めて彼を睨むが、
ルッツさんは気がついていないのか、ころころころころ僕の隣りを転がり回る。
このテンションの上がり様に、流石のアレクさんも苦笑いだ。
ただ、アレクさんの隣りで、くつろいでいるエルクさんだけが、
けらけらと笑い声を上げていた。
「たかが畳にはしゃぎすぎだろ」
「いやだってすげえっスよこれ、すっべすべだしひんやりしてるし」
「ほお、気に入ったか」
「いやー!もうすげえ!すげえっすねこれ!」
喜色満面のルッツさんを見て、トッシュさんは得意げに唇を歪ませる。
特上品なんだぜ、と伝えるとルッツさんはさらに目を輝かせて
畳の目を手のひらでなぞりだした。
うひょー!高いんですかこれ!
おお、高いぞ目玉が飛び出るほどにな。
うおおおすげえよアレク高いんだってよ!!
目をキラキラ輝かせて畳に頬擦りするルッツさんに、アレクさんはまた苦笑いを零す。
「ルッツ、はしゃぎすぎ」
「だってよー、すごくねえこれ!いいなー俺んちにも欲しいなー!」
「お前らの故郷にはなかったのか?」
「エテル島は基本木造だよなあアレク」
「そうですね、僕も実はテスタに来て初めて見たんですよ」
そうしてアレクさんはそっと畳の目をなぞって、照れくさそうに笑う。
良い香りしますよね。
つつつ、と滑らかに畳の目の上を指が滑る。
僕も彼らと同じように畳に手を滑らせると、ひんやりとした温度が手のひらを包む。
氷の、鋭いような冷たさとはまた違う。
優しい冷たさ。
「リノにもありませんでしたよー」
「スメリア独特の文化だからじゃないか?」
「確かにインディゴスでも見かけなかったよなあ、これ」
すめりあ?いんでぃごす?僕が首を傾げるとシュウさんは振り返って、小さく笑う。
今はもうない国の名前だ。
その目はどこか哀愁が漂っていて、僕は言葉を飲み込んで口をつぐむ。
もしかして聞いちゃいけないことだったかな。
……そんな雰囲気も転がり回っているルッツさんのおかげでうやむやになるのだから、
全くもって彼はすごい人間である。
「あー!いいなー!いいなー!」
「ルッツさんうるさいですよ」
「なーにお高くとまってんだよほら!テオも転がっていいんだぜ!」
「転がりませんし大体ここルッツさんの家じゃないじゃないですか!」
「いーじゃんかよー堅い事抜きにさー!」
おうおう、好きに遊べ好きに遊べ。
トッシュさんは破顔しながらまたお酒をあおる。
子どもは遊ぶものだろう、なんてシュウさんも同調してくつくつ笑う。
そんな二人を見て、ならお言葉に甘えて、なんてルッツさんは
先ほどよりもさらに移動範囲を広げて部屋中をころころころころ転がりだした。
先ほどまで苦笑を顔に貼付けていたアレクさんは、
いつのまにか真顔でそんな幼なじみを見守っている。
勿論僕も加わるつもりもないので、
また視線を彼ら——トッシュさんとシュウさんに戻した。
「にしても、良いものなのに勿体ないねえ」
「良いものつったって別に畳でも板でも変わんなくねえ?」
「エルクはまだお子様だな」
「お子様だな」
エルクさんの一言にトッシュさんとシュウさんが顔を見合わせて笑う。
二人とも先ほどよりも頬の赤みが増しているようにも見えた。
先ほどよりも上機嫌にトッシュさんがひひっと声を上げて笑うと、
エルクさんはぶすっと頬を膨らませて、なんだよう、と一言言葉を零す。
俺だっていつまでも子どもじゃねえっつうの、なあアレク!
エルクさんがアレクさんの顔を覗き込むと、
アレクさんはあー、と歯切れの悪い言葉を吐きながら、ふいと目をそらす。
「おいアレク!なんだよお前まで俺の事子どもだって」
「ちちち違いますよ!ほら!エルクさんは僕らの先輩ですし!
僕らから見れば十分大人ですよ!」
「ほんとかよー!じゃあ何だったんださっきの間は!」
「そ、その確かにトッシュさんやシュウさんやリーザさんに比べるとその」
「なんでそこでリーザが出てくんだよ!!」
「いやほら僕らの共通の知り合いで身近な大人っていえばその、」
「ちなみに嬢ちゃんはこいつの一つ下な」
トッシュさんの一言にアレクさんの顔から血の気が引く。
部屋中の空気が一気に冷え込み、固まる。
「えっ、えっ、えーーーーー!
ならさっきの!さっきのはそのエルクさん!なしで!無しで!」
「もういいわかったアレク、お前は俺の事そういう目で見てたんだな……」
「違いますよー!!!エルクさんは!大人ですって!な、なあルッツ!!」
「あれ?ってことは何だ?俺様違いがわかるからエルクさんより大人ってこと?」
「ルッツーーーーーーーーー!!!!!」
動転したアレクさんは自分のかけていたゴーグルをルッツさんに投げつけた。
咄嗟の事に反応できなかったのか、見事それはルッツさんの頭にクリーンヒット。
いてえ!!やったな!
とルッツさんも投げられたゴーグルを力一杯アレクさんに投げ返す。
が、目測を誤ったのか、ゴーグルはエルクさんの顔面すれすれを通り抜け、
壁に激突した。
「ほおー?良い度胸じゃねえかルッツ……」
「え、え、エルクさんそれはその……大体アレクが!」
「ルッツが変な事言うからだろ!」
おら表でろ!というエルクさんが縁側から中庭へ駆け出す。
ルッツさんも何故か嬉しそうにエルクさんに続いて中庭へ飛び出す。
そんな二人を見て、アレクさんは戸惑ったように僕をちらりと見つめた後、
二人を追いかけて中庭の方へ駆け出した。
そうしてやいやい大声で騒ぎながら、夜の帳へ消えていってしまった。
先ほどまでのけたたましい喧騒が嘘のように、
部屋には、くつくつ笑うトッシュさんとシュウさんの笑い声だけが残っている。
トッシュさんは寝転んだままの僕を見て、お前も苦労すんな、と一言零した。
「テオは行かないのか?」
「僕はいいです……全く元気過ぎますよ……」
「賑やかでいいじゃないか、フフ」
そうして静寂を取り戻した部屋にまた一陣の風が吹いた。
良い風だねえ、トッシュさんが呟く。
良い夜だ、とシュウさんが続けて呟く。
そうしてまた部屋に静寂が満ちて、二人はちびちびとお酒を楽しみだした。
やっぱり、いいなあ。僕もいつかこんな、落ち着いた大人になれるのかなあ。
爛々と輝く星空と、静寂を楽しむ二人を見ながら、僕はゆったり瞼を閉じた。