「もう仲直りするまではご飯抜きですからね!」
まるで母親のようなセリフに、
今まで取っ組み合いをしていたシェリルとルッツの手が止まった。
二人が声の方へ目をやると、そこには小さな拳をぶるぶる振るわせたテオが
二人を睨みつけるように仁王立ちをしている。
今なんて?シェリルが口を開くと、テオは叫ぶようにもう一度同じ言葉を繰り返す。
仲直りするまで!ご飯はお預けです!!
いままで二人のいざこざに辟易しているのは知ってはいたものの、
こうして強く口を出されるのは今回が初めて。
シェリルもルッツもぽかんと間抜けな表情を浮かべてテオをじいっと見つめる。
ご飯抜きって、子どもじゃないんだから。
呆れ顔でそう零すシェリルの言葉に、テオは顔を真っ赤にして、
もう知りません!と部屋から出て行ってしまった。
そうして沈黙が支配する部屋に取り残された二人。
どうする?どうしようか?お互い顔を見合わせて、はあと肩を落とした。
「あーもうシェリルが余計なこと言うからだからなー」
「だってそう思っただろルッツも!」
「そりゃ思ったけどよお、相手は子どもだぜー?」
「そうだけどさあ」
空が茜色に染まる夕暮れ時。
窓の外からはどこかの民家からだろう、夕食の香しい香りが宿まで届く。
ぐうううと情けない腹の音を立てながらルッツはベットに寝そべった。
ああ、腹減った。考えたらもうすぐ夕食の時間だ……普段なら。
はあひもじい。そう呟いて天井を仰ぐ。
空腹のせいか天井の染みが料理の形に見えて仕方ない。
あれはハンバーグ、海老フライ、グラタン……
そうして指でなぞりながらひとつひとつ数えていくと、
隣りからやめなよ、と苛立った声。
「大体あんたがしょうもない事はじめるからだろ」
「しょうもなくねえし、俺は新しい合成を研究してただけなのに
横からぴーぴーぴーぴーシェリルが口出すからだろ!」
「変な物ばっか組み合わそうとしてるから教えてやってるんでしょ!
ちょっとは感謝でも示したらどうなの!」
「感謝だあ?!邪魔の間違いじゃねえのかよこの……!」
男女!喉まででかかった言葉をぐっと飲み込んで、やめよう、と代わりの言葉を呟く。
シェリルもはっとしたように口をつぐんで、そうだね、と肩を落とした。
今は喧嘩をしている場合じゃない。むしろその逆、仲直りをしなくてはならないのだ。
別に仲が特別悪いわけではない。
お互いがお互いの事を嫌っていたらこうして話をすることだってないだろうし、
まあ相性は最悪かもしれないが、俺はなんだかんだでコイツを信頼はしている。
ルッツはイライラした様子で部屋を歩き回るシェリルを見つめた。
きっとコイツも俺と同じ事を思っていると……思う。確証はないけど。
こうした言い争いだってひとつのコミュニケーションの形だろうし。
まあ周りに迷惑をかけている感じは否めないのだが、
お互い素直になれないから仕方ないというかなんというか。
そこでまたルッツの腹の音が高らかに声を上げる。
何か飼ってるわけ?シェリルが半笑いで言葉を吐く。
飼ってるから二人分食べなきゃならねえんだよ。ルッツが答える。
ふうんと彼女は愛想の無い言葉を返して、ベッドに座り込む。
お腹減ったね。ぽつりと呟かれる言葉にルッツも同調する。ああ、腹減ったな……。
そうして沈黙で満たされる部屋。
シェリルはベットに仰向けになって寝転がり、唐突に天井を指差しだした。
あんたがあんなこと言うからあたしにも食べ物に見えてきた。
そうして彼女も天井の染みを指差して呟きだす。
おはぎだろ、あれはチョコレートに見える、あれは……。
「やめろ食事テロ」
「さっきのあたしの気持ちだよそれ」
「大体なんでそんなデザート系なんだよ、女子か」
「女子だよ」
枕が頭上に飛んでくる。
ルッツはけだるそうにそれをキャッチしてシェリルに投げ返した。
ぼふり、と柔らかい物同士がぶつかった音が聞こえる限り、どうやら不時着したようだ。
きらきらと夕日に照らされた埃が部屋を舞い踊る。
腹減ったなあ。何度目かもわからない言葉を吐いて、ため息を吐く。
仲直りねえ。
小さい頃は喧嘩して、仲直りして、のプロセスは非常に簡単なものだったはずなのに、
気がつけばとても難解なものに早変わりしていた。
大体何をもって仲直りなのだろう。
謝ったら仲直り?手でも繋いで仲直りしましたよーなんて言ってみるか?
シェリルが承諾しないだろうなあ。
ちらりと彼女の方へ目をやると、天井をなぞるのに飽きてしまったのか、
ただただぼうっと窓の外を眺めていた。
気がつけば空はゆっくりと紺の幕を下ろそうとしている。
なあシェリル。
ルッツは彼女の名前を呼ぶ。
仲直りって難しいな。
そうして大きく息を吐いた。
そうだね、難しいね。
シェリルはゆったりと上体を起こしてルッツに目をやる。
しかし枕を投げ返したやつのセリフとは思えないね。そう余計な一言をつけて。
「仲直りするかあ」
「するかあって、どうすればいいのさ、したところでまた喧嘩になるだろ」
「うーん、そうなんだよなあ、シェリルが余計な一言を言わなきゃいいんじゃねえの?」
「あんたこそその減らず口を縫い合わせたらどうなのさ」
そう二人で言葉を吐いて、しまった、と口をつぐむ。これだ、原因はこれだ。
「……お互い、喋らなきゃいいんじゃないのか」
「黙り合ってたらそれはそれで険悪になるんじゃないの?」
「なら語尾になにかつけてみるか?険悪にならねえような言葉」
「うーん……そうだな……」
そこで悩んでいると部屋に響くノックの音。
はあい、とシェリルが声を出すと、遠慮がちに扉が開き、
苦笑を貼付けたアレクが顔をのぞかせた。
ルッツは気怠い様子で上体を起こして、ベッドに座り込む。
どうしたんだよ、アレク。
ぶっきらぼうに言い放つと、彼は一度廊下を見渡して
なにかを確認してそっと部屋に滑り込んだ。
「仲直りしたかなと思って」
「仲直りっつってもどうすればいいかわかんねえよ」
「別にわざわざ仲直りっつー程喧嘩してないし」
拗ねたようにシェリルがそっぽを向くと、アレクはやはり苦笑を浮かべて頬を掻いた。
僕もそうだと思った。そう前置きをして、アレクは近くにあった椅子を引く。
「でもテオの言う事ももっともだよ、
二人はもうちょっと言い争いの頻度を減らさなきゃ」
「減らすったって……あーもう、わかったよあたしが悪かったよ」
「別にシェリルだけが悪いというわけじゃないと思うけど」
そうしてアレクが目線だけをルッツの方に向ける。
顔には笑顔が張り付いているのに目は全く笑っていない。
その鋭い視線に居心地が悪くなって、俺も悪かったよ、と謝罪を絞り出す。
その、一言余計だったよな。
アレクはその一言を聞くと満足そうに頷いて、椅子に腰掛けた。
そうしてふうと大きくため息を吐いて、照れくさそうに頭を掻く。
「テオがね、二人が仲直りするまでご飯待っときますって言ってきかなかったんだ」
「食べりゃあいいのに」
「食べちまえばいいのに」
ほぼ同時に飛び出した言葉に二人は顔を見合わせる。
だってなあ、腹減るだろ。
そうだよね、あたし達なら食べるよね。
食べる食べる、待ってる意味ねえもん。
真剣に言い合う二人にアレクは苦笑いを浮かべて、
本当に似た者同士だなあ、と言葉を零した。
「二人の事が心配なんだろ、
まあそこまで心配するようなことでもなかったみたいだけど」
「んーまあなんていうか、
俺とコイツの言い争いはもはやコミュニケーションのようなもので」
「そうだよ、別にそこまで大きく考えるようなことじゃないんだから」
「当の本人はそうかもしれないけど、
見ている僕らからしたらいつでもハラハラものだよ、特にテオは優しいから」
優しいねえ、とシェリルが首をひねる。
ルッツの頭の上にも?が浮かんでいるのは、
きっとテオの気持ちがいまいちピンときていないからだろう。
全くこの二人ときたら。頭を抱えたくなる衝動を抑えてアレクは椅子から立ち上がった。
ほら、仲直りしたならご飯食べにいこうか。
そんな彼のかけ声に返答するかのようにルッツの腹の音が鳴る。
そうだなあ、とりあえず行くかあ。
ルッツはのろのろと立ち上がって、再度鳴るお腹を押さえてアレクの元へかけよった。
シェリルも釈然としない表情を浮かべながらもゆったり立ち上がった。
まあ、腹減ってるしここは休戦ってことで。
珍しくシェリルから差し出された手を見て、ルッツはぱちくりと目を瞬かせる。
お前どんだけ腹減ってんの?
すんなりと出た皮肉を口に出した瞬間アレクの鉄拳制裁が頭上に落ちてきた。
「そう言うところがだめなんだろ!」
「いってえええ!わーった!わかったから!こうすればいいんだろ!」
差し出された彼女の手を握ると、強引にルッツは自分の方へ引き寄せた。
ほら!このままテオの前に行けば一件落着!な!
半ばヤケクソに言葉を吐いて、ルッツは乱暴に扉を開いた。
シェリルも引っ張られるがままそのままルッツの後ろを小走りで追いかけ、
そんな二人の様子にアレクはやれやれと肩をすくめた。
好きも嫌いも紙一重ってね。
二人が居ない食堂で、テオにこっそりと教えた言葉を心の中で反復する。
気にならなかったら喧嘩もしないし、
お互いが認め合ってなかったらあそこまで言い争いはしないよ。
アレクの一言にテオは訝しむように、ほんとですかあ?と言葉を吐いた。
本当だとも。だったらその証拠を見せてくださいよ。
そうだなあ、まあ僕に任せておいてよ。
そう啖呵きって出てきてしまったはいいが、
どうしようと考えあぐねていた所だったのだが、
物事が良い方向に転んで本当に良かった。
今の二人を見たらきっとテオも納得するだろう。
くうううと悲鳴をあげる腹をそっとさすって
アレクも二人の背中を追いかけるように小走りで食堂へ駆け出した。