最近やたらと視界に彼が居る事に気がついたのは、もう随分前だった気がする。
それは例えば食事中だったり、談話室でぼうっと休憩してたときだったり、
移動中だったり、
場所は様々なのだがどうしてか彼が視界の片隅に自然と居座るのだ。
はじめはどうしてだろう、と気になって、
そこからだんだんとそれが当たり前になって、
今では自然と彼を目で追ってしまう自分が居る。
時に何も用事はないのだけれども、
彼が通るとまるで引き寄せられるように視線がついとそちらへ向いてしまうのだ。
その頃からか、それよりももう少し前の事なのか。彼の声を耳にする事も多くなった。
元々大声で騒ぎ立てる性分なので、
確かにどこに居ても聞こえると言えば聞こえるのだが、なぜだろう。
彼の声だけ特別クリアに聞こえるのだ。
なので例え街の喧噪でも、大雨降りしきる道の上でも、彼の声は私の耳に届く。
不思議とそれは嫌な事ではなかった。
声がよく聞こえるという事はいい事だし、
視界に入る事だって私の気にしすぎかもしれない。
それに彼を視覚で、聴覚で感じるとなぜかひどく安心するのだ。
しかし同時に、心が跳ね上がるように、
大きく鼓動する。私はまだ、この気持ちを表す的確な言葉を知らない。
「なにかの病気なんですかね」
ぽつり、リーザが呟く。目の前にいるシャンテがコーヒーカップをそっと机に置いた。
カップとソーサーが奏でるちんという甲高い小さな音は
エルクを見かけたときの鼓動にそっくりだと、リーザは思う。
小さいけど確かにはっきり響く音。ちりりと小さな痛みを伴った、胸の鼓動。
どこか切なく、どこか暖かで、うまく形容できないこのもやもや。
シャンテはそんなリーザをじいっと見つめる。
そうしてゆっくりと彼女の唇が綺麗な三日月を描く。
机に肘をおいて手に顎をのせて、にっこりと微笑む姿はまるで一枚の絵画のよう。
ただそこに佇んでいるだけなのだが息をのむような美しさに、
リーザは思わず膝の上に乗せていた両手をぎゅっと握る。
ねえリーザ、シャンテの美しい唇がゆったりと動く。
「あなたにはもう、わかっているんじゃないかしら」
彼女の口から飛び出した言葉に、リーザはただ首をひねるばかり。
わからないから相談しているのに。
困惑する彼女をあやすように、シャンテはそっとリーザの頭に触れる。
暖かい手のひらがそうっと髪の輪郭を撫でていく。
どこか暖かくて懐かしいこそばゆい感覚に、リーザはまるで子猫のように目を細めた。
「もうちょっとエルクを観察してみなさい、そうして自分の気持ちに向き合いなさい、
そうすればきっとわかるはず」
シャンテの唇がまた弧を描いて、コーヒーを一口すすった。
自分の気持ち?エルクに対しての?
私は彼に、なにか特別な思いを抱いているのだろうか。
頭の中で思い出を探ってみるが、どうにも明確な答えが見つからない。
一体なんなのだろう、この気持ちは。エルクと会えばわかるのだろうか。
でもきっとすぐ会える。彼は本当にごく自然にすうっと、
私の視界に入り込んでくるのだから。
それは彼女が「恋」に気がつく、少し前のお話。世界が彩られる、一歩前のお話。