部屋に満たされる香ばしい香りにルッツは思わず生唾を飲み込んだ。
目の前にある山盛りの唐揚げは黄金色に光っており、
机に心狭しと並べてある他のどんなおかずよりも多大な存在感を放っている。
本来ならこんな贅沢は出来る経済状況ではないのだが、
質素な食事を続けるメンバーを見かねた宿屋の女将が夕食を振る舞ってくれたのだ。
子どもだからお肉が良いわよね、と言いながら
山盛りによそったご飯を持ってくる女将にルッツは両手を上げて喜んだ。
おばちゃんわかってるー!俺肉大好き!!
僕も好きですよー!と続けて声を上げたのはルッツの斜め前に座っていたテオだ。
彼も爛々と目を輝かせて、唐揚げの山を見つめている。
今にもたれそうなよだれが、彼の興奮を表していると言っても過言でもないだろう。
隣りに座ってるシェリルがテオに、垂れそうと一言呟く。
テオは慌ててナプキンで口元を拭くと、照れくさそうに下を向いてしまった。
かくして、賑やかな夕食は香ばしい香りと共に幕を上げたのである。
+++
それにしても。
シェリルは黙々と唐揚げを咀嚼しながら目の前に居るルッツを見つめた。
ほんとあの馬鹿、よく喋る。
くちゃくちゃ音を鳴らさない分ましだけど、よくもまあそれだけ喋る事があるな。
きっとコイツあれだ。口から産まれてきたタイプだ。
シェリルは目の前で繰り広げられている弾丸トークを聞き流しながら、
黙々と食事を進めていた。
さて次の唐揚げをとろうと彼女が目の前の唐揚げに箸を伸ばしかけたその時、
左隣から素早く箸が伸びたかと思うと、
次の瞬間狙っていた唐揚げはかっさらわれていた。
ああ!というテオの悲痛な叫びが右隣から聞こえる。
かっさらった張本人——マーシアは得意げに笑うと、
早い者勝ちよ、とテオににっこり笑いかけた。
「ずるいです!!僕が狙ってたのに!」
「まだまだあるじゃない、ほら、それも大きいわよ」
「うーー」
悔しそうにうなり声を上げるテオ。
そしてこれ見よがしにひょいと唐揚げを頬張るマーシア。
全く、人を挟んでやめてほしいんだけど。
シェリルがちらりとヴェルハルトに目線を投げると、
彼は咀嚼していた物を飲み込んで、箸を置く。
「足りないならまだ頼むか?」
「いいですけどー!やっぱりさっきの大きかったですよー!」
「その分量を食べればいいじゃないか」
「そんな問題じゃないんですよー!」
テオは憎々しげにヴェルハルトを睨むと、
手前にある唐揚げを引っ掴んで口の中へ放り込んだ。
ヴェルハルトもそんなテオの様子に肩をすくめながらぽつりと呟く。
全く、わからんな。
そんな呟きをルッツがすかさずに拾って茶化し始めた。
ヴェルハルトはおっさんだからなあ。
「お、おっさん?!」
「テオの年から見ればおっさんじゃねえの?」
「おいルッツ」
「だってよアレク。俺らから見るとそうでもねえけど、
テオとヴェルハルトって結構離れてんじゃねえか」
ヴェルハルト、そんなことないからな。
アレクが苦笑しながらフォローを入れたにも関わらず、ルッツは言葉を続ける。
だって七歳差だぜ?七歳ってもう、やばくね?
「ということは、六歳差の私も'やばい'のかしら?」
口元は微笑んでいるのに、目はしっかりルッツを捕えて離さない。
マーシアの異様な雰囲気に先ほどまで悠然と喋っていた口をルッツは閉ざす。
「……そ、そういえばヴェルハルトさんとエルクさんって一つ違いなんでしたよね!!!」
「あ!そうそう!そうなんだよなー!ヴェルハルト!」
「そうなのか?」
渡りに船だ!と言わんばかりにルッツはテオのフォローに乗っかりはじめた。
薄ら汗がにじみ出ているのは気のせいではないだろう。
アレクはそんな幼なじみの姿に苦笑しながらご飯を飲み込んだ。
そうか、ヴェルハルトってエルクさんの一つ下なんだよな。
なんだかエルクさんが随分と遠くに居すぎて、そんな感じ全くしないけど。
エルクさんは世界を飛び回っているハンターで、皆からも一目置かれている存在だ。
そして遠いところで彼女の、彼女の……?
「そういえば、エルクさんとリーザさんってどうなんだろうなあ」
ふと産まれた疑問。
昔の馴染みだと聞かされてはいたが、
どうもそれだけではないなというのがアレクの見解である。
久遠の大樹を手に入れる際にリーザにも手伝ってもらったのだが、
エルクの話題を持ち出したとき、
ちらりと彼女の瞳が寂しく揺れていたのをアレクは知っている。
「……エルクさんと、リーザさんねえ」
シェリルは一口齧った唐揚げを茶碗の上に置いて、ううむと唸る。
「年は近そうだし、一緒に旅してたなら仲良かったんじゃない?」
「俺には特別仲がいい!って見えたけどなあ」
「ルッツは目が悪いから」
案外恋仲なんじゃねえの!と身を乗り出すルッツに、マーシアはさらりと毒を吐いた。
なにい?!と大げさに身をのけぞらせながら、
ルッツはマーシアの言葉に食って掛かりはじめた。
「なんだよー!じゃあマーシアはどう思うんだよ!」
「どうもなにも、ルッツ、例えばこの旅が終わるとするじゃない」
「うんうん」
「で、数年経って、
シェリルさんと会いましたよって自分を訪ねてきた人が言ったらどう思う?」
「相変わらず小ちゃかったか?って聞く」
「どこの話してんのかちょっとこっち向いて言ってみな」
シェリルはルッツの真ん前にある唐揚げに箸を思い切り刺して彼を睨んだ。
ルッツは震え上がりながら、なにも無いです、と声を絞り出す。
引き付いた笑みを浮かべる彼にシェリルは一つ舌打ちを打つと、
思い切り唐揚げを噛み砕いた。
「……俺は、特別な関係だと思う」
「え!ヴェルハルトさんこういう話に興味あるんですか!意外!!」
「意外とはなんだ!そ、その……あまり得意ではないが……普通の仲なら、
その、なんだ……だからその……あんな態度とらないんじゃないか」
ヴェルハルトの頭の中にリーザの家を訪ねたときの情景が巡る。
あの時のリーザの反応は、懐かしい、というよりも
他人をいたわるというか、思いやるというか、
なにか特別な感情がこもったそれに見えて仕方が無かった。
自分では上手に表現はできないのだが。
それといったぴったりとした単語が思い浮かばなくて言葉に窮していると、
マーシアがあらあら、とくすくす笑う。
「でもヴェルハルトが言ってる事、わかるわ。私も特別親しかったと思うもの」
「ふうん、そんなもんかねえ」
「ふふふ、でも良いわね。
そうやって思い合える相手がいるってとっても素敵な事じゃない」
確かに。
アレクはマーシアの言葉に頷きを返した。
旅をしてから数年経ってもこうして心の片隅に住んでいる人がいるということは
素敵だし、逆に誰かの心に自分が住んでいるっていうのも素敵なことだ。
「僕らも、そういう関係になれたらいいな」
この旅が終わったって、離れていたって、心のどこかでは繋がっている。
そんな仲間になれたらいいな。
そんな気持ちを込めてぽろりと口からこぼれた言葉。だったはずなのに。
「えーーーーー!なんだよアレク俺様と恋仲になりたいのかーーー?!」
「ちょっとアレクさんそれはないです、あ、こっち見ないでください」
「……今のはちょっと引くわ」
「私も……年下はちょっと」
「気持ちは嬉しいが俺は……」
「ち、違う!!僕はその離れても繋がっているみたいな!事を!!」
「うわきっしょ!!それちょっときもいぜー!アレク!!」
「ヴェルハルトさん席交換しません?」
「遠慮しておく」
「今のアレクならルッツの方がマシに見えるわね……」
「えー、それを差し引いてもアレクの方がまだまし」
「おいシェリルどういう事だよ今の!」
「うっるさいなあ大体アンタずっと思ってたんだけど
食事中べっらべらうるさいんだよ!!」
「うるさいってなんだよ俺様は皆との友好を深めようとなあ!!」
***
「……若い子は賑やかでいいわねえ」
厨房で料理の後片付けをしていた女将がひょっこりと部屋を覗く。
食堂はがらんとしているのに、彼らが座っているテーブルだけが
色味を帯びたように盛り上がりっているようだ。
見れば誰の茶碗にも大皿小皿にも料理は残っていないというのに、
まだまだ彼らの賑わいは続きそうな気がしてならない。
なんだか、見ていて楽しいわね。
ふふふ、と一つ笑いを零して、女将は厨房へ踵を返した。