そろそろ手袋も必要かもしれない。
エルクは自分の手を擦り合わせながら空を見上げた。
エルクがため息と共に吐いた息は白く染まり宙へ消えていく。
冬は苦手だ。
体の芯からじわじわと凍っていくようか感覚が、どうにも好きになれない。
ぴゅうぴゅうと容赦なくエルクの顔へと吹き抜く風に眉を顰めながら早足で道を行く。
シルバーノアに帰ったらアークにでも言って防寒具の費用を捻出してもらおう。
どう考えたってこれは寒い、寒すぎる。
ぶるりと体を震わせて、エルクは半ば駆け足になりながら帰路を急いだ。
寒い寒い、ああ、寒い!
エルクは転がり込むようにシルバーノアの艦内へ入る。
廊下から談話室へ、ドアを開けるとむせ返るような熱気がエルクを出迎える。
ふうう、生きかえるぜ。そう言いながら誰もいないソファーに突っ伏す。
ふと窓に目をやると、室内との温度差で窓は白く曇っていた。
「エルク、帰ってたのか」
「アーク……なんだよその格好」
「え?セーター?今日寒いだろ」
「や、寒いけどよ!なんで!鎧外してそんなラフな格好で歩き回ってんだよ!」
「いやあ今日は思ったより寒いからな、でも鎧は外してないぞ」
エルクがソファーに突っ伏していると、
休憩していたのかアークが飲み物を片手にこちらへやってきた。
いつもの鎧姿ではなく、彼は見慣れぬ真っ赤なセータを着ていた。
もしかして鎧の上からそれ着てんのか?
エルクがおそるおそる聞くとアークはあっけらかんとした表情で頷いた。
確かに、よくよく見ると彼にしてはやけに上半身が膨らんでいるし、
耳を澄ませるとセーターの下からかしゃんかしゃんと金属のこすれる音が聞こえる。
「くっそだせえ」
エルクはぼそりと呟く。
もちろん鎧の上から着るような前代未聞な奇行もさることながら、
問題はそのセーターの色だ。
セーターは彼のはちまきと同じ赤色で統一されていて、非常に目に優しくない。
エルクが渋い顔をしていると、アークは同じように眉をひそめた。
「別に俺が何着ようと問題ないだろ」
「まあ別に問題ねえけどよ……なんでセーターなんだよしかも赤だし」
「ん、これか?」
アークは裾を引っぱり自分のセータを見つめる。
そうして、ちょっと派手かな、とはにかむように笑顔を浮かべた。
ちょっとどころじゃねえよ、とエルクが言うと、
アークはなぜか照れたように頭を掻いた。
「いやあはちまきが赤だからってククルがはりきっちゃって」
「え?!じゃあなんだよそれククルのお手製?!」
「手作りにしてはよく出来てるだろ」
にやにやと頬を緩ませきっているアークに、
エルクはこみ上げる悔しさを押さえるように唇を噛み締めた。
なにか、なにか反論したいこの色ぼけ勇者に!
エルクは部屋の熱気で鈍くなっている頭をフル回転させて思い出を漁る。
なにかないか、なにか、なにか!
「お、俺だってシュウから昔セーター作ってもらった事あるしな!」
「いやあ俺、男からのプレゼントはちょっと」
「(コイツ……!!)」
ようやく思い出したシュウのお手製のセーターも一蹴されてしまった。
アークは口元をこれでもかというくらいに緩ませて、
いやあ俺はいいって言ったんだけどな。
まったくククルって心配性なんだからなあ。
セーターとか、まあ多少暖かいけど、
戦闘とかで汚れちゃうからこうやって艦内にいるときに着ようと思って。
あー暖かい。これなら寒い外出ても平気だわー。
アークは悔しがっているエルクに気がつくと多少煽りも混ぜ込みつつ
すらすらとセーターエピソードについて語り始める。
エルクはしばらくは悔しがってぷるぷる震えていたが、
アークの「いや俺はいいって言ったんだけど」、という言葉が十数回聞こえたところで、
耐えかねたのかソファーから勢い良く立ち上がった。
「はん!セーター一枚で情けねえなあ勇者様よう、
俺なんて毎日リーザの手料理だぜ?!」
「いや、それを言えば俺もそうだけど」
「そ、そうだけどよ、彼女の手料理をこう毎日食べられるのは
やっぱいっつも一緒に居るからじゃねえかな!」
「いや、リーザってエルクの彼女だっけ?」
「そ、それはその……将来的に、なると、いうか」
言葉を濁すエルクにアークはまたにやりと顔を歪ませる。
「やーそっかごめん、俺とククルはもうそんな関係だからさー!」
「俺だってなあ!その気になればリーザと!」
「リーザと?付き合う?告白できる??」
「でででできる!今はそんな浮ついたことしてる場合じゃねえからしてないだけ!
誰かさんと違ってな!」
「いや俺は愛も世界平和も両立できる系男子だからさー」
「ううううるせえよ!大体そういう浮ついた気持ちがダメなんじゃないのか!」
「ダメ?愛は世界を救うって言うだろ」
「言うけど!言うけどよ!!!」
「はーでもリーザ可愛いからきっとあれだな、すぐ彼氏とか作るんじゃないか」
「そそそんなことねえよ!だったら俺がその前にリーザと」
「私と?」
激しい応戦でエルクは近付いてくる気配に全く気付けなかった。
いつの間にかアークとエルクの隣りに立っているリーザは紙袋を胸に抱えて、
エルクの言葉の続きを待つ。
エルクは一歩も動けぬまま、首だけリーザの方を向いて、口を動かす。
い、いつからそこにいたんだ?リーザはその言葉にえっとねえ、と視線を宙になげる。
「本当にさっきよ、エルクが呼んでるって話をシャンテさんから聞いてね、
何か用事だった?」
エルクの目の前から吹き出す音が聞こえる。
アークは彼女と反対方向に腰を捻ってひたすら顔を隠して笑っている。
アークの後ろにはにやにやと笑みを浮かべるシャンテが壁越しに覗いているのがわかる。
あの野郎、絶対許さねえ……!
エルクったら!リーザがエルクのポンチョの裾を引っ張った。
エルクは困ったように頬を掻きながら、歯切れの悪い言葉を口の中で転がす。
一体どうすればいいんだろうこの状況。
「用事、忘れちゃった?」
「あー、そう、忘れた」
「もー、折角急いできたのに!」
「悪い悪い、ところで急いでってことは、話の内容とか、聞いてないよな?」
「内容?うん、聞いてないわよ」
ほっと胸を撫で下ろすエルク。
遠くでシャンテが悔しそうに顔を歪ましてるのが見える。
エルクはそちらを一睨みすると、そのままリーザの胸元へ視線を移した。
「あ、そうそうこれ!」
エルクの視線に気がついて、リーザが紙袋の中から赤いマフラーを取り出した。
丁寧に編み込まれたそれは見るからに暖かそうな風合いを醸し出している。
リーザは驚いて立ち尽くしているエルクにそっとマフラーをかけて、笑顔を零した。
「寒いから作ってみたの、どう?」
「え?!リーザの手作り?!」
「あまり綺麗に出来なかったんだけど……」
「いや十分!十分いやあ寒いと思ってたんだ!流石リーザ!
しかも俺のバンダナと同じ色なんて流石!」
そう言うとリーザは本当に?!と嬉しそうに顔をほころばせてエルクの手を握った。
瞬間、我に返り、ぱっと手を離す。ご、ごめんなさい私ったら。
そうして恥ずかしそうに照れて目線をそらすその一連の仕草が愛しくて愛しくて、
思わずエルクの口元もだらしなく緩む。
「大切に使わせてもらうから」
エルクがそう言うと、リーザもありがとう、と微笑み返した。
ああ、ほら、ほら見たことかアーク!
これはもうお前のセーターと同格、いやそれ以上の贈り物だぞ!!
そう勝ち誇って目線をアークに投げやると、
アークはにやにやとただただこちらを見つめてるばかり。
なんだ、何が面白いんだ別に面白い事なんてないだろう。
エルクが文句を言おうと口を開くよりも先に、アークがずい、とエルクに一歩近付く。
「いやあ良かったじゃないか俺と同じ赤色、あれ、そういやさっき赤色がくそださ」
「わーーーーーーー!なんでもないなんでもない!!リーザ!!
まじこれありがとうな!!
お礼言いたいからちょっとここ離れよう!すぐ離れよう!!!」
「あれ?でもアークさんに用があるんじゃ」
「いやないないこんな奴に用なんてこれっぽっちもない!
1ミリもない!!全くない!!!」
「そういやさっきエルクがリーザの事」
「黙ってろこの色ぼけ勇者!!焼くぞ!!焼き尽くすぞ!!!!」
「いやあ俺もうククルとアツアツだからこれ以上の熱はいらないかなー」
「あーうっぜ!うっぜ!!!!」
「え?エルクがなんて言ってたんですか?」
「あーーもう気にすんな!別に何も言ってねえし!大丈夫!大丈夫だから!!」
「それはな」
「あーーーーーもう聞こえないーーーーー聞こえないーーーーーーーーー!!!」