DropFrame

home

 そうだ、変わろう。
そう決意したきっかけはなにかと言われては少し困ってしまうのだが、
例えば起きて天気がやけによかっただとか、
おいしい物を食べて嬉しいとか、そんなふとした場所にそれは落ちていたんだと思う。
変わらなきゃ、で撒かれた小さな気持ちはまるでツタのように
リーザの心の中を一気に覆った。
そうだ、私は今のままじゃいけないんだ。


「あの、いきなりのお願いで申し訳ないんですけど」


 急速に変わる世界と、順応していく人々。
私だってそう、いつまでも立ち止まってはいられない。


「髪を、切ってほしいんです」


 早鐘のようになる心を鎮めるように拳を握りながら、リーザは言葉を放った。


「髪を?勿体ない!どうしたの失恋でもしたわけ?」


 そう口火を切ったのはサニアだった。
まるで豆鉄砲を食らったように大きな目をぱちくりと瞬かせながら、
彼女はリーザを見つめる。
そんなに驚くことかしら、と内心困惑しながらもリーザは首を横に振る。
恋愛とか、そういうのは関係ないです。
苦笑を浮かべながら答えると、サニアはいくばくか安心したのか、
そう、と一言呟いて目の前に盛ってあるお菓子に手を伸ばしはじめた。


「まああの馬鹿に振られるわけないもんね」
「振られるもなにもなにか進展はあったのかしら?」
「進展どころか、エルクとはあれから会ってませんよ」


 隣りで紅茶を楽しんでいたシャンテが目線をリーザに投げる。
ご期待に添えず申し訳ないです、と軽口を返しながらリーザは肩をすくめた。

 世界が反転してから数ヶ月経った今でも、エルクの影すら掴めない。
きっと彼の事だから、世界のどこかで元気に暮らしていることだろう。
あれだけずっと一緒に居たのだから、急に離ればなれになって寂しくないわけがない。
本当はずっと一緒に居たかった。
でも、そんな我が儘を言える間柄でもなかったから、
引き止める言葉は淡い恋心とともに心の箱にそっとしまうことにした。

 リーザが黙りこくってしまったのを見かねて、サニアが口を開く。
エルクもたまーには顔でも見せればいいのにね。
大体あいつどこにいんのよ、連絡ひとつよこさないでさ、まったく薄情にも程があるわ。
大げさに両肩をあげるサニアに、シャンテは柔らかい笑みをこぼす。


「確かにねえ、ちょっとは連絡してきてもいいとは思うわ」
「そもそも私がここに居るってこと、エルクは知らないと思うし……」
「ふーん、まああいつの事だからのたれ死んではいないでしょうね」
「ふふふ、私もそう思います」


 それに待ってるのも女の大切なつとめよね。
シャンテはリーザにウインクを一つ投げるが、リーザは両手を振ってそれを否定する。
だから私達そういう関係じゃないです!
叫びにも似た主張に、今度はサニアが口の端をあげる。


「まあそういう事にしておいてあげるわよ……で、なに、切っちゃうの?」
「あ、はい。その、出来れば、なんですけど」
「まあ切ってって言われたら切るけど、あっサニア、
 ついでに貴女のも切りましょうか?」
「大きなお世話!私はまだ伸ばすんだから」


 サニアは見せつけるように髪をかきあげるのを見て、
シャンテは残念そうにため息を漏らす。
おかっぱなんて似合うとおもうんだけど。
首を傾げるシャンテを見て、
サニアはげええ、と一言、盛大に顔を歪ませてそっぽを向いてしまった。


「それにしてもそうねえ、どのくらい切る?」
「あっ全く考えてなかったです……」
「考えてないってあんたねえ、いっそ丸めちゃえば?」
「あら、じゃあついでにサニアも丸めちゃう?さっぱりするわよー」
「いらない!そういう気遣いいらない!!」



 いざ切るとなるとそれなりの準備は必要で、
リーザは戸棚からはさみと櫛を、サニアは適当な紙を見つけて床に敷き詰めた。
手際がいいわねえ、と笑うシャンテは未だに紅茶を楽しんでいる。
お気に入りですか?とリーザが問うと、香りがいいわね、と彼女は笑った。

 そうして準備が終わるとシャンテは櫛を片手にリーザを椅子に座らせた。
こうして人の髪を切るのは何年振りかしら?
鏡越しに見えるシャンテに笑いかけながらリーザは膝の上で拳をきゅっと握りしめた。
長い髪に未練はそれほどないのだが、
こうしていざ切るとなるとなかなか勇気が居るものだ。
まあ勇気と言っても自分ですることはなにもないのだけれども。


「でも急にどうしたの?」
「私、変わりたくって」
「変わりたい?」
「具体的にどうとかはないんですけど、このままじゃいけないと思って」


 シャンテは木製の櫛でリーザの髪を梳かしていく。
さらりさらりと櫛が金色の波に消えては顔をだす。
綺麗なのに勿体ないなあ、
サニアが名残惜しそうに声を上げるが、リーザは首を横に振る。
切るって決めたんです、私。
握りしめた拳に力が入る。そう、私は変わるって決めたんだ。


「そうね……なら思い切ってばっさり切っちゃいましょうか」
「ばっさり……!」
「そう、生まれ変わるって言うとちょっと大げさに聞こえちゃうかもしれないけどね」

 シャンテが手をあげると櫛に絡んでいた髪の毛がするりと落ちる。
旅が始まってずっと一緒だった長い髪。
いつしか褒めてくれたこともあったなあなんて
昔の思い出がまるで走馬灯のように駆け巡る。


「そういえば、二人はこれからどうするの?長い旅を終えて、どう生きたい?」
「私はまだどこへ行くかは決めてないけど……しばらくはこれに頼るしか無いわね」


 サニアはカードを切るジェスチャーを交えて答える。
しょうがないけどね、と言葉を付け加えるが、
どこかその言葉尻が上がっているところを見ると、あまり悲観はしていないようだ。
サニアさんらしいですね。
リーザが笑うと、あんたはどうなのよ、と言葉を投げ返される。


「私は、ここに居ようと思います」
「ここに?」
「そうです、世界を回るのもいいですけど、
 ここに居て、皆の帰る場所になるのもいいなって」


  そう、それは以前から決めていた事。
きっと皆それぞれ世界を駆け回るだろうから、私はせめてここに残ろう。
ただ立ち止まるわけではない。皆の帰る場所でありたい。
そうしてできればあの人の、帰る場所でありたい。


「いいんじゃない、リーザらしくて」
「シャンテさんはどうするんですか?」
「うーん、私もまだ決まって無いんだけどね、きっとそうねえ、歌ってるんじゃない?」
「へえ、まあらしいっちゃらしいわよね、前はそれで生計立ててたんでしょ?」
「そう考えると、皆さん今までの生活に戻るわけですね」


 そうねえ、とシャンテが梳かしていた手を止める。ううん、としばらく唸った後に


「まるで夢みたいな出来事だったわよね」


 鏡越しに彼女の綺麗な唇が三日月を描く。
そう、まるで夢みたいな旅だった。長く一緒に居たはずなのにあっという間。
まだ整理がついてないことの方が多いけど、
心の中でそう呟いて、リーザは目を閉じた。



「ほら出来た!」
「へえ、似合うじゃない!」
「わあ、すっごい!私じゃないみたい!」
「ふふふ、気に入ってもらえてなにより」


 落ちていく毛束を見てははらはらしていたのだが、
いざ切り終わりを見てみると、リーザの胸は急速に高鳴った。
今まで腰よりもずうっと先まで伸びていた髪は、
肩につくかつかないかの長さで綺麗に切りそろえられていた。
鏡を見つめて、いろいろな角度から自分を見てみるが、
見慣れなくてなんだかくすぐったい。


「あら、サニアも切ってほしそうにしてる?」
「……まさか!私はまだ変わる訳にはいかないんだから」


 しっかしすごい量ねえ、とサニアが床に目をやる。
リーザも彼女の視線をたどるように床を見下ろすと
大量の毛束が椅子の周りに落ちていた。
これが今までの私の髪。ぽつりと呟いた言葉を聞いて、シャンテが苦笑を浮かべる。


「ここまで切ったのは初めてだわ」
「改めて見るとすごい量ですね」
「でも似合ってるじゃない、よかったわね」
「ふふ!ありがとうございます、シャンテさんのおかげです!」


 あらあら、とシャンテは照れくさそうに笑顔を浮かべた。
素材がいいからじゃないかしら、なんて笑顔で言われて
リーザはとっさにシャンテから目線を外す。
素材がいいなんてそんな……!
褒められて嬉しいやら照れるやらで
くすぐったい暖かい気持ちがぐるぐるとリーザを駆け巡る。
そんな彼女を見てシャンテはしばらく微笑み、ねえリーザ、と静かに名前を呼ぶ。


「髪を切る事は所詮きっかけにしかならないの。
 貴女がどう頑張るかで、世界はきっと変わってくるんだからね」
「……はい!」


 しっかりと、確かにリーザは頷く。
それを見てシャンテは満足そうに微笑んで、大きく伸びをした。
さてそろそろ帰りますか!沈んでいく太陽が、部屋をゆったりとした茜色に染めていく。
もうそんな時間なんだ。瞬く間に過ぎた楽しい一日が、もうすぐ終わってしまう。
シャンテの号令を聞いてサニアものっそりと立ち上がる。

 次は何時会えるのだろうか。いいや、きっといつでも会えるのだ。
髪を切っただけでは何も変わらないのだろうけど、
それでも確かにこの胸に確かに宿る希望は消して偽りではない。
軽くなった髪を揺らしながら、リーザは深々と二人にお礼を述べる。
驚いたように二人は顔を見合わせて、
一拍、笑顔を浮かべて、彼女の背中の軽く叩いた。


「じゃあね、また遊びにくるから、元気にやりなよ!」
「エルクに会ったらここの事、伝えとくからね!」
「はいまた、いつでも遊びにきてください!」


 いつかそう、例えば疲れた時。逃げたい時。
そんなときすぐに顔を出せるような、そんな場所になろう。
穏やかな夕日のように、皆を暖かく包む、そんな存在になろう。
まだきっと、そうなるまでは長い長い時間が必要だけど、ここが、はじめの一歩。