DropFrame

素直になれるまでは

 幸せと銘打つには少し足りないようなそんな感覚だけど、
居心地は何故か異様に良かった。
今まで住んでいたところが荒んでいたとか
——もちろん荒んではいたんだけどあたし的には別に気にならなかった——
こんな生活をしたことが無かったので新鮮だったとか
理由のつけようはいくらでもあるのだけれども、
なんとなくそうやってカテゴライズする気にはなれない。
漠然と感じる暖かな気持ち。確かにそれはここにあって、あたしを優しく包んでいた。

 不思議なものでそれを素直に伝えるのは恥ずかしい気持ちでいっぱいで
どうにも素直になれそうにない。
普段なら言いたい事は言って、気に入らない事は怒って、
自分の気持ちには正直で居たのに、この気持ちと真正面に向き合う事が照れくさい。
でも伝えなきゃ気持ちにおさまりがつかなくて、
あーでもないこーでもないとうだうだ悩んでいるうちに日は落ち、また昇る。
もう伝えなくてもいいかと半ば諦めていた頃に、アレクからの呼び出しを受けた。

 アレクの呼び出し、と言っても普段ルッツが受けるような
お説教の類いではないのだろうとは頭ではわかっているのだけれども、
少し緊張しながら彼の部屋のドアを叩く。
部屋の中からちいさな足音とともにドアが開かれた。
やあシェリル、と浮かべる彼の笑顔はどこかぎこちなくて、
あたしの心臓を小さな針がちくりと刺す。


「どうぞ、ちょっと散らかってるけど」
「……どうも」


 散らかってるといっても散乱しているのはアイテムばかりなので、
これは同室の馬鹿ルッツのものなのだろう。
宿の部屋は私とテオが泊まっている部屋と同じ作りをしているようで
部屋の奥には簡素なベットがふたつ、窓際に机と、
そして部屋の中央にも机がぽつんと置いてあった。
窓際の机の下には二人の荷物が綺麗に治められているが、
ルッツの鞄であろうものからはだらしなく衣類がこんにちはと顔を出している。
二つのベッドの一方は起きたまんまのぐちゃぐちゃな状態で、
一方はまるでベッドメイキングをした直後ですともいわんばかりの綺麗な状態で、
性格の良くわかる状態に思わず頬が緩む。

 アレクはあたしの目線を追いかけるようにベッドに目をやると、
一応注意してるんだけどなあ、とため息。
注意したってなおるようなやつじゃないだろ、と言ってのけると、
確かになあ、とアレクは頭を掻いた。
アンタも気苦労が耐えないね、とあたしが笑うと、
彼も苦笑を浮かべて部屋の中央にある机へ移動する。


「用ってなんなの?」
「うーん、まあちょっと座って」


 促されるように椅子に腰かける。
アレクも机を挟んで対面の椅子に腰を下ろす。
緊張しているのか彼の表情は少しこわばっており、眉間にも皺が寄っている。
彼と出会ってまだ日は浅いが、こうした表情を見るのは初めてだ。
少なくとも怒られるならこんな表情を浮かべないだろうと
ほっと胸を撫で下ろしたのだが、どうにも周りの雰囲気が重く沈んでいる。
なかなか話を切り出そうとしないアレクにしびれを切らして、
どうしたのさ、と言葉を零す。
彼はあたしを見上げて、しばらく言葉を舌の上で転がしながら言い辛そうに言葉を吐く。


「シェリルはさ、無理してないかなって」
「無理?あたしが?」
「うん」


 一体何を言い出すんだ、コイツは。
アレクは相変わらず困ったような笑顔を浮かべている。
確かに一般的には女の方が体力はないと言われてはいるが、
少なくともアレク達にはついていってるとおもってるし
体力面に関しての弱音も吐いた記憶が無い。
もしかして傍からみたら無理してるように見えたわけ?それは心外だ。
あたしが眉を潜ませると、アレクは慌てたように両手を振った。


「えっと、戦力とか、そう言った意味合いじゃなくて、精神的な話でさ」
「精神的?どういう意味?」
「いや、最近シェリルがどこかぼうっとしてる事が多いなと思って、
テオに聞いたら寝る前ため息吐いてるって言ってたし」


 もしかして、無理矢理連れてきちゃったのかなって。
アレクはそこまで言うと、ふうとため息を吐いた。
精神的にまずいのはアンタのほうじゃないの?と
喉まででかかった言葉をぐっと飲み込む。

 悩みというわけでもないが、原因はきっとあのことだろう。
ばれないように努めてきたのだが、どうも無駄だったようだ。
それに寝る前のため息だって自分でも気がついていなかった。
上の空だって全然そんな気はないのだろうけど、
きっとアレク達には見えていたのだろう。
自分の不甲斐なさに肩を落とす。


「別に……皆に迷惑をかけるようなことじゃないから安心して」
「僕はシェリルが大丈夫かどうかを心配してるんだけど」


 心配?聞き慣れない言葉に目を瞬かせる。
そう心配。彼は当たり前のように言葉を返す。


「別に僕らに迷惑かけても問題は無いよ、
仲間だから。でもシェリルが一人悩むのは嫌なんだ」


 仲間。昔はその言葉を聞くだけで背筋に走るものがあった。
生温くて、どこか嘘くさい言葉。仲間。友達。
バカみたいと唾を吐きかけて見ない振りをしてきた言葉。
だけど今はその言葉が心の中にすとんと落ちる。
まるで心の空洞を満たすかのように、あたしの空白を埋めていく。


「仲間ねえ」
「シェリルはまだ僕たちのことを仲間とは思ってないかもしれない、でも」
「そうじゃないんだ」


 アレクの言葉を遮り机に肘をつく。
自分の中に暖かいものが注がれているような感覚が妙にくすぐったい。
こうして自分の事を真剣に考えてくれる人、心配してくれる人なんて周りにいなかった。
いや、居たけどちゃんと見ようとしなかっただけなのかもしれない。
それに、こうして直球に優しさを投げられるとどう受け止めていいかわからない。
でも不思議と悪い気はしなかった。

 アレクは口を真一文字に結んで言葉を待っている。
どう伝えていいかわからないし、今のあたしが伝えていいのかどうかもわからない。
なにより正直に伝えるのは恥ずかしくてどうも釈然としない。
どうするの伝えるの?心の中にわき上がる欲望にノーを突きつける。
そんなの恥ずかしくって伝えれるわけがない!

 わざと大きく咳払いをして席を立った。
シェリル?とアレクの声。あたしは彼の顔を見ないようにぷいとそっぽを向く。


「別に、深刻な悩みとかじゃないから」
「僕らに話せないことなのか?」
「話せないというか……話したくないというか」


 そうか、と残念そうに肩を落とすアレク。
そういう意味合いで言ったんじゃないんだけどな、と思いながらも彼に目線を投げると、
アレクは真剣にあたしの姿を捉えていた。
そのまなざしに少々ひるんでしまったが、
精一杯の虚勢でふんと鼻を鳴らして大股で出口を目指す。

 もしかしたら打ち明けるチャンスだったのかもしれないと後になって思ったのだが、
やはり恥ずかしさとか、照れくささがあたしの中で暴れていたので、
そのままドアノブに手を伸ばした。
シェリル、と背後から彼が名前を呼ぶ。あたしは振り返らずに、答える。


「今はまだ恥ずかしいから言わないけど、言えるようになったら、言うから」


 殆ど答えに近い返答にアレクがどういった反応を示したかはわからない。
でも後ろから、呆気にとられたような、えっという困惑の呟きが聞こえた瞬間に
あたしは部屋を飛び出した。
丁度廊下に居たルッツが、
お前顔赤いけどどうしたんだ?風邪か?馬鹿は風邪引かないんじゃないのか?
と挑発してきたが、相手にしている余裕など無い。
そのまま自分の部屋に飛び込んでドアを閉めてずるずると座り込んだ。


「シェリルさん?!どうしたんですか?」
「な、なんでもない!」


 ルッツさんとなにかあったんですか?!という彼の声を遮るように布団に潜り込んだ。
寝る!と叫びに近い声を上げると、彼は何かを察したのか、
夕ご飯になったら声をかけますからね、とだけ言うとそのまま追求するわけでもなく、
ただただ黙っていてくれた。

 こうして見守ってくれたり、心配してくれたり、
——うるさいのは若干一匹いるけど——
沢山の暖かな感情に包まれるのは悪くない。
でもやっぱり言葉にするのは恥ずかしいので,
いつかちゃんと伝えるようになるまでは、彼らには黙っていようと思う。

 この旅を通して、もう少し素直になれたら。
それまでこの言葉は大切にとっておこう。