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コーヒーブレイク

 酷く寒い日だったから、何か暖かいものが飲みたい、
とリーザは冷える廊下をひたひた歩く。
太陽は高く上って、窓の外はあんなに暖かそうなのに、窓を開けると冷たい北風。
自室で毛布にくるまって過ごしていたのだが、それでは身体の外側しか暖まらない。
暖かな毛布を投げ捨てるのも名残惜しいが、
リーザは勇気をだして毛布をはねのけると小走りで自室から飛び出してきたのだ。
しかしやはり寒い。羽織る物を一枚でも持ってきた方がよかったかしら。
そう考えながらキッチンへ向かう。


「あら、チョンガラさん」
「おっリーザじゃないか、どうしたどうした」


 どうやら先客がいたらしい。
チョンガラは机になにやら見慣れない機械を並べてぼうっとそれを見つめていた。
機械はぽこぽこと時たま音を立てて下のポッドに液体を落としていく。
ポッドからの香ばしいかおりにつられるように、
リーザはふらふらとそちらへ歩み寄った。


「何か暖かい物を飲みたいなあと思って、それは?」
「おーこれはなエスプレッソマシーンと言ってな」
「えくす……?」
「エスプレッソ、コーヒーの一種じゃな」


 コーヒー、なるほどだからこんなに香ばしいかおりなのか。
リーザは肩を落としてチョンガラの隣りに座る。
リーザはコーヒーがあまり得意ではない。
昔祖父が飲んでいたのを拝借した事があるのだが苦くてとても飲めた物ではなかった。
しかし、飲めなくとも火を使っている分キッチンは廊下よりも暖かい。
しばらくこの香りと暖かさで我慢するとしよう。
しょんぼりと意気消沈するリーザを見て、
チョンガラはどうしたんじゃ?と顔を曇らせる。
そうして彼女がコーヒーが苦手と気がついたのだろう。
あー、と申し訳なさそうな声を絞り出して、続ける言葉を探す。


「リーザは苦いのは苦手なんじゃな?」
「そうなんです……」
「ふむう」


 そう聞いてチョンガラは記憶を探る。確か記憶の片隅に、
甘いコーヒーがあったような。
一体なんだったか、アレは。砂糖?いや、砂糖じゃないな。塩?塩な訳無いか。

 そうして頭を悩ましていると、キッチンに来客がもう一人。
よぉ美味そうなもん飲んでんじゃねえか、と
トッシュはにやにや笑みを浮かべながら二人の前にひょっこりと顔を出した。


「何じゃお前さんか」
「珍しいにおいがすんなあと思って来てみたんだよ、
 お、嬢ちゃんもコーヒーブレイクかい?」
「あ、私はちょっと苦いのは……」
「ふうん」
「トッシュも飲むか?ええ?」
「悪いな、俺は酒を取りにきたんだ」


 そうしてトッシュは意気揚々と棚から隠してあった酒を取り出す。
全くめざといやつじゃな、とチョンガラが苦言を吐いて、
お前に言われたくねえよ、とトッシュは顔を苦々しくゆがめた。


「なあトッシュ、お前は知っとるか?甘いコーヒー」
「甘いコーヒーなんてあるんですか?」
「あるにはあるんじゃが、どーしてもここから出てこんでなあ」
「ぼけがはじまるにはまだはええんじゃねえの」
「うるさいわ!」


 そうだなあ、とトッシュは酒を机の上に置いて、
チョンガラから正面にあたる椅子をひいた。
甘いコーヒー、甘いコーヒー……コーヒー牛乳とかか?トッシュは顎に手を置いて呟く。
チョンガラはあーそれも甘いのう、とぼうっと呟く。


「牛乳ならありますけど……」


 牛乳だけで甘くなるのかしら。
いまいちピンと来ていないのかリーザは首を傾げながらも冷蔵庫を指差す。
牛乳は毎朝エルクが飲むから欠かす事はないはず。
それにこの前の買い出しで大量に買ってきたはずだし。
リーザの説明を聞いて、トッシュは何かを思いついたようにポンを手を打った。
そうだ、あれがあるじゃねえか。にやりと笑みをこぼすと、
椅子から立ち上がって楽しそうに冷蔵庫へと向かう。


「あ、コーヒー牛乳するならよ、いいもん見せてやるよ」
「いいもの?」
「おいおい、しょうもない事じゃないだろうな」
「ああ?いいから黙ってみてろよ」


 鼻歌まじりにトッシュは冷蔵庫から牛乳を取り出して、
コンロ下から片手鍋を取り出す。
鍋に火をかけると持っていた牛乳を投入する。
コーヒー牛乳って暖めて作るんですか?
リーザが首をひねると、チョンガラはさあ?と肩をすくめる。
そんな二人を背に、トッシュはご機嫌に木べらで鍋をかき回す。


「悪い事企んでなきゃいいんじゃがな」
「おい聞こえてんぞ!」
「ひゃー!おっかないおっかない」


 大げさに身震いして、チョンガラは空のカップを三つ、戸棚から取り出した。
それを自分の前、正面の席、リーザの前に並べる。
そうして席に腰を下ろすと、嬉しそうにポッドに溜まったコーヒーをカップに注いだ。
暖かな湯気がポッドから立ち上る。同時に芳醇な香りがキッチン一杯に広がる。
いいにおいだな、とトッシュが口笛を一吹き。
そうじゃろ?とチョンガラはトッシュの背中にウィンクを投げて、
自分のカップに半分、コーヒーを注いだ。
大切そうにポッドを机において、両手でカップを持ちかえる。
そうしてカップを口元へ持っていき、まず目をつぶって香りを楽しむ。
そして目を開いて、そろそろとコーヒーを口元へ持っていった。


「あっちっち、ふーう、いれたては熱いのう」
「わあ、すごく香ばしいかおり!」
「ふっふっふ、この香りがわかるとはリーザも大人じゃな」


 反応してもらって嬉しいのか、チョンガラは笑顔を浮かべながら今度は大きく一口。
とても満足そうな息をついて、チョンガラは顔をほころばせる。
彼の両手に包まれているカップから立ち上る湯気がゆらりと揺れる。
リーザはその湯気の行方をそっと目で追って、
そのまま作業に没頭しているトッシュへと目線を移す。
どうやら温めが終わったようだ。鍋を火から離して、
プラスチックの容器にミルクを注ぐ。
確かあの入れ物は、シャンテさんの紅茶ポッドのはず。
振り返ったトッシュと目が合うと、シャンテには黙ってろよ、と釘を打たれてしまった。


「ほほう、そういうことか」


 どうやらチョンガラにはピンと来たらしい。
ますます訳がわからないリーザは首を傾げてトッシュの行動を見守る。
トッシュは鍋を流しにおいて、容器とともに机のほうへやってきた。
そうして椅子に座り、容器のつまみを中身がこぼれない程度に上下させて、
きめ細かい泡を作っていく。
正面でチョンガラがリーザのカップにすこしだけ、コーヒーを注いだ。
コーヒーからは暖かな湯気と、香ばしいかおりが漂う。


「おら、よこせ!」
「ほいほい、そんな急かさんでもわかっとる!」


 チョンガラがリーザの前にカップを置く。
トッシュは立ち上がってリーザの脇に立った。
リーザも同じように立ち上がってトッシュの手元を覗き込む。


「よく見てろよ」


 チョンガラも見るか?とトッシュが問うと、
ワシはこれで十分、と自分の持っているカップを目線の高さまであげた。
そうかよ、とトッシュが笑うと、
彼はリーザの見えやすい位置までカップをおろして、斜めに傾ける。

 そこからは、まるで魔法のような出来事だった。

 トッシュが手慣れた手つきでミルクを注ぐと、
今まで黒に近いコーヒーがみるみる茶色へと変化していく。
と、半分程入れると茶色いコーヒーの海から白いミルクが表面に現れた。
リーザがあっと声を上げる間にトッシュは
紅茶ポッドを手前から奥に線を引くように素早く最後の一滴を注ぐ。


「すごい!ハート!!」


 薄茶色に染まったカップにぷっくりと浮かぶ、白いハート。
トッシュは形が崩れないよう丁寧に彼女の前にカップを置くと、
わざとらしく一礼をした。
まるで執事じゃな、と茶化すチョンガラに、
さまになってるだろ?とトッシュは鼻を鳴らす。


「どうだい?なかなかすげえだろ」
「トッシュにしちゃなかなか」
「素直に褒めてもいいんだぜ?」


 飲んじゃうのが勿体ない……!
リーザが感激のあまりじいっと見入っていると、
それを隣りで見ていたチョンガラが大口で笑う。


「かっかっか!まあ飲んでみなさい、美味いぞー
 なんせワシがいれたコーヒーだからな!」
「そうだぜ、折角作ったんだから飲んでみろよ」
「そ、そうですね!名残惜しいですけど」


 リーザはカップを持つと、形が崩れないようにおそるおそるそれを口元へ持っていく。
一口飲み込むとまずミルクの甘い香り、
そうして追いかけるように香ばしいコーヒーが口の中に広がる。
わあ、と思わず感嘆の声を漏らす。以前飲んだコーヒーとは全く味が違う。
あの頃はただ苦い大人の飲み物だったのに!
リーザは一口、また一口とどんどん口に運ぶ。
トッシュとチョンガラはそんなリーザをみて、親指を立て合い喜んだ。


「わー!すっごくおいしいです!これ!!」
「そうじゃろそうじゃろ、さっすがワシ!」
「違えよ、俺が牛乳いれてやったからだろ」
「はー!これだから素人は!牛乳じゃなくて、ミルク!ミ・ル・ク!」
「うっせえなあ同じもんだろー」


 そうしてトッシュも用意してあったカップにコーヒーを注ぐ。
あれ、お酒はいいんですか?リーザが問うと、
たまにはコーヒーもいいか、なんて口の端をあげる。


「お、マジで美味いなこれ」
「だから言ってるじゃろ、ほれ、もう一杯どうじゃ?」
「しゃあねえ、付き合ってやるか」


 チョンガラがトッシュにコーヒーをついでやって、トッシュがそれを飲み干す。
リーザはそんな微笑ましい光景を見て笑みをこぼした。

 飲み干したカップからはぱちぱちと小さな泡のはじける音。
この泡がはじけきったらもう一杯作ってもらおう。
もちろんもう一杯飲んでみたい気持ちも大きいが、
もう少し、この空間に、もう少しだけ。