DropFrame

春風と共に

 彼は今日も背筋をピンと伸ばして、意識をあちこちに張り巡らして生きている。

 トッシュ曰くそれは背伸びで、いつか無理がくるらしい。
若い頃の俺を見てるみたいだと酒臭い息と共にそんな言葉をトッシュが吐くと、
今のお前も似たようなものだろうと、隣りにいたイーガはそう言って笑う。
一瞬虚をつかれたようにトッシュは言葉を詰まらせるが、
すぐにぷうと頬を膨らませて、コップに入っているお酒を一杯あおる。
そんな二人を傍目に見ながら、僕は今日見たアークの姿を思い浮かべた。

 僕の目から見てもアークは少し無理をして生きている気がする。
自分の背丈よりも少し高い目線で、
誰にもわからないようにこっそり背伸びをして生きている、そんな気がする。


+++


 春の零れんばかりの日溜まりの下。
青々しく茂った新緑は爽やかな風を僕らに運んでくる。
深呼吸するだけで体の悪いものが抜けていくような気がして
いつもより多めに息をしていたら、
近くにいたアークが破顔してこちらへのそのそとやってきた。

笑うなんて酷いなあ!と僕が冗談まじりに語尾を強めると、
彼はまるで魚みたいだった、と言葉を吐きだす。
魚なんて。
アークの言葉に憤慨して、僕はぷいと彼から視線を逸らし、
何か用?とぶっきらぼうに言葉を投げつける。
彼の表情は見えないけど、足跡で確かに彼が近付いているのはわかる。
ざくりざくりと草を踏みしめて、彼は一歩一歩近付いてくる。


「うーん、ガス抜きかな」
「ガス抜き!」


 口から飛び出した言葉に驚いて、彼の方に視線を戻す。
アークは僕を見て、そんなに驚く事か?と首を傾げた。
僕もその言葉をなぞりながら首をひねると、真似するなよと彼の口が弧を描いた。
僕はやはりそれにもつられて、アークこそ真似しないでよ、とはにかんだ。

 よくよく考えたら別段驚く事ではないのだけれど、
ガス抜きと口にした彼はいつも見ていた背伸び姿ではなく、
ちゃんと両足をしかり地に着けて立っている無理をしていないアークに見えた。
いつもより笑顔は柔和で、眼差しもほんの少し暖かい。

 アークは大股でどすどす歩いてくると、僕の隣りで立ち止まってその場で腰を下ろす。
体中の空気を吐き出しているんじゃなかろうかと思うくらい長ーく息を吐いて、
疲れたー!と大声を上げて、後ろへ倒れた。

草を踏む柔らかな音。
疲れたなんて言葉とは裏腹にアークは何故か顔は清々しい程の笑顔を浮かべて
僕を見上げていたから、思わず、楽しそうだね、という言葉が滑り落ちた。
楽しいのかなあ、とぼんやりした返答を口にして、アークは目を閉じる。
その後に深いため息が聞こえて、ゆったりと彼の目が開かれた。


「アークはしょいこみすぎなんだよ、ちょっとは他の人を頼らないと」
「頼るって言っても、俺が好きにやってることだから」
「ならいいけど、トッシュもイーガも心配してたよ、アーク無理してるって」
「そういう風に見える?」
「見える」
「手厳しいなあ」


 薫風が彼の前髪を揺らす。
良い季節になったと彼が呟く。
穏やかな微笑みはまるでいつもの日々を過ごす彼とは全く別人のようで、
僕の胸はちくりと痛んだ。
きっと彼だってこんな立場に置かれなければこうして穏やかな日々を過ごせただろうに。
きっと口に出して言うと否定されるから黙っておくけど、
そう考えるとほんの少し、切ない。

 戦火の中、先陣をきる彼の背中。
地図を片手に眉を潜めている横顔。
鋭いまなざしで仲間に指示をだしている姿。
きっとその全てひっくるめて彼なのだろうけど、
もっと今みたいに、緩やかな時間をゆったりと過ごす、
そんな時間がもっとあってもいいんじゃないか。
やるせない気持ちで胸が一杯に膨らんだ頃、
アークは僕の顔を見て、あっと短く声を上げる。


「今すっごい難しいこと考えてるだろ」
「別にそんなことないよ」
「ポコはすぐ顔に出るからな」
「やだなあ、人の気持ち勝手に読まないでよ」


 アークはそう言って笑って空を仰いだ。
眩しそうに太陽に手をかざして、目を細める。
眩しいなら見なきゃ良いのに、という僕の小言に、
アークはただただ微笑みを浮かべるだけ。
どうしていいかわからず僕も彼のように寝そべって空を仰いだ。
刷毛で掃いたような薄い雲が、風に乗ってのんびりと空を行く。
遠くの方で鳥の鳴き声が聞こえる。
のどかという一言が似合うこの空間に、僕らは今、浮かんでいる。

 僕らの間が沈黙で満たされた頃、アークがぽつりといいな、と呟いた。
それはきっと僕に向かって放たれた言葉ではないだろう。
しかし僕は黙って頷く。
だって僕も今、この空気がとても素敵な物だと思ったから。
こうして二人でのんびりと時間を使うこの空間が、とても素晴らしい物に思えたから。

 無理しないでね。僕は呟く。
もちろん彼に向かってだけれど、聞こえなくてもいいかなと思った。
だからほんの小さな声で、僕にしか聞こえないような声量でそう呟いた。
すると彼は、そうだな、と同じような小さな声で呟いた。
それでも無理をするんでしょう、と今度は少し大きな声で言う。
見抜かれてる、とアークが笑う。
なんたって僕はアークの保護者だからね。
鼻息を荒くすると、保護者じゃないよ、と彼は今度は真剣な声色で答えた。


「相棒だよ」


 彼はむくりと起き上がり、寝そべっている僕を見た。
逆光で表情がよく読み取れないけど、きっと穏やかに笑っているのだろう。


「そうだね、相棒だ」


 言葉をなぞると、彼は満足そうに頷いて空を見上げた。
さんさんと降り注ぐ太陽の光は、ゆったりと僕らを世界を照らしていた。
そこには背伸びをした彼ではなく、等身大のアークが確かに、そこに存在していた。